小川糸(作家) ・私と小説と、料理と旅
1973年山形市生まれ、大学卒業後、編集プロダクションや作詞家などを経て、2008年に「食堂カタツムリ」で本格的に作家としての活動を始めました。 この作品は2年後に映画化されました。 その後の作品「つるかめ助産院」や「ツバキ文具店」はいずれもNHKでTVドラマ化されました。 全国の書店員が選ぶ本屋大賞でも、作品が相次いでノミネート、昨年の「ライオンのおやつ」は第2位となりました。 多忙な小川さんを癒しているのが料理と旅、料理の知識や海外の旅の経験は作品に生かされています。
山形はそばもおいしいですが、ラーメンもおいしいです。 小学校では毎日日記を書いていって、それに先生がコメントを書いて戻してくれるという事をやっていました。 感想を書いていただくのが楽しみでした。 読むより書くという行為のほうが好きでした。 編集プロダクションに勤めましたが、担当する雑誌が休刊になってしまって、世の中の不条理も感じて、そこから小説を書くようになりました。(23歳ごろ)
文学賞に応募したり、編集者さんに読んでもらったりしましたが、10年が過ぎて行きました。 10年間苦しい生活でした。 「食堂カタツムリ」をポプラ社の文学賞に応募して、それがきっかけとなりデビューさせていただくことになりました。 これは2年後に映画にもなることになりました。 海外でも翻訳されていきました。 翻訳者の方との共同作業をしていきました。
タイトルは不思議と言われますが、この作品にはこれがいいと思うだけです。 料理をすることは一番のストレス解消になっています。 友人にもてなしたりすることも好きです。 2010年「つるかめ助産院」、2017年「ツバキ文具店」 NHKのTVドラマ化されいろんな方が見てくださいました。 女性ファンが多いです。 理由はわからないです。 すべて失ってそして再生の物語を書いていると思います。
本には島が多く出てきます。 島は基本的に大好きです。 「ツバキ文具店」は代書屋が出てきますが、社会と接点を持ちながらら役に立って生きていけるのかなあと思いました。 鎌倉は私自身も好きですし、物語の雰囲気と合っているのかなあと思いました。 「つるかめ助産院」は南の島という事になっています。 助産師に話を聞いたり、助産院に実際に見せていただきました。 その場所の空気感、みたいなものに身を置いてみないと感じられないので、自分自身が感じることが大事だと思っています。 「ライオンのおやつ」は本屋大賞の第2位となりました。 ホスピス 若い女性がステージ4で後数か月しか生きられない。 最後の場所を瀬戸内に求めた。
「つるかめ助産院」では生命の誕生する場所の物語を書いたので、対として命を終える場所という物語を書きたいと思いました。 母ががんになり「死ぬことが怖い」といって、一般の人たちも自分が死ぬことに対しての漠然とした不安とか恐怖があると思って、読んだ人が死ぬのが怖くなくなるような、死を別の方向から光を当てて、夢もあるんじゃないかみたいなものを伝えられたらと思いました。
ドイツのベルリンにも住んでいましたし、北欧にもよく行っていました。 自分の住む場所を自分で決めてもいいのかなあと思って、一生に一回ぐらい海外で暮らすのもいいと思いました。 ドイツは自由を大事にしているのが魅力を感じました。 自分自身が自分らしくいられる場所だと感じました。 ラトビアが好きです。 人口も少ないのでその分文化が残っていて、歌の文化があって、合唱をしたり、音楽も独特で、自然に対しての感謝の気持ちがあり、自然崇拝みたいなものが日本と近いものがあると思いました。
昨年の春、コロナが広がって決断して日本に戻りました。 最新作「とわの庭」は原稿自体はコロナの前に書いたんですが、推敲はコロナの時期と重なって、主人公が外に出られないという話なので、とわの気持ちを自分自身がなぞるような経験になったと思います。 作家は楽しくて喜びも凄く大きいが、それと同じぐらい生みの苦しみがあるかなあと思います。 出来上がった本を見ると本当に我が子というような思いがあります。
広い意味での実用書でありたいと思って作品を書いていますが、読者その人の人生に寄り添っていけるような実用書を、これからも書けていけたらいいなあと思います。 山形には恩返しができればいいなあと思っていて、いつか山形を舞台に書きたいと思います。