ヨシタケ シンスケ(絵本作家) ・【人生のみちしるべ】コドモのミカタ
1973年神奈川県生まれ、45歳。
2013年に初めてのオリジナル絵本、「りんごかもしれない」を出版し大ヒット、これまでに「ぼくのニセモノをつくるには」、「もうぬげない」など10冊あまりを出版し、数々の絵本賞を受賞する絵本作家です。
ヨシタケさんの最新の絵本のタイトルは「みえるとかみえないとか」、ヨシタケさんにとって目が見えないという障害をどう表現し、子供達が面白いと思うような絵本にするか、そこが挑戦だったと言います。
ヨシタケさんはどんな方なのか、最新作に込める思い、これまでの人生で大切にしてきた道しるべについて伺いました。
会社を辞めて坊主頭にして20年ぐらい坊主頭です。
中学生の頃にバレーボールをしていたが、体育系の乗りが理解できなくて辞めてしまいました。
高校では美術部に入りました。
2013年「りんごかもしれない」という絵本でデビューして子供達に大人気になりました。
日常の何でもないことを題材にして、話がどんどん展開して行く。
人一倍常識にとらわれる子だったような気がします。
今は逆に何をどうやれば普通じゃないのかと、考えるようになりました。
イラストレーターとして、絵本を描く前10年やっていまして、ひとつのネタに対して色んな答えを出す訓練をしてきました。
子供ができて子育てをした、ということも大きかったと思います。
小さい頃の自分に喜んでもらうため、絵の本を心がけて来ました。
シンプルな線で描くが、絵が実はへたくそで、筑波大学大学院芸術研究科総合造形コースに入りましたが、デッサンが下手でした。
見ないで描こうと思って、或る時から見ないで描くことにしたら、絵が描けるようになりました。
或る程度の基本を押さえれば、人に伝わると言うことが、僕の好きなものが伝わると言うことが分かった時に、○に点々で顔を描くことにちょっと進化したバージョンと言った感じです。
大学、大学院では現代美術を勉強するところでした。
着ぐるみを作る職業になりたいと思っていました。
卒業してから会社(ゲーム会社)に入りましたが、半年間で辞めました。
新しいゲームを考える部署で、企画書をいかにも書いているふりをして落書きしていました。
或る時見られてしまったが、経理の女性で「可愛い」と言ってくれました。
人に見せてもいい絵なんだと気がつきました。
自費出版で出したが、売れなくて人にあげたりしていたが、或る時出版社から他のものも見せてほしいと言われました。
イラスト集を出さないかと言われて、30歳の時にイラスト集を出しました。
それがきっかけでイラストの仕事を引き受けるようになりました。
40歳でデビューして2013年「りんごかもしれない」という絵本を出しましたが、売れるはずはないと思っていました。
思いのほか売れることになりました。
自分で嫌いなことをやらないようにしました。
最新絵本「みえるとかみえないとか」 東京工業大学準教授の伊藤亜紗さんが、4年前に出版した「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を元に作った絵本ですが3年かかりました。
(通常他の絵本は約半年)
難しいテーマでした。
絵に描くとかわいそうな人に見えてしまった。
絵にすると助けてあげなくてはいけない人に見えてしまう。
主人公は地球では普通だが、ある星ではその宇宙人が後ろも見えることが出来、「君後ろが見えないの」と宇宙人から障害者扱いされるのはどうだろうと思いました。
普通の人ということが無くなる。
舞台を宇宙にすると言うことに凄く時間がかかりました。
不謹慎なものになってはいけないし、当事者がいらっしゃる時に勝手な事を言うなと、我々はそんななまやさしいものではない、勝手に笑いものにするなと言われてしまうと、こちらとしてどうしようもない。
探りながら作った本です。
「みえるとかみえないとか」
「僕は宇宙飛行士。・・・・この星の人は後ろにも目があるので、前も後ろも一度に見えるらしい。・・・あっ、君後ろが見えないの。・・・不便じゃない、可愛そう。君は後ろが見えないから背中の話はしないでおこう。・・・凄いちゃんと歩いている、みんなよけてあげて。・・・見え方が違うだけなのに、みんなすごく気を使ってくれて変な気持だった。・・・生まれつき後ろだけ目が見えない人がいる。一緒だ僕と同じだと思うと安心する。・・・いろんな星があったなあ。・・・うまれつき全部の目が見えないと言う人がいた。その人の世界の感じ方はずいぶん僕と感じが違っていた。 自分の予定はメモをしないで録音しておく。・・・外を歩く時は杖を使う。・・・入れ物が同じだと食べてみるまで判らない。・・・音楽など耳を使う仕事、マッサージなど手を使う人が多い。・・・目の見えない人は音、匂い、手触りで色んなことが判る。
…見えないからこそできることも沢山ある。・・・見える人と見えない人では世界の感じ方が全然違う、と言うことは全然別の世界に住んでいると言うことだろうか。
・・・「見えいないってなんか面白そう?」、「えーっ僕は見える方がおもしろそうだと思うな。」時々取り替えられればいいのにね。」
・・・そもそも僕たちはみんなちょっとずつ違う、その人だけの見え方や感じ方を持っている。
・・・どんなにやることや考え方が違っていても、自分と同じところは必ずあると思う。
・・・うーん、宇宙も地球も一緒だな。・・・同じところを探しながら、違うところをお互いにおもしろがればいいんだね。それは凄く難しい様な気がするがじつは簡単なものなのかもしれない。・・・君手が二本しかない、えーっ可愛そう、いややっぱり不便そうに見えちゃうよね。」
主人公が見えない人に向かって、「見えないってなんか面白そう?」て聞くシーンがあるが、実はこの本で実は一番言いたかった事で、「みえるとかみえないとか」を作るきっかけになったのは、伊藤先生の本が面白かったことと、僕が小さい頃に街に視覚障害の方が杖を突いて歩いていて、母に「あの人はなにしているの」と聞きました。
母は「あの人は目の不自由な人で杖で確かめながら歩いているのよ」と言われて、「面白そう」と言ったら凄く母親が怒りました。
自分で好きであのようにしているのではなくて、面白がるんではないと言われました。
なんか悪いことを言ったんだと凄く反省したんですが、もやもやしていました。
大人になって子供がTVを見ていて、視覚障害の方が出てきて、息子が同じおように「面白そう」って言ったんです。
自分とは違う世界の感じ方をすると言うこと自体に「面白そう」と感情を抱くこと自体は、悪いことではないと思うが、どういえばいいのか、タブー視することもよくない。
視覚障害の絵本を描く時に「面白そう」ということに対して、どういう返事ができるのか悩んでいた部分でもあり、僕がみつけた答えの一つが見えない人に対して「見えないことが面白そう?」と聞いた時に、見えない人から「僕は見える方が面白そうだと思うな」、と言うふうなお互いを知ることの面白さに繋がればいいと思う。
無理なのかなあとくじけそうになった時もあります。
次のページめくりたいと思っている訳なので、読後感が「面白かった」と言うふうになってくれたのが成功です。
みんなが触れにくいテーマと、どうでもいいと思われているテーマを同じ熱量で扱って行きたい。
小さいころ自分が感じていたことに、嘘を付かないことが一つの目標です。