以倉紘平(詩人) ・言葉の海に漕ぎ出でて ・・・夜学生と見つめた戦後の日本
昭和40年から33年間大阪市内の工業高校定時制の教壇に立ち、高度経済成長の若者たちとともに社会を見つめて来ました。
1992年に詩集「地球の水辺」で詩壇の芥川賞と言われる、「H氏賞」を受賞、そして2000年には『プシュパ・ブリシュティ』で現代詩人賞を受賞しています。
この秋刊行した詩集「遠い蛍」には、がんで亡くなった娘いずみさんへの思いを綴った詩も収められています。
これまでの人生の道筋、現代詩の現状を語っていただきます。
詩というのは一般の人に読んでいただかないことには、あまり意味がないのではないかと思います。
僕は狭い詩人だけの世界だけで通用する詩は、どうかなという考えです。
感動が無ければ詩にはならないと思います。
「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」
古今集の紀貫之の言葉で、人の心を種にもって歌が生れると言っています。
万葉集にあったストレートに述べるということから、段々言葉を飾る方に行って、飾りを大事にして心をわすれていると、藤原定家が言っていて、根が深いんです。
自由詩の場合は心の感動が中心になるのではないかと思います。
萩原朔太郎なんかも内面律、内面のリズムが大事だといっています、或る種音楽性が無いと。
大阪府立今宮工業高等学校定時制の先生をしながら詩作を続けて来ました。
詩を書いているとはだれも知りませんでした。
昭和40年から33年間大阪市内の工業高校定時制の教壇に立ちましたが、生徒から学ぶ事が多かったです。
当時はいろいろ家庭の事情があって定時制の高校に来ていました。
多くは父親を亡くして母親を楽にさせたいという思いで、昼は仕事をして夜定時制に来ていました。
「最期の夜学生」 詩の朗読
学校は午後5時半から始まるが、この子の場合は一旦家に帰って、母の具合を見て学校に行くのでどうしても遅刻が増えるんです。
1970年代半ばのころのことです。
1992年に出版したH氏賞受賞した「地球の水辺」から
「夜学生 1」 詩の朗読
実習工場があり旋盤とかがあるが、「実習工場には石鹸と警察の匂いがする、整理整頓が行き届いて清潔になっている」こんなことを良く書くなあと思いました。
「足し算が汗をかいている」という表現、 掛け算は汗をかかないが足し算が汗をかいているという、どうしててこんな事が思い付くのかと思いました。
本当に吃驚しました。
1970代の初めに減反農政で、家族が都会に出て来るしか無くて、全日制よりも夜学の方の生徒は多かったです。
親は中小企業に就職しますが、交通事故とか病気になったりして、残された子供たちは家計を支えるということになったんだと思います。
家で勉強して1級建築士になった人も結構いました。
「夜学生 母親」詩の朗読
平成になって行った時には夜間高校の生徒は変質していきました。
まずクラスの人数が減っていきました。
人数が10人位になるとクラスの体を成さない。
個人一人ひとりが自分の世界だけ出来ていればいい、というふうな考え方に段々なっていった。
私は高校3年のころに井上靖さんの「北国」を読んだときからが詩との出会いでした。
その時に凄く感動しました。
井上靖さんが選考委員長をされた、「日の門」という詩集で第1回福田正夫賞受賞しました。
井上先生から表彰状を直に貰って家に呼んでもらう事が出来ました。
1992年に「地球の水辺」でH氏賞を受賞しました。
1998年に近畿大学の文芸学部に迎えられることになりました。
研究、創作に別れていたが私は両方やっていました。
ゼミの数は多かったです、20人を越えていました。
2009年8月 娘のいずみ(35歳)を亡くしてしまいました。
東京で演劇をやっていて文学座に入って、その後文学座を離れて芝居を自由にやっていました。
肺がんでして、転移をしていました。
12月に入院して270日ぐらい私も病院に泊り込んでいました。
今でもこんなことが僕に身に起こるとは思いませんで居た。
「遠い蛍」の中には娘との日々をつづった詩があります。
私の命と混ざり合って、一種の共同作業の様に作品が生まれました。
娘の事を書くと、娘に助けられているような気がします。
言葉を生み出したというのは、この大宇宙をつくりだしたこの命の不思議じゃないかなあと思っています。
2016年から2年間、現代詩人会の会長を務めました。
全国を7ブロックに分けて、それぞれの団体が集まって2020年の11月にイベントをやりましょうと計画しています。
2019年に10月にプレイベントを福井県坂井市三国町で行われます。
文学の街で福井県は文化に理解のあるところです。
平沢輝男?さんが三国の図書館に本を寄付をしていただいて、お父さんが平沢貞二郎さんでH氏賞に最初に資金を提供された方です。
頭文字をとって「H氏賞」となっています。
私は夜学生から感動を貰いましたので、感動を伝えることが詩だと大きな柱がありますが、阿部昭さんがあるがままの人生、長い熟視、ひそやかな感動の声、というのが阿部さんの短編小説の作法なんで、我々は日々生きていて、あー人生ってこんなもんかなあと思いますが、あるがままの人生、長い熟視、ひそやかな感動の声、こういうのが私の作品を作る時のモットーにしています。
井上靖さんが、この頃の詩は難解になり過ぎていて独りよがりになり、読者を狭めていると1985年ぐらいからおっしゃっていて今も続いている。
詩人がそれぞれにもう一度考えてみる必要があるのではないか、と私は考えているが。
詩って面白いなあと思えるような作品をつくることが詩人の役割だと思っていて、一般の人にも理解していただいて、参加するようにしていただきたいと思っています。