2020年1月9日木曜日

石戸谷結子(音楽評論家)         ・オペラこそ我が人生

石戸谷結子(音楽評論家)         ・オペラこそ我が人生
石戸谷さんは1946年青森県生まれ、子どもの頃からクラシック音楽に親しみ、早稲田大学を卒業後音楽出版社に勤務、多くのアーティストにインタビューするなど編集業務に携わりました。
1985年40歳を前に退社、以後はフリージャーナリストとして雑誌、新聞、ウエブ媒体にも発表の場を広げクラシック音楽、中でもオペラを専門に多くの評論を執筆、敷居が高いと敬遠されがちなオペラを判り易く解説して多くの人に魅力を知ってもらいたいと、自らオペラ普及委員会委員を名乗って活動を続けています。

父は昔からクラシックが好きで家ではクラシック音楽がいつも流れていました。
中学の頃からオペラが好きになりました。
マリオ・デル・モナコが来日してTVで見たり、マリア・カラスのレコードを聴いたりしました。
1965年長野でスラブ歌劇団のオペラの生の舞台を見ることができました。
視覚聴覚すべてに訴えますので感動しました。
大学に入学して直ぐに同好会に入りました。
教育学部で劇音楽をとって、歌舞伎、お能、文楽などを勉強しました。
オペラと歌舞伎は似ていますし、いい4年間だったと思います。
編集者になりたいと思って音楽出版社を受けて入ることになりました。
結婚して子供が生まれましたが、面白くてやめることができませんでした。
しかし大変は大変でした。

1976年にプラシド・ドミンゴ(3大テノールの一人)が初来日しまして、当時35歳で素晴らしい声にすっかり魅了されました。
2年後にヨーロッパにオペラを見に出かけました。
パリオペラ座でドミンゴの『オテロ』を見て本当に圧倒されました。
声ばかりではなくて演技力も素晴らしかった。
ドミンゴの『サムソンとデリラ』の屋外劇場でも素晴らしかったです。
満天の星のもとで見るのもオペラの醍醐味の一つです。
海外に行ってオペラを見るというのが人生の楽しみになりました。
その当時はクラシック音楽界自体が華やかで力を持っていた時代でした。
*ビゼーの『真珠採り』というオペラから主役ナディールが歌う『耳に残るは君の歌声』
  歌:プラシド・ドミンゴ

40歳の時に坂東玉三郎さんへのインタビューがインタビューをして続けていきたいというきっかけになりました。
ピアニストのマルタ・アルゲリッチさんとの対談も印象に残りました。
インタビューは一種の疑似恋愛見たいな感じで、インタビューするときにはその人の本を読んで音楽を聴いてその人のことを考えてそれからインタビューに行きます。
心が通じ合わないといいお話はうかがえないと思います。
カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『インドシナ』という映画
その時にインタビューしましたが、その時のインタビューも印象に残っています。
ヴァイオリニストのユーディ・メニューインさんが自然体で生きる事が一番、自分を律すること忍耐、人を許す寛容が重要だとおしゃっていました。

20年前ごろは仕事で一年に5回ぐらい海外に行きましたが、自分でも行きたいという事で最高9回という事がありました。(主人、子どもを置いて)
普段は一生懸命働いて年に何回かは海外でオペラを見るという生活をしています。
童話の「蟻とキリギリス」二つを合わせた生活をしています。
オペラの楽しみ、リーズナブルに聞く方法、など楽しみ方のヒントを皆さんにお伝えしようとやっています。
券を自分で取り、自分で飛行機を手配し、自分でいろんなものを手配してゆくとリーズナブルに楽しめます。
オペラは奥が深いので飽きるという事はなくて、音楽が素晴らしく総合芸術なので、視覚、聴覚、体全体でオペラ舞台を感じることができる。
歌舞伎と同じようにご贔屓を作ることが重要だと思っています。
それが奥を深めてゆくと思います。
オペラ普及委員会委員を名乗って多くの方にオペラの楽しさを知ってほしいので、その扉を開ける役、きっかけを作れたらいいと思います。