木村興治(日本卓球協会名誉副会長)・【スポーツ名場面の裏側で】日本卓球 王者復活
77歳、秋田市出身、県立秋田高校から早稲田大学に進み日本選手権でシングルスに2回優勝、世界選手権では男子ダブルスと混合ダブルスで3個の金メダルを獲得しました。
現役引退後は日本卓球協会副会長、国際卓球連盟副会長としてルールの改正など活躍をされました。
日本卓球 王者復活と題して伺います。
11月の中旬、上海には一緒に激戦した仲間がいて、民間の卓球愛好家の方との交流に日中平和友好条約記念の年という事で、行ってきました。
35年前に国際卓球連盟の理事になって、2005年から2期8年副会長を務め、現在会長アドバイザー。
卓球は狭い所で誰でもできるスポーツですが、福原愛さんが3歳の時からプレーをして、世界で活躍する素晴らしい選手になりました。
それを見ている若い選手が福原愛さんから学んだと思います。
プロの試合を見ていただくような環境が出来て来ました。
水谷選手、張本選手などに声援が飛び交っています。
女子団体ではロンドンオリンピックで銀、リオでは銅、男子団体はリオで銀を取りました、これが大きいです。
中国では女子も背が高くて台から少し離れて正確なプレーをしますが、日本選手は背が低いのでそれが出来ず台にへばりついて、リスキーですがそれをやってのけて、それは中国にとってもいいと率直言ってくれました。
中国にもそういう選手が欲しいと言っているわけです。
1950~1970年代は卓球と言ったら日本のお家芸でした。
1952年ボンベイの世界選手権に参加、7種目中3つ優勝するという事で世界を驚嘆させました。
自分たちが考えた用具を使って、当時守りの選手が中心だったが、攻撃で打ち破って行きました。
男子は世界選手権では団体5連覇でした。
女子も団体4連覇でした。
シングルスの世界チャンピオンは男女13人出ています。
中国の台頭があり長い低迷の時期もありました。
早稲田大学2年の時にマッカーサー杯があり、荻村 伊智朗選手に勝って、昭和36年北京で行われた世界選手権の日本代表の6人の中に選ばれる。
団体5連覇を続けていたが、中国との戦いになる。
荻村選手、星野選手、木村選手3人が出場、木村選手が2勝したが、荻村選手が1勝2敗、星野選手が0勝3敗 3勝5敗で中国に敗れ、6連覇は成らなかった。
中国の練習を見た時にこれは日本にはないタイプだなと新鮮に映りました。
前陣で守りもやる、攻撃もやる、速攻でした。
男子ダブルスの決勝も行われる。
星野、木村組とハンガリーのシド、ベルチック組の対戦となる。
第一セット日本、第二セットハンガリー、第三セットは星野選手がつないで木村選手が強打を決めるというパターンで取って、第四セットも連取、3-1で優勝する。
団体が破れて、ホッとしたというのが実感でした。
昭和36年12月全日本選手権大会、三木選手と木村選手の決勝となる。
第一セット、木村選手、第二第三セットは三木選手、第四セットは木村選手、第五セット21-12で勝って、優勝する。
昭和39年東京オリンピックの年だったが、卓球は種目には入っていなかった。
12月全日本選手権大会が行われる。
決勝は木村選手と小中選手、第一第二セットは木村選手、第三第四セットは小中選手が取る。
第五セットは21-19で木村選手が勝つ。
バックハンドが強い選手だったので、相手が待っているバックに逆に強いボールを打ってぎりぎりの処で勝つことができました。
1963年プラハ(22歳)、1965年ユーゴの大会(24歳)で混合ダブルスで2連覇を果たす。
プラハでは木村興治,伊藤和子組-三木圭一,関正子組
ユーゴでは木村興治,関正子組-中国
1967年ストックホルム大会の混合ダブルスでは木村興治,深津尚子組-長谷川信彦,山中教子組の決勝で敗れる。
私としてはダブルスはプレーしやすいタイプだった。
当時は選手自身が練習計画を立てて、どういうような新しい技術に挑戦するかというのがスタンダードでした。
1971年名古屋の世界選手権をきっかけにピンポン外交が行われた。
1967年、1969年の世界選手権には中国は文化大革命で試合に出ていませんでした。
1971年の大会には是非中国も出てほしいという事で解決のめどが立ってきて、世界選手権の後半になって中国がアメリカ選手団を招くということになって、ピンポン外交がスタートしたと言われています
1972年の5月にはニクソン大統領が中国訪問、田中角栄総理が9月に訪中し、国交正常化を果たす事になる。
荻村さんは周恩来首相に何度ともなく接触して実現に向けて努力したと言われています。
国際卓球連盟としてボールの大きさを変えたり、1ゲーム21点から11点に変えたりしました。
ラバーの質、接着剤などにより攻撃中心の卓球となり38mmのボールではラリーが続かなくなり、卓球の面白さに欠けるようになる。
ボールを大きくして40mmにしました。
21本だと長く、ギリギリの勝負にしようという事で11点にしました。
卓球は世界NO1の加盟です。(国ではなくて協会の加盟です)
アフリカでも高価な投資が無くできるスポーツです。
雨の日でも老若男女ができます。
伊藤 美誠(いとう みま)選手を破ろうと中国の選手が頑張っていますが、伊藤 美誠選手もこれからいろんなことをまだやりますから。