2018年12月17日月曜日

宮本芳彦(太鼓・神輿製造販売会社)   ・【にっぽんの音】

宮本芳彦(太鼓・神輿製造販売会社)   ・【にっぽんの音】
能楽師狂言方 大藏基誠
会社は今年で157年を迎えています。
私は8代目になります。
林 英哲さんには団扇太鼓、小さな太鼓等色々作らせていただいています。
歌舞伎座が新しくなりましたが、その時に新しい大太鼓を納入させていただきました。
3尺大太鼓です。
劇場開きの時に一番太鼓を鳴らす習わしがありますが、「どーん どーん どんと来い」というようなリズムでお客様を入れ込むのと、邪気を払うということで、そんなことの囃し方が行います。
相撲巡業、国技館の太鼓もやらせてもらっています。
能楽の世界の能の囃子方が使う道具も作っています。
宮内庁の雅楽の鼉太鼓(だだいこ)も作っています。
全島8m位の装飾性のあるだだいこです。
太鼓だけではなくお祭りと伝統芸能の一切がっさいを作っています。

昔は山城屋という屋号でやっていて、茨城県の土浦から明治時代になって浅草に来ました。
お神輿を作り始めたのは昭和の初期だったと思います。
お神輿を作って欲しいとの要望があり、そこから作り始めました。
商品数は数えたことが無いです、太鼓だけでも30種類を作っていて、それぞれサイズ展開があり何百という種類の太鼓を作っていると思います。
ばち、笛、雅楽の道具、衣裳、草履、提灯、足袋、神輿、飾り紐など多岐にわたっています。
お神輿は特別注文でその地方に合わせたものもつくったりしています。
お神輿はそれぞれ違っています。
林 英哲さんの太鼓は緩くしてあって、低音が凄く滑らかに出るように配慮されています。
反対に秩父の夜祭の太鼓は、極限まで高く革を張って高い音を出していくようになっています。
太鼓の革を張る時に立ち会うようなこだわるお客様もいます。
太鼓をやる人の人口は増えています。
いいものを届けたいというものがあるので、舞台芸能の品質を求めたいというお客さんの場合は、コストパーフォーマンスを無視したぐらいまで追求しなければいけない事もあります。
売れれば何でもいいという訳にはいきません。

和太鼓は基本的に代表的なものは、欅の木をくりぬいて作った胴に牛革を鋲で留めますが、強い胴にあった強い芯のある音が出ます。
つくり込みの結果がいまの日本の太鼓だと思いますので、それを大事にしていきたいと思います。
入れ子方式で作れるので、外で大きな胴を作って、中で中位のを作って、その中で更に小さいのをつくっていきます。
一番内側が能楽で使う締太鼓とかの大きさのものになります。
それを3~5年乾燥させて、最終的に胴の形にします。
うちの会社では太鼓職人は25~30人の職人さんがいます。
専門性の高いものは専門性を突き詰めて行きますが、ローテーションをしながら満遍なく技術を覚えて行く人達もいます。
太鼓なら太鼓が好きと思える人が多いです。
要望に対して出来るようにしないと成長していかないので、達成したいという事が大きいと思います。

海外に向かって英語で太鼓と笛のオンラインレッスンが受けられる課金制のサイトをやっていたりします。
日系人のアイデンティティーを取り戻していこうという事で、太鼓が使われてきまして、発展していって、日系人という事を越えて純粋に表現として、パフォーミングアートとして楽しまれるようになりました。
太鼓の持っている普遍的な価値は、その音で人を寄せるということはあるのかなあと思います。
*林 英哲さん 山下洋輔さんで モーリス・ラヴェルの「ボレロ」 演奏

江戸時代の山車の復元にも携わりました。
赤坂の氷川神社に江戸時代の山車のパーツがたくさん出てきて、復元しようという事になり、私達もお手伝いしました。
江戸時代のお祭りは背の高い人形山車がメインでした。
明治時代になって電線とか交通事情とかで背の高い人形山車が出来なくなって、以後倉庫にしまわれていました。
お神輿は神社に一基あって宮神輿と呼ばれていた。
町神輿がだんだん増えていって、町神輿は町々が競い合って装飾性が強い。
氏子の地域を神輿が回ることで、地域の繁栄や幸せを願うというコンセプトですが、そういったことが余り伝えられていないと思います。
なんでやっているのかという事を、問い直す事が必要なのではないかと思うが、形だけになってきてしまっているような気がします。
仕事先の繁栄を願うのであれば、仕事先のお祭りに参加するのも一つの形だと思うので、企業単位で関わってくるという事もあると思います。
日本の音、余韻が特徴だと思います。
余韻の部分に美しさがあると思います、それが間というものに繋がっていくと思います。