沢口靖子(女優) ・人間の深みを、魂まで表現したい
1984年に映画『刑事物語3 潮騒の詩』で女優デビュー、翌年朝の連続TV小説NHK連続テレビ小説『澪つくし』のヒロインを演じ、人気と知名度を全国的に定着させました。 以降ドラマ,TV、映画で活躍されています。
『澪つくし』の頃は何もわからなくて、ただ与えられた役をこなすだけでした。 当時は通勤ラッシュにもまれてNHKのスタジオまで通っていました。 朝早くから夜遅くまで仕事していました。 関西弁でなまってしまう事でプレッシャーもありました。 印象に残っているシーンは4つ位あります。 ①かおると惣吉さんの浜辺での出会いのシーンで漁師らしく豪傑にかおるの手をつかんでとげを抜いてくれました。 ②好きな人とも結ばれてみんなから祝福されて、白無垢姿で人力車に乗って銚子から鳥羽に向かったのも印象的です。 ③新婚旅行のシーンで私は20歳の誕生日を迎えました。 スタッフや地元の人たちに祝福されました。 ④遭難して亡くなっていたと思われた惣吉さんが記憶喪失になって戻ってきて、記憶を取りもどしてあげようと、小舟に乗って一生懸命思い出話を語るシーンですね。 思い出してくれた惣吉さんに、今は再婚をして子供もいるんですという場面が切なかったです。
気を張って慣れない世界でやってきて、大阪に戻った時に友達と会って、張り詰めたものがふっと抜けてしまったのか、涙がボロボロ出てきてしまった時がありました。 打ち上げの席でジェームス三木さんから「やっと女優の卵から雛に孵ったところですよ」という言葉をいただいて、『澪つくし』のお陰で素人同然だった私の名前を全国の方に知っていただける機会になったし、女優の入り口にたてた大きな転機となった作品との出会いでした。
子供時代は3つ違いの兄がいて、活発な少女時代でした。 中学、高校は軟式テニス部に所属していて毎日練習の日々でした。 憧れていた職業は保母さんとか幼稚園の先生、CA(Cabin Attendant 客室乗務員)にもあこがれていました。 友人が新聞に載っていたオーディション募集の広告を見て、推薦してくれたことがきっかけでオーディションに応募しましたが、大学進学を考えていました。 学校の先生になるか、書道のほうに向かおうかと思っていました。
1984年、第1回「東宝シンデレラ」で3万1653人の中からグランプリに選ばれました。 東京に来てカルチャーショックを受けました。 壁は関西弁を矯正されたことでした。 18年間の自分を否定されたような気持ちにもなりました。 仕事へのやり甲斐は、作品との出会いで20代はがむしゃらにやってきて、30代になって徐々に芽生えてきたと思います。
今はウオーキングをしたりした体調に気を付けたりします。 1999年スタートしたドラマ『科捜研の女』ですが、まさか20年続くとは思ってもみなかったです。 そんな作品に出会えたことは俳優としてとても幸せなことだと思っています。 人間も丁寧に描いているところに魅力があると思っています。 法医学研究員・榊マリコと実際の私とでは、違う点は私は几帳面で慎重派ですが、まりこは片付けが苦手で猪突猛進型で、似ている点は追及心、探求心が旺盛なところですね。 映画化の話があり、人類の未来を救うためにまりこは危険を顧みない行動に出ます、とんでもないことが起こりますが、これ以上は話せません。 公開日は9月3日です。
「小吉の女房 2」 勝海舟の父、小吉との夫婦の日常起きる様々な出来事をユーモラスに描いたホームドラマ時代劇です。 着物なので立ち振る舞いも最初は気遣うことがありましたが、段々慣れていきました。 夏だったので35度ぐらいの中で撮影があり氷で体を冷やしながら撮影しました。
役と自分の信条がピッタリしたときに内面に輝いた表情になるんですが、その瞬間はしょっちゅう現れないので、その境地になるようにいつも努めたいと思っています。 原作のある作品はまず原作を読んだり、台本を何度も読み返したり、行間の気持ちを読み込んだり、専門家の人にヒントになるような事を伺ったりして、自分が気持ちよく入っていけるような役作りの時間を大事にしたいと思っています。