笠松泰洋(作曲家) ・音楽はジャンルを超え、国境を越える
1960年福井市生まれ、幼いころから音楽が大好きで、東京大学入学と同事にミュージカル作曲家三善晃さんのもとで作曲を学びました。
現在はジャンルを越えて活躍、演劇では蜷川幸雄さん演出の一連の作品、映画では是枝裕和監督の作品の音楽を担当、年明けに画イギリス、オーストリア、南米で公演を行なう予定です。
生れて初めてピアノを触らせてもらったら、雷のような音がして、習いたいと思って親にねだりました。
小学校2年生のころに、父がLPレコードを聞かせてくれて、「新世界」が良くてよくて毎日聞いていました。
小学校4年位から大笛が一番好きになって、中学に入ったら吹奏楽部があり福井県に3校しかなかったが大笛があり、そこの音楽部に入りました。
中学生2年位の時に曲を作りたくなってメロディーが浮かんで書きとって、作ってみたら、ぴったり二部形式に成っていて、そこにたどり着くのに半年かかりました。
作曲を習いたいと思って、誰に習ったらいいか考えながら高校に行きました。
高校2年の秋に、作曲家三善晃さんの作品をTVで聞いて、不思議な曲だと思いました。
解説を聞いて眼から鱗でした。
高校3年の時に福井でモーツアルトのピアノ協奏曲をやって、ソリストが井上先生でした。
井上先生に相談したら、東京に行って手紙を出したら何とかなるかもしれないと言われて、決心しました。
三善晃先生は桐朋学園の学長で、手掛かりは無くいて、先生の後輩になって対応すれば何とかなるのかなあと思って、本当に一生懸命勉強しました。
入学式の前の直接電話をして話したら会いに来なさいと言うことになって、入学式の前日に先生の家に行って話をして弟子入りしていただきました。
最初の2週間は学校にはいかないで先生の処に行きました。
30代の半ばで蜷川行雄さんの演劇の音楽に起用されることになり、それが大きな転換期でした。
生活費は塾、予備校の英語の先生をして生計を立てました。
大学時代にいくつかアート的な衝撃に出会いました。
蜷川行雄さん、日生劇場でのマクベスの公演は余りに凄くて吃驚しました。
音楽の使い方が全く考えられないものでした。
3年の夏に池袋に行ったら蜷川さんがいて、友人が僕の疑問に対して話を聞いてほしいといったら、気さくに応じてくれました。
マクベスのあんな場面に凄く綺麗な曲を何故取り入れたのかを聞きました。
実は、この曲(リクイエム)が好きで好きでしょうがなくて、この音楽に合わせてあのがマクベスだったと言っていました。
そんなことを聞いてくれたのは君だけだと言って喜んでいました。
蜷川さんとはその後12年ぐらいは一度もお会いしませんでしたが、又池袋でばったり会いました。
テープを送って欲しいといわれて、送ったが、1年後ぐらいに電話があり、仕事がしたいということだった。
「真田広之主演のハムレットの音楽を笠松君に任せるからよろしく」という話でした。
いきなり大きな仕事を任されました。(35歳5月)
カセットテープを聞いてもらったら、気に入ってくれて、出だしの演出を変えると言ってくれました。
最初の3分間で照明、舞台、音楽全部使って勝負を決めると言うか、自分の作品にお客を連れ込む。
蜷川幸雄さんは色んなことに関して本当に学びの連続でした。
三善晃先生に次いで蜷川行雄さんは第二の師匠でした。
琵琶と篳篥(ひちりき)はペルシャの楽器で、中東の方には楽器が残っているという事で一緒に演奏したら面白いのではないかと思いましたので、つてもないままに10日間イースタンブールに行きました。
いろいろダブルリ-ドの楽器を店で探して、30軒ぐらい行って来ました。
蜷川さんの2000年の「グリ-クス」という10時間に及ぶお芝居の音楽の準備でした。
10個のギリシャ劇の話を1時間ずつに縮めて、10話連続で繋がった話でした。
蜷川さんは計算できないことに挑む人で、みんなが考えて一番いいものに作り上げると言うような感じでした。
私は映画音楽、バレエ音楽、合唱曲等ジャンルが広いですが、思わぬところから話があったりします。
是枝さんの映画の音楽も作りたいと思って、是枝さんにこちらから電話をして、会いましょうということになり、「ワンダフルライフ」の音楽に繋がる訳です。
蜷川さんの仕事をすることによって多く人との関わりが出来て、仕事が広がり増えて行きました。
ありとあらゆるるジャンルの事をやりたいです。
音楽がどういう役割を担うかという事を見極めることはとても重要です。
2000年の「グリ-クス」では138曲作りました。
トルコで購入した楽器など使っていて、いつの間にか演奏をするようになりました。
ウード→琵琶の元になる楽器ですが、ヨーロッパではマンドリンになってギターになるわけです。
中東っぽい音楽をする事を3人で始めました。
ピアノのルーツを辿ってて行くとイスラム圏にあるカーヌーンと言う琴で、オルガンの鍵盤をくっつけてみて改良していったらチェンバロの原型なんです。
辿ってゆくとすべての音楽は繋がってると気付きました。
文化庁文化交流士になりましたが、1年以内、1カ月以上海外に行って文化活動をしてきなさいというものです。
すべて自分で活動計画などを立てなくてはいけない。
今後オペラとミュージカルの作曲はやりたいです。