森 康行(ドキュメンタリー映画監督) ・被災地を見つめて
昭和25年生まれ静岡県出身、昭和53年短編映画「下町の民家」で初監督を務めました。
以来、映画監督、記録映画監督、TVドキュメンタリーの演出を手掛けています。
この秋東日本大震災の被災の被災地を舞台にした映画「ワーカーズ 被災地に立つ」を完成させました。
延べで22カ月ぐらい行ったり来たり、被災地に行きました。
岩手県大槌町、宮城県亘理町、登米と言うところ、3か所に行きました。
一昨年から去年の12月に掛けて行きました。
街が消えてしまったとよく言いますが、まさに大槌町は市街地の95~99%位やられて、原形をとどめていない。
街が有って文化が有ってと言うところだったという話は聞いていました
かさ上げ工事はほぼ完成して、最後に行ったころは家がちらほら建つという状況だった。
復興ということでいいんだろうかと感じました。
今までに築きあげてきた生活、生きて行く価値観も変えて行かないと本当の意味での街が又新たに興ってくることができないのではないかと思う。
映画を撮るにあたって、私は信頼されているかどうか判らないが、私がやっている仕事は記録映画なので、あくまでも映される人たちが主人公なので、その人達の中に今という現実が含まれている。
その人たちが厭と思えば撮ってはいけないと思う。
すこしでも語っていただければ、そこから糸口を見つけて考えることができるのではないかと思いました。
3年前、関東東北豪雨で妻の実家が大きな被害を受けました。
豪雨ではないが、雨が1週間やまなかった。
川が決壊して、義理の父母、義理の兄、姉が住んでいたが、1階に水が入ってきてあっという間も無くてなすすべも無かった。
2階に避難して、夕方自衛隊のヘリコプターに救助され、避難所に行きました。
1週間後に家を見に行きましたが、1階の全ての家具がごちゃごちゃになっていてどうしたらいいんだろうか、というような状況だった。
3カ月かけてなんとかかたづけましたが、ボランティアの人達に助けて貰って本当に助かりました。
家はリホームしましたが、義父は1年後に亡くなりました。
片づけた時にはアルバムとかいろいろ出てきたが、思い出さえも奪って行ってしまう、これが災害の実際なんだと思いました。
高知の高校生がビキニ環礁の核実験について取り上げた映画があるが「ビキニの海は忘れない」という映画で1990年に出来上がったものです。
1950年3月1日ビキニ事件が会って、第五福竜丸が被曝して久保山愛吉さんが亡くなって、長い間伝えられてきた事件です。
沖縄で高校生の平和学習をしている先生たちの集まりが有って、ビキニ事件をやっているということだった。
被害は第五福竜丸、久保山さんだけではない事が判って、そこから映画を作ろうと思いました。(他の漁船、他の人達も被害を受けた)
調べ直して、高校生たちは凄いなあと思いました。
夜間中学に学ぶ人達「こんばんわ」を作りました。
バブルがはじけたころで、自分はこういうふうに生きて行っていいんだろうか、と悩んでいた時期でした。
義務教育を受けられなかった人達、不登校の子などが入ってきて自分を取り戻していくという形で、2003年に公開しました。
私も1年間一緒にクラスに入れさせてもらって勉強したり、一緒に話をしたりしました。
世代を越えた連携で、競争が無いわけです。
自分にとってどういう学びをするのか、学びの原点があると思いました。
自分が生きて行く為に学ぶんだと言う事を目の当たりにした映画、映画を撮る時間でした。
昼間の学校ではそうはいかない、価値観を転換させるような学校でした。
福島の冬から春になる時に雪渓が残っていて、ウサギに見えるころ種をまくと言うことで、種まきウサギという名前で呼ばれていました。
福島の高校生による朗読グループ・たねまきうさぎの活動を追ったドキュメンタリー。
高校生が詩の朗読をするグループを作って、どういうふうに生きていくのか、高校生活をどう過ごすのかという事を描いたものですが、被災した中で色んな知恵と希望を尽くして生き残っていくんだと言う、サバイバルという言葉が映画の中で印象に残りました。
地域の人ならではの困りごとを色んな形で助け合って、仕事にして行くと言うことが素晴らしいと思います。
「困っています、それではみんなでそれを仕事にして何とかしましょう」ということで解決をしていくなかで、色んな仕事をすることになった。
新しい価値観のもとでの仕事起こし、ではそうするためにはどうするんだ、これは色んなことに通じて来るものだと思いました。
宮城県の亘理町でも新しい仕事を生み出す取り組みがなされている。
池田道明さん(多機能型福祉施設の所長) 元仙台空港の整備士で大変な目に遭われた。
仕事も無くなって、社会からの疎外感を味わって、自分が仕事を作ればいいという働き方もあると言うことで、地元の産直野菜販売から始まって就労者支援とかで、仕事をつくっていくっというような事を進めています。(協同労働)
農村と若者たちとの交流を描いた。
地元の人でない人達が林業をやったりする。
最初、撮影については警戒されましたが、農業、林業のことは判らないので地元の人に教わり始めて、交流も進んで行って信頼を勝ち得て行ったと思います。
地域地域で協力してもらった人達にも観ていただきたい。
一体どういうふうに生きて行ったらいいんだろうかと、いうこの映画の問いが又問われているんじゃないかと思います。
一極集中がはたしてどうなんだろうかと、言う思いがあります。
地域地域で自分たちがどうやって生きて行くのか考えて、今までの価値観を変えて行くための時なのかなあと思います。