酒井政利(音楽プロデューサー) ・昭和歌謡の魅力を語る
1935年和歌山県生まれ、立教大学卒業後、松竹、日本コロンビアを経て1968年CBS・ソニーへ移り、南沙織、郷ひろみ、山口百恵など多くのスターを世に送り出しました。 また「愛と死を見つめて」、「魅せられて」で2度日本レコード大賞を受賞されています。 プロデューサー生活60年余り、これまでに300人余り、8000曲をプロデュース、累計売上はおよと8700億円という音楽界のレジェンドです。 2005年歌謡曲を中心とする音楽業界で初めての文化庁長官表彰を受賞され、去年2020年文化功労者に顕彰されました。
文化功労者の連絡があった時には本当にびっくりしました。 昭和歌謡は言葉を持っていて癒されたり、慰められたり、励まされたりします。 音楽は人の気持ちを癒すのが最大の魅力だと思います。 山口百恵さんは13歳から出発しているわけですが、最初は音域が狭かったが、成長の記録として世代の言葉を投げていこうと思いました。 言葉が今聞く人に伝わるんだと思います。
みかんの産地で山の裾野に実家がありました。 8人兄弟の末っ子で、小学校4年の時に戦争に行っていた兄たちが帰ってきて、こんなに兄弟がいるとは思っていませんでした。 池があり、神秘的な池で魅せられてしょっちゅういきました。 小学校6年の時に絵を描きましたが、池に映る逆の風景を描きました。 姉が岩佐に嫁いでゆくんですが、その街に行きたくて街を見に行きましたが、映画館があり、3本立てでやっていて映画にとりつかれて行きました。 高校では許可がないとけなくても何とか行って、東京に行きたくて、立教大学文学部に入りました。 戦争の焼け跡が残る景色があり現実の世界をいろいろ知る事になりました。
大学1年では池袋には映画館がいくつもありましたが、慣れなくてどうも行く気にはなれませんでした。 大学3年になると好きな監督ができて、事務所、自宅など見に伺いました。 ロケも観に行きました。 大学卒業後映画製作を志し松竹に入社しました。 製作部に所属しましたが、TVが隆興してきて、辞めたほうがいいという助言がありました。 日本コロムビアへの紹介があり、入ることになりました。 映画を作るつもりでその主題歌をという思いがありました。 「愛と死をみつめて」の主題歌を担当して、作詞、作曲も素人の集まりでの仕事にしたかった。 レコード大賞も受賞することになりましたが、本もベストセラーになり、映画化もされました。
CBS・ソニーの募集があり、飛び込んでいきました。 会社からのご褒美で3週間アメリカにいって、フランク・シナトラを担当した人に出会って、売り出すのにどうしたらいいかを考えて、1940年代にはフランク・シナトラは14歳で、アイドルとして出したという事でした。 元々はラテン語でアイドルという英語になったという事でした。 アイドル戦略で行こうと思って、CBS・ソニーの大カラーとして打ち出そうと思って、会議に掛けたのが始まりでした。 アイドルという言葉には反対がありましたが押し通して、表現者がいないと駄目なので、沖縄の16歳の女の子を呼んでオーディションをしました。 即決したのが南沙織さんでした。 カトリック信徒で、英語名「シンシア(Cynthia 月の女神、蟹座の守護神の意)」を愛称としてい「ソニーのシンシア」として売り出しました。
次に男の子という事で連れてきたのが郷ひろみさんでした。 可愛くて声が独特でした。「男に子女の子」で行こうと即決でした。 スター誕生の番組があり、森昌子さん、桜田淳子さん、それに一人を加えて3人娘にしたかった、という思いがありました。 山口百恵さんの声を聴くと音域が狭かった。 悩んで、海の匂いで行こうという事で「青い果実」をぶつけました。 彼女は勉強を重ねていましたね。
朝丘雪路さんの「雨が止んだら」 坂本スミ子さんの「夜が明けて」、大信田礼子さんの「同棲時代」、金井克子さんの「他人の関係」とここもプロデュースしました。 再生路線を行いました。 化粧品会社から意外性のあるものをと乞われて、矢沢永吉さんと連絡を取りました。 「時間よ止まれ」がミリオンセラーになりました。 翌年が二度目のレコード大賞となる「魅せられて」。 下着会社がイメージソングを作ってくれないかという事で、筒美京平さん(作曲・編曲)、阿木燿子さん(作詞)でエーゲ海を舞台にして「魅せられて」ができました。
会った時にはきれいだなあとか思いますが、会った後数時間して残像のように残っている人がスターになる人です。 山口百恵さんと会った時には7.8分で終わったと思いますが、いろんなことを聞いたようなイメージがあり、考えた表情を持っている顔なんですね。 一番大事なのは想念というか、顔に主張のある人だと思います。
今はヒット曲はいろいろあるが、気持ちに伝わる歌は少なくなってきていると思います。 昭和歌謡は言葉を持っていると思います。 歌で大事なのは言葉だと思います。 曲は二番目だと思います。 いくらいいメロディーがあって言葉が悪いと駄目です。
今しみじみ思うと、でたらめなことをやってきましたが、充実していたと思います、無我夢中でした。 事務所のデスクに池の写真があります、心がなごみます。 今コロナで他人に会えないとかありますが、この心理がすごく歌に生きると思います。 最近思ったんですが、子どもの歌を作りたいと思っています。