鶴澤津賀花(女流義太夫三味線方) ・【にっぽんの音】
福井県出身。1995年、武蔵野音楽大学音楽部音楽学学科卒業。 義太夫協会主催の義太夫教室を受講したのをきっかけにプロの道を志し、1998年に女流義太夫人間国宝の竹本駒之助に入門。 見習い期間を経て2001年に初舞台。 自身のリサイタルでは人間国宝で師匠でもある竹本駒之助さんの語りで難曲、大曲と言われる演目に挑戦するなど、これからの女流義太夫を担う一人です。
音楽学学科は西洋音楽、日本音楽、民族音楽の歴史、理論をなどを学んで研究する。 学者、研究者とかになる方が多いです。 4歳からピアノを習っていて、西洋音楽に親しんでいましたが、中学生の時にTVのCMでブルガリアの女声合唱が流れてきて、衝撃を受けて、いろんな民族音楽を勉強したいと思って、音楽学科を目指して入学しました。 大学では雅楽、お琴を習ったり、個人的には沖縄の三線、長唄の三味線を習いました。 日本にもこんなに素晴らしい音楽が沢山あることに気が付きました。
初めて義太夫三味線の音色を聞いた時に、今まで聞いた三味線と全然違う迫力、音色に痺れてしまいました。(24歳) 文楽通いをして三味線ばっかり聞いていました。
義太夫は物語を語りと三味線で表現する三味線音楽で、義太夫節とも言われますが、1684年大阪道頓堀に人形浄瑠璃を上演する竹本座ができて、竹本義太夫の迫力ある語りが大人気となって義太夫節と言われるようになりました。 語りと三味線の二人で行います。
女流義太夫は人形や役者を伴わない語りと三味線だけの素浄瑠璃というスタイルで演奏しています。 明治20年にデビューした竹本綾之助というスターが出て前代未聞の人気を博して、娘義太夫の火付け役になりました。
義太夫節はほとんどが悲劇で、ストーリーがよくできていて、素晴らしい作曲ができていて、昔の方は凄いと思いました。
*『加々見山旧錦絵』(かがみやまこきょうのにしきえ)の中の「長局の段」 1782年に江戸外記座にて初演、加賀のお家騒動を題材に、武家に勤める奥女中の仇討ちを描いています。 「お初は、昨日鶴岡八幡で主人の尾上が岩藤に、草履でもって殴られたことを聞く。 そこに岩藤が現われた。 ほかの下女たちはそそくさとその場を逃れたがお初は岩藤につかまり、自分の噂をしていただろうといじめられる。 使者の到来との声を聞き岩藤は、これで許してやるとお初を蹴飛ばした。 お初は悔し涙を押し隠してその場を立つ。・・・ついにお初は思い切って文箱を開け、中身を確かめるとそこに入っていたのは草履の片しと遺書。 お初はびっくりして尾上のもとへと急ぎ引き返す。・・・」
息をする箇所が決まっています。 大夫は勝手に息をすることが出来ないので、大夫を生かすも殺すも三味線弾き次第なので凄くこちらも気を使います。 大夫も三味線弾きも息が大切という事で、息を「引っ提げ」が大事だと言われますが、お腹の力というんでしょうか、それがないと義太夫にならないと言われています。
日本を感じる音は、ドーンと力強くお腹に響く義太夫三味線の一の音です。(一番低い音) 魂が揺さぶられる音だと思います。
一の糸が地を表していて、三の糸が天を表しています。 二の糸が人で、一、三、二と弾くんですが、これから人の話を始めますという意味が込められています。
三味線の材質は大別すると「花梨(かりん)」「紫檀(したん)」「紅木(こうき)」がありますが、素材が輸入品で、棹は紅木(こうき)という棹でインドから、皮も犬と猫で海外からはいってきて、糸だけが純国産品で義太夫の糸はほかの三味線とは違って太くて、一の糸は3000本の繭からできていて、撚ってできていて、表面が凸凹して豊かな奥深い響きが生まれます。 三味線には細棹、中棹,太棹があり、義太夫は太棹で、津軽三味線も太棹ですが、駒,バチが全然違うので音も全く違いますし、奏法も違います。
*「めりやす組曲」 舞台効果を高めるために三味線だけで繰り返し演奏する短い旋律で、いろいろな組曲になっています。
5月に竹本 駒之助師匠を横須賀にお招きして、女流義太夫演奏会を行います。 私は20年になりますが、竹本 駒之助師匠は芸歴72年を迎えます。
去年はホームページと動画発信サイトを開設して、過去の公演動画と解説動画を配信しました。 狂言にも語りがあるので実験的にコラボするのもいいかもしれません。