頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】チャップリン
世界の喜劇王として名高いチャップリンは、イギリスの出身で1889年(明治22年)4月16日生まれ。 1977年(昭和52年)12月25日に88歳で亡くなりました。
「人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには絶望するか、さもなければ哲学かユーモアに訴える。」 チャップリン
『キッド』、『巴里の女性』、、『黄金狂時代』、『街の灯』、『モダン・タイムス』、『独裁者』、『殺人狂時代』、『ライムライト』など沢山の代表作があります。 喜劇王とも呼ばれている。 俳優、映画監督、映画プロデューサー、脚本家、作曲家でもあるわけです。
チャップリンは完全主義者で例えば『街の灯』でチャップリンと花売り娘が出会うシーンがありますが、700回以上撮り直しをしたらしい。 OKが出たのは最初の撮影から約1年後というんですからすごいですね。 一つの映画の中に喜劇と悲劇を入れたのはチャップリンが最初だと言われる。
「人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには絶望するか、さもなければ哲学かユーモアに訴える。」 チャップリン
「ユーモアの中には常に苦痛が隠されている。」 キェルケゴール「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」 チャップリン *音楽「スマイル」 「モダンタイムス」から
チャップリンが亡くなった時の新聞の追悼記事に引用されたもの。 チャップリンが子供の頃、食肉加工場があって、ヒツジが食肉加工場へ引かれて行って、或る日ヒツジが一頭逃げ出していって、捕まえようとして追いかけてころんだり、ヒツジが跳ねまわったり、周りははやし立てたり、そういう様子を見てチャップリンは笑っていた。 ヒツジが捕まって食肉加工場に連れていかれるときにはっと気が付く。 あのヒツジが殺されてしまう。 私は何日も考え続けた。 「この一件こそ後の私の映画、悲劇と滑稽さが組み合わさった映画の土台を築くきっかけになったのかもしれない」、と言っています。
映画『キッド』の最初の字幕に「笑いとおそらくは一粒の涙の物語」と書いてあって、初めての喜劇と悲劇を混ぜてえがいた長編映画が『キッド』です。 最初周りからは反対されたようですが、結果は大成功でした。
*音楽「スマイル」 歌:ナット・キング・コール
「人生に必要なのは勇気と想像力とそして少しのお金」 チャップリン
『ライムライト』の中にある言葉。
*テーマ曲「ラ・ ヴィオレテーラ」 『街の灯』より
「そして少しのお金」は軽い気持ちで付けた言葉ではない。 少しのお金はどうしても必要なんだという、とってもシリアスな発言。 チャップリンは子供の頃少しのお金でとっても苦労している。 チャップリンの両親は二人ともミュージックホールの寄席芸人でしたが、チャップリンが3歳になる前に別居して、母親が子供たちを育てたがとっても貧しい暮らしでした。 母親は心の病で入院してしまって、チャップリンは6歳で貧しい子供のための施設に入れられてしまう。
僕(頭木弘樹)も難病になり、親に面倒見てもらって生きていくしかないと言われて、親がいなくなったらお金が無くて死ぬしかないと思いました。 ベッドで原稿を書き始めてお金になり、初めて年収60万円になった時があり、その時には感激して涙が出ました。 「そして少しのお金」というところはグッときました。 「そして少しのお金」は人生にはどうしても必要だなあと思います。 原文のお金はMoney、cacheではなくてDough(食べるパンの生地)
「私にとって貧困とは魅力的なものでも自らを啓発してくれるものでもない」チャップリン
自伝より。
*音楽「愛する君」 映画「ニューヨークの王様」より。
一般的に不幸な経験を無理にプラスに捉えようとする傾向が強すぎると思います。
克服したひとはなかなか言わない。
貧乏賛美はよくある。 チャップリンは「貧しさを魅力的なものに見せようとする態度は不愉快だ」、と言っている。
「死と同じように避けられないものがある、それは生きることだ。」 チャップリン
映画『ライムライト』のなかにある言葉。
*音楽「愛のセレナーデ」 映画「伯爵夫人」より。
考えてみると、選択して生きているわけではない。 物心ついたらすでに生きている。 生きることも死ぬことと同じぐらい避けがたい。 人はなぜ生きなければならないのか、人生の大問題だと思うが、その答えが、避けられないからだという事はかなり斬新だと思います。
『独裁者』を作ろうとした時には、ヒトラーが絶好調の時で、アメリカでもヒトラーを支持する人が多かった。 ドイツに投資している財界、映画業界も反対して四面楚歌の状態だったが、それでもチャップリンは作った。 ヒトラーとチャップリンは誕生日も4日違いで、顔も似ている。
チャップリンはユダヤ人だと、ナチスは反チャップリンキャンペーンをするが、ユダヤ人ではなかった。 反チャップリンキャンペーンの影響もあったかもしれないが、チャップリンは否定もしなかった。 否定することは逆にユダヤ人を差別することになるかもしれない。 アメリカで赤狩りがあった時にも、共産主義者かと問われたときに「平和の先導者です」と答えている。 高野 虎市という日本人の秘書がいたが、この人を採用したのは日本人排斥の嵐が吹き荒れていた最中だった。 ユダヤ人の時も、共産主義者、日本人排斥の時にも常にその姿勢を貫いていてすごいと思います。 あれほど愛されていたアメリカから、事実上国外追放になる。 来日した時に5・15事件があるが、チャップリンも暗殺の対象になった。 アメリカのスターを暗殺することで日米開戦に持ち込むことが出来る、それが理由らしいが。
大野 裕之さん、チャップリンの研究家でチャップリンの未公開NGフィルムを全部見ることが出来た世界で3人のうちの一人で、チャップリンのインタビュー記事の中の言葉。
「多くの人からどうやって、痛ましさや人々の苦しみからコメディーを作れるのか、どうやって世界の最も大きな悲劇を笑うことが出来るのかと聞かれます。 私はこう説明します。 私たちが生き延びることが出来る唯一の方法は、私達の困難を笑う事なのですと。」 チャップリン
*音楽「テリーのテーマ」 映画「ライムライト」より