2018年10月19日金曜日

垣井道弘(映画評論家)          ・【わが心の人】緒形拳

垣井道弘(映画評論家)          ・【わが心の人】緒形拳
昭和12年東京生まれ、新国劇に入団し活躍しましたが、31歳で退団以来、舞台、映画、TVと個性溢れる演技で多くの人を魅了しました。
今から10年前平成20年10月5日亡くなられました、71歳でした。
垣井さんは緒形拳さんを密着取材したことから縁が出来意気投合しました。
24年間に渡り親交を深めました。
2006年には緒形拳さんの素顔を紹介する評伝を出版しています。

人間の記憶というものは不思議なもので、昨日何を食べたかなど覚えていないが、10年前を鮮明に覚えたりします。
10年はあっという間でした。
緒形拳さんはNHKの大河ドラマ「太閤記」の主役で演じられていました。
ぱっとした笑顔を見て精悍な顔をしている人がいると強烈に思いました。
翌年に、「源義経」で弁慶役を演じていました。
緒形拳さんに関心を抱くようになりました。
僕は駆け出しの映画評論家でしたが、緒方さんは165本の映画に出ていまして、そのほとんどが主役か準主役でした。
一本だけ日本で劇場公開されなかった「ミシマ」がありました。
日米合作で、制作総指揮がフランシス・フォード・コッポラ、もう一人はジョージ・ルーカス
緒形拳さんが作家に三島由紀夫を演じました。
私は2カ月毎日撮影所に通いました。
緒形さんが「ガムを頂戴」と言ってきたが、全部食べちゃったので替わりにのど飴を渡して、段々親しくなりました。
緒形さんは一生懸命な人が好きなんです。
緒形さんは私よりも9歳年上です。

緒形さんも僕も映画が好きですが、緒形さんは俳優を見ていて、僕はストーリーとかカメラアングルとか総合的に見ているわけで、そういう見方があるんだと言う事でお互いに刺激しあえる関係でいい関係を保っていました。
話始めるとどんどん色んな事を話せるようになって行きました。
緒形さんはインタビュー嫌いで業界では有名でしたが、誤解されやすい。
恥ずかしがりやで、いちいち説明するのが難しいタイプ。
兄が俳優座養成所の一期生で影響をうけていたが、事故で亡くなってしまう。
緒形さんは文化祭で坂田三吉を演じて凄い人気で父兄の為にもう一回やって欲しいということでした、新国劇と縁が出来て、新国劇で働きたいと言うことになってきた。
(当時島田正吾辰巳柳太郎が全盛)
劇団員が150人いた。
兄の仲のいい友達(北條秀司の娘さん)に頼んで、紹介状を書いてもらって持って行ったら、明日から来なさいと即決になった。
辰巳柳太郎の内弟子になる。
辰巳柳太郎は弟子に読ませて、耳で覚えると言う俳優で、毎日台本を読む訳です。
それが緒形さんに取って非常に役に立ったわけです。
才能を見出したのは島田正吾さんで、いきなり主役に抜擢しました。(入団して3年後ぐらい)

緒形さんは機敏な人でその「遠い一本の道」で主役をやり、それが受けて、映画化もされ主役を演じました。
段々新国劇のホープになり、「太閤記」にも抜擢されて国民的スターになりました。
辰巳柳太郎さんは豪快、島田正吾さんは繊細で細かい芝居をする。
緒形拳さんは二人の師匠の両方のいいところを身につけました。
20代の俳優が歳を取った俳優を演じるのは難しいが、二人が男の一代記を演じていたので、高齢の秀吉を演じることが難しくなかったということです。
翌年の弁慶役もTV史に残ると思う、弁慶の有名な立ち往生も本当に迫力がある。
「太閤記」をやりながら新国劇をやすんではいけないということで、大変な苦労をしました。
新国劇が下降線になって、TV、映画にも出たいと言う事で悩んでいたが、北條秀司さんが退団を勧めて一大決心をして反対を押し切って退団をする訳です。
二人の師匠については生涯に渡って尊敬して、人情の厚い俳優でした。
1968年31歳で退団。
新国劇の劇団の解散公演では 昼、夜の部で主役として点滴を打ちながら舞台に出続けて、二人の師匠の花道を作ってあげたと言われる。

「復讐するは我にあり」今村昌平監督と緒形さんが出会った作品です。
連続殺人犯の映画ですが、見ているうちに悪い奴なんだけれども、憎めなくなってくる、こういうこともあり得ると言うふうになって来る。
映画のことが後になってもぶり返してくる、人間の二面性、闇の部分みたいなものをリアルに描いている。
「自分は俳優として人を殺すことをおろそかにしてこなかった」という事を緒形さんは言いました。
何故殺すのかという事を突き詰めて、突き詰めて、殺人者を好きになるんです、好きにならないと演じられないわけです。
「楢山節考」(ならやまぶしこう) カンヌ国際映画祭で最高賞を貰った。
演技は一切していないと言っていました。
おかあさんを背負って山に捨てに行くが、雪が降り始めて「おっかあ、雪がふってよかったなあ」というセリフしか後半の20分には無い。
何故良かったかというと楽に死ねるから。
直ぐに眠れて楽に死ぬことができる、台詞の少ない映画なのにどんどん心に響いて来る。
母親のことだけを考えてやっていたと、そういうこともあるんだなと思いました。
見直すほど味が出る作品です。
人には見えないところで凄く努力していました。
ロケに行くときも他の俳優よりも1週間早く行って、そこの土地の空気なじむと言う事をおっしゃっていました。
脚本を何度も何度も読んで、肉体化する、自分のものにする。

病気のことは知っていました。
ご自宅に訪ねた時に「俺、癌なん
だよ」と言われて物凄くショックを受けました。
10分位で行ける駅に30分位かかってうろうろしていました。(ショックで逆に緒方さんに送ってあげるよと言われて送って貰いました。)
生きている人の評伝はあまりないが、僕は緒形さんに読んでもらいたかった。
亡くなる前に評伝を出しました。
感想はあまりありませんでしたが、何を書けばいいか迷っていると言うと、虚飾のない話を書けばいいんだと言われました。
とにかくスケールの大きな俳優さんで、「仕事が全て、演技が全て」といつもおっしゃっていました。