2018年10月2日火曜日

大塚宣夫(医師)            ・大往生をつくる

大塚宣夫(医師)            ・大往生をつくる
大塚さんは都内で老人病院を経営し、最晩年の高齢者にとって一番大切なのは、医療では無く豊かな一日一日の生活です、と言い切る一風変わったお医者さんです。
医療と介護を同時に必要とする高齢者には、身体に苦痛や負担をかける無理な延命治療をせずに、痛みやつらさを少なくする医療だけを施し、穏やかな最晩年を送ってもらう事を目指しています。
そういう理念に沿って、高齢者が自分が大事にされていると実感できる病院をつくって38年、大塚さんはこれまでの経験から、最晩年の医療は大往生を作っていく道筋であるべきだと言います。
大塚さんの考える大往生とは、75歳以上が1800万人という今日の新しい大往生観について伺いました。

ベッド数は240、入っている人の平均年齢は88歳、100歳を越えている人が12人います。
人生の最後が見えた人達が来られて、3か月から1年位過ごして、大部分の方がそこで旅立たれるといった病院です。
高齢者の施設を始めたが、最初のうちは医療の力でなんとか高齢者を少しでも幸せにしようと思って色々なことをしました。
しかし、医療の力だけでは高齢者をもっと幸せにすることはできないと痛いほど思い知らされました。
本当にお年寄りを幸せにするには、医療よりも介護、介護よりもっと日常の生活、これの大切さに気付いた次第です。
衰え、病気、障害によって独立して生活できなくなった人が多い。
我々がそこに手を掛けて、すこしでも良い時間を持ってもらうように色々工夫するのが基本だと思います。
その人その人の能力、何を持って快適かはそれぞれ違うので、対応は色々工夫を凝らさなくてはいけない。

アルコールも全く自由です。
外から持ってきたものを食べてもらうということも自由です、
食べることは人間最後の最後まで残る楽しみという印象を持っています。
話掛けて反応が無くても、しっかりそのことを理解されている機能は最後まで残っているような気がします。
どういう生き方をしてこられたか、どういう時期が一番輝いたか、そういった情報を知っておくことは凄く大事です。
情報を共有して働きかける時に使うと言うことはあります。
男性は会社で活躍していた頃、女性は一番多いのは子育てをしていた頃、お孫さんを世話をしている頃が、と言うような話は出てきます。

医学部を卒業した後、精神科を専攻、1974年(32歳)の時に友人のお婆さんのことで相談を受けました。
83歳、3年来の寝たきり、認知症の症状が加わって、夜になると大きな声をあげて騒ぐようになり、家族の生活が成り立たないということで施設を探しました。
見学に付き合ったが老人病院で、20畳の畳敷きの病室に12,3人がただ転がされていて、大変不快な臭い、奇妙な静けさが印象的でした。
3か月ぐらいでなくなられるということだった。
衝撃を受けて、自分の親を安心して預けられるような施設を作ろうと言うのがきっかけでした。
親、伴侶などは家族で最後まで自分の家で看ると言うのが日本の価値観だった。
高度経済成長期を経て、日本の家族の構成が一気に変わって、核家族化が進み、高齢者が増えてきて、自宅で看られないような状況が発生してきた。
預け先を探さなければいけないような状況になり、先ほど話したような老人病院みたいな形態が発生した。
居心地のいい場所をつくれないだろうかというふうに考えて、それが私の病院のスタートだった。
38年経って思うことは、以前は預ける後ろめたさが有ったが、今は御家族は最後はこれこれの病院で過ごして、親孝行ができたというような話をされるようになりました。

医療という力を何処まで評価すると言うことかもしれない。
医療は進歩してきて万能の様に思われがちだが、本人の持っている免疫力等がしっかりしていないと医療的な働きをしても効果が出ない。
70歳を過ぎるあたりから、治癒力はどんどん落ちて来る。
効果が表さないということも起こってくる。
我慢すればその先にそれ以上にいい事があると言うことが前提だが、治癒力が落ちてきてそこに医療を受けたとしても、効果が期待できなくなった時、我々はどう受け止めていくかということになる。
試行錯誤して方向が変わっていきました。
一番大事なのは日常生活を少しでも豊かにすることが大事で、そのために介護があり、医療も貢献するんだという枠組みが定まると、我々が何をしないといけないかということが見えてくる。
傷害、病気、老いによって他人からの介護の必要性、そういう状態になっても居心地のいい生活空間にするということが基本になる。

最大のストレスは気兼ねしながら生きなければいけないということです。
それを少しでも減らすことができれば意味があると思う。
家族の介護が一番いいと思うかもしれないが、しかしそれなりの難しさがある。
例え親子、夫婦でもそれがゆえの難しさがある。
介護する親への描いていた像が、どんどん崩れて行ってしまったりする。(精神的苦痛)
好きな言葉に「我親を人に預けてボランティア」というものがある。
①自分ですべてを抱え込むな。
②介護は長帳場なので、完璧を目指すな。(60点でいいから長く続けることを考える)
食事、お風呂、おむつ(最近は高性能)の交換など、必要に応じて対応してもかまわない。
③人の手にゆだねることを考える。

自分の最後の姿は、80点位でもあそこで決着がつきそうだと思うと、人生覚悟して生きられるということがある。
老いというのはいつから始まるのか定義は難しいが、70歳を過ぎたあたりからだと思う。
70歳を過ぎたあたりから下降のスピードが早くなってくる。
下り坂を生きると言うことは思ってもみなかったことが起こる。(辛いことでもある)
今日出来ることは、人生一番高い所にあると言う事。
今できることを自分の身体を目いっぱい使って、如何に豊かに生きるか、と捉えることもできる。
そうすると今日一日がいとおしい日、貴重な日になり、その連続で毎日を生きて行けばいい。
上り坂の時には自分で色々努力しなくてはいけないが、下降線の時には何にもしなくてもその日その日は過ぎて行く。
何もしなくてもその先には終点が見えている。
そう考えると気楽でもある。
今日一日楽しい事、今までやれなかったことをやってみようと思っただけで人生気楽に生きられると思う。
大往生とは、①十分に長生きをしていること、②社会的な役割をそれなりに果たしてそれを卒業している。
自分の能力を目一杯使うことに自分としての務めがあると思えばポジティブに生きられる。

大往生とは、①十分に長生きをしていること
②周りの人に惜しまれながら旅立つ。
③最後が静かである、穏やかである。(蝋燭が消えるように)
④自分が旅だった後に、残された人達がこういう形で良かったなと思ってもらえる。
最近はは②、③が難しくなってきている。
②周りの人に惜しまれながら旅立つ、ここをどう解決するか。
③最後が静かである、穏やかである、長く生かすような手立てを講じようとする。
救急車を呼んで救急病院では1時間でも長生きさせてくれということで、徹底的な医療手立てをするが、どう見ても助からないと言う人にもそれをやって、残念でしたというようなケースが多い。
延命治療は助からないことを前提に事が進んでいるが、病院は助かるか助からないか判らないところからスタートする。
介護されると思われる医師との人間関係をとっておけば、医者はそれなりの対応をしてくれると思うが、突然に自分に意思表示もできない時に、何もやらないでくれということは医師としては非常に難しい。
かなり用意周到な人間関係の中で自分の意志、希望を叶えてもらえる様な人間関係は必要だと思う。
④については、最後の瞬間が静かであると言うことは、家族としっかり別れを惜しむために時間はそれなりに必要です。
体に負担を与えないようにして静かに命が消えてゆくことを待つということは可能です。
死というものがこんなに厳かなものだとは思わなかった、という御家族も結構あります。
残された人に感動を与えながら命を終えると言うことは、我々今から挑戦してみる価値のあるものだと思います。