中島千波(日本画家) ・【私のアート交遊録】桜の命を絵筆にのせて
桜の画家ともいわれるほど数多くの桜をテーマとして描いてきた中島さん、その運命的な出会いとなった岐阜県伊那谷の淡墨桜を初め、日本各地の桜の名所を訪ね歩き描いた屏風はおよそ40点、中島さんは長い歴史を生きてきた今のこの桜の姿を記録する、私にとって桜はありのままの姿を映す桜の肖像画なんですと話しています。 日本画の伝統に安住することなく、常に新しい時代の表現を求めて、独創的な美の世界を追い求める中島さん、コロナ過で花見もままならない現在、日本画家中島さんに日本人の心の花、桜を通して花を愛でる心や美しさとはなにかについて伺いました。
日本人が桜の花に特別な思いがあるが、日本の農耕文化から始まっていると思います。 植えるときを桜の咲く時期から始まっているんだと思います。 パーッと咲いてパッと散る潔さがあると思います。 日本人の性質をうまく言い当てていると思います。 最近は気候変動で入学式の頃は散っていて、それが悲しいですね。
桜は描き方が判らなかった。 大きな花のほうが楽だなと思っていました。 段々桜の凄さを出すのに一個一個描いていったというのが現実です。 スケッチに3時間ぐらいを3回やりますが、夕方になると散り始めることもあります。 桜の種類もいろいろあってそれぞれ綺麗です。
父は日本画家 中島清之(きよし)です。 1年間しっかりデッサンと色彩を勉強して、一浪して芸大に入りました。 デッサンで形を捉えることが出来ないといけないですね。 見る目と腕、いにしえの作家のデッサン力をみて摂取の仕方を勉強すれば大丈夫です、原理が判れば物事は意外とスムースに行きます。 そこからが大変ですが。
神奈川県展があって100万円を貰えるので出しましたが、学部生は本当は出してはいけなかった。 そこでは10万円もらいました。 在学中に院展初入選。
小学校6年生ぐらいから鳥獣戯画など模写をしていました。 中学高校の絵の先生になれればいいかなと思っていました。 大学に入って、1年間はまじめにやりましたが、欧米の美術が入ってきて、安保と、ベトナムがあり、日本画の伝統的な書き方だけでなくて、課題以外のことをやっていたら、抽象的なものを描いたりして成績が悪くはなりました。 2,3年生の時にルネ・マグリットを見つけてこれだと思いました。
シュール的な絵を始めました。 人物画は結婚してからです。(モデル代はいらないから) 段々伝統的な絵を描き始めました。 淡墨桜を最初に見たら、幹の凄さに圧倒されました。(胴周りが10mぐらい) 一日描き詰めして一冊が終わりました。 桜の木に畏敬の念を持ちました。 古木の本の写真集を見て全国にいっぱいあることを知って全国を回るようになりました。 桜の肖像画を描くというような思いになり、屏風に残すという事になり、古木も100年200年経つとなくなってしまうが、絵だけは残るわけです。
福島の三春滝桜(推定樹齢1000年)、岡山の醍醐桜(樹齢700~1000年)、岐阜の荘川桜(推定樹齢450年)など立派なものがあり、描くべき桜だと思っています。 背景によって桜の雰囲気が違ってきます。 凄さは年を経て出来上がってくる年輪、肌が違います、これが魅力です。 花で一番立派なのがソメイヨシノですが、100年持たないが、江戸彼岸桜などは1000年以上持ちます。 幹と枝ぶりが年をとってくると形がよくなってくる、余計な枝がなくなる。 若い木は枝が多すぎて途中で描くのが嫌になってしまうぐらい枝が出てきます。 人間と似ていますね。
判を押したように描くのではなく、花びらを一枚ずつ描くのでいろいろ曲がったりして、リアリティーがあります。 いかにリアリティーを出すかが一番大事だという風に自分では思っています。 本物を描くときに本物みたいに描いてちゃあ駄目で本物には勝てない、本物に勝つためには本物以上に描かなければいけない。 学生時代に抽象的なものをやったときがあるが、意外と古いものからとってきます。 昔のものをしっかり観察して今に生かしてゆくという事を若い時にやっていれば大丈夫かなと思います。 いきなり新しいものばっかりやっていても駄目だと感じます。
前は必死にやっていたが、いまは落ち着いてああなんだなこうなんだと、判っている感じで慌てないですね。 奥村 土牛さんはゆっくり描いているようですぐにできている。 経験の中にちゃんと生かしている。 ただ描いているのではなくて、ちゃんとものを見て理解して、しっかりとかみ砕いてやるから出来ちゃう。
お薦めの一点としては雪舟の「山水長巻」がいいですね。