2018年10月9日火曜日

石橋恵三子(番組「消え物」担当)     ・テレビに"華"を添えて50年

石橋恵三子(番組「消え物」担当)     ・テレビに"華"を添えて50年
TVのスタジオやロケの現場で使われる花や料理は、収録後には残らないことから業界用語で「消えもの」と呼ばれています。
石橋さんは今から50年ほど前、姉の嫁ぎ先の花屋さんを手伝って、民放TV局のスタジオに飾る花を納入したことがきっかけで、TV業界の「消えもの」の草分けになりました。
放送開始から42年を迎えた「徹子の部屋」では第一回からこれまで1万回以上スタジオの花を活け続けています。
石橋さんはその42年の間、様々なエピソードを「徹子の部屋」の花しごと、という本にまとめています。
もう一つ石橋さんが得意なのは料理です。
ドラマやバラエティーで出演者の食事シーンも任されるようになりました。
NHKでは「キッチンが走る」という番組の調理補助として、6年半名シェフ達と共にロケに随行し、地元の食材集めと調理に活躍してきました。
花や料理を中心とした「消えもの」担当者としての、50年さまさまなできごとや仕事への思いをうかがいます。

家には床の間があったので必ず母が花を活けたりしていました。
花のある家でした。
中学では部に入らなければいけなくて、ソフト部に入りたかったが、華道部は少なかったし花嫁修業にもなるかと思い華道部に入ることにしました。
先生の処に個人的にいって学んで中学の終わり頃位に免除を頂きました。
姉が嫁いだ先が麻布十番に花屋さんを2軒持っていて、義理の兄が草月流の先生で名が売れれいた方で、兄のもとで草月流の勉強をしました。
仕入れの市場にも一緒に行ったりして花に接することが多かったです。
美術学校に入ってデッサン、色に関する勉強もしました。
TVの生番組に花を飾って欲しいという要望があり、スタジオにおいたりしていました。
専属でという話があり、やらせていただくことになりました。
TVも白黒からカラーになってきて造花から生の花にということになってきました。

放送開始から42年を迎えた「徹子の部屋」では第一回からこれまで1万回以上スタジオの花を活け続けています。
1週間の早さ、のんびりできるのは水曜日だけでした。
月、火で7本収録する訳で徹子さんは打ち合わせなど大変だと思います
次週の出演者は木曜日に伝えてもらいます。
話の内容は私は聞きません。
ゲストの先取りをしてしまうようであえて聞きません。
花の仕入れは太田市場です。
仕入れは金曜日に行きます。
8時には着くようにしていて、9時半には店が閉まってしまうところもあります。
どうしてもも欲しいものがあるときには7時に行ったりします。

セットには花が一番最初に入り、徹子さんが入り、その後ゲストが入って来るので、そこで手を加えることはありません。
男性がゲストだと徹子さんは派手な衣裳にするので、花は目立たないようにします。
女性の場合は女性が目立つようにするので徹子さんは控えめな衣装にしています。
お花とゲストと徹子さんの写真を撮っておいています。
記録として撮っておかなくてはいてないと思っています。
ゲストの人は飲み物をリクエストすることができますので、美味しいものフレッシュなものを提供するようにしています。
カクテルの色の勉強をしようと思ってカクテルの学校にも通いました。
番組が12時からなので、病院では花を見て下さる方も多いです。

データを取っていた時に、いつかは本にしたいと思ってはいました。
「徹子の部屋」の花しごと
徹子さんから花は第二のゲストと言って下さってくれて、それにこたえていかないといけないと思いました。
美輪明宏さんの時には衣装と花が同じものになりましたが、まったく偶然でした。
黄色、紫など割と派手な色で、斜めに入っていて、花もそういった色が斜めに入っていました。
美輪さんから思わず「霊感があるの」と言われました。
イメージが合う瞬間があるものだと思いました。
葉加瀬 太郎さんの場合は、明るいヒマワリ、NHKの朝ドラの「てっぱん」で番組の中で歌っていたのがヒマワリで8月だったので、全部ヒマワリで活けました。
番組でもヒマワリを歌ったんです。
お嬢さんの名前もひまわりちゃんと言うことで、終了後全部ヒマワリを差し上げました。
高倉健さんが好きなのは「都忘れ」という紫色の小さな花なんです。
その時は季節外れでしたが、房総まで行って100本手に入れ、「都忘れ」だけで活けたら物凄く喜んでくれました。
お帰りになる時に花束にしてお渡ししたら、「有難う」と言って一本だけ私に渡してくれまして、感激しました。
吉永小百合さん 「北の桜守」に出演しましたが、、「徹子の部屋」の収録が2月で、セットにも桜を飾りました。
啓翁桜を咲かせなければいけなくて、工夫をして昼間は日に当て、夜は温度管理をして5日間繰り返して当日は満開になり、吉永さんも徹子さんもとっても喜ばれました。

料理は「消えもの」の係はいなかったので、ご飯に味噌汁、煮ものは得意だったので番組で出すようになりました。
調理師の免許も持っています。
桃井かおりさんなども私の料理のファンとなったりしてくれました。
「キッチンが走る」という番組の調理補助として、6年半名シェフ達と共にロケに随行し、地元の食材集めと調理に参加しました。
アシスタントとして調理の手伝いをしました。
朝5時、6時からスタンバイします。
TVの世界は憧れはあるが、時間的な拘束が長くて若い人たちが続かなくて、レシピ通りにつくる時代になってきているので要望されることも多くて、ちゃんと料理の勉強をしていないと付いていけない場合もあるので、最後まで続かないということもあります。
今はなんとなく落ち着いてきています。
花と料理と両方できる方は今なかなかいないですね。
相手の気持を大事にすると言うか、相手の気持ちになってあげる、厭なものでも笑顔で受けると言うのをモットーにしています。