2020年1月7日火曜日

大棟耕介(NPO法人理事長)       ・病室に笑顔を!ホスピタル・クラウンの25年

大棟耕介(NPO法人理事長)   ・病室に笑顔を!ホスピタル・クラウンの25年
大棟さんは愛知県出身50歳、中学、高校で記録を作った棒高跳びの選手として、オリンピック出場を目指し筑波大学に進学しましたが断念、地元の名古屋の会社に就職しました。
ここから大棟さんのクラウン(道化師)と子どもの病室に癒しを届けるホスピタル・クラウンの活動が始まります。
現在は全国にいる150人余りの仲間と、ホスピタル・クラウンの心とスキルを磨くリーダーとして飛び回り、ゆくゆくはクラウン活動を日本の文化にしたいという夢も持っています。

忙しくやっています。
本業は道化師です。
ホスピタル・クラウンは協会を立ち上げてから15年ぐらい経ちますが、始めたころは4,5人の仲間と一つの病院から始めて、北海道から沖縄まで96病院まで広がりました。
150人近くの仲間と活動をしています。
講演会も年間100回近くこなしています。
企業が多いですが、学校でも行っています。
クラウンは相手を主役にしてゆくので、コミュニケーションにおいて相手を主役にしてゆく、笑いを含んでいるという事が大事だと思っているので、企業の受けはいいです。
サーカスでもお客さんが心地いい空間を作ってゆく事が非常に得意なので、主役が際立つようにする、これがクラウンの魅力だと思っています。
引き出しを多く持つ必要があるのでいろいろ経験が必要です。

ホスピタル・クラウンは病院に子どもさんを訪ねて楽しませるという風な活動をしています。
定期的に病室まで入り込んで一人、二人に対してパーフォーマンスしてゆくという事がベースのスタイルになっています。
闘病中の子どもたちを主役にしてあげることで、子供らしさを取り戻してゆく事が手に取るようにわかります。
事前にこれから楽しいことをするんだと理解してもらって、程よい距離感を持ちながらパーフォーマンスしてゆきます。
医療現場なので医療行為の邪魔にならないようにパーフォーマンスしています。
日常をちょっとだけ変えるスパイスだと思っています。

パフォーマンスは10分程度です。
彼らは我々が思っているよりも体力がないので短めにしています。
長期療養の中で子どもたちは自分の笑顔に蓋をしてしまっていて、我々が行くことによって彼ら自身が自分の蓋を開けるきっかけを作っていると言っているんです。
バルーンはコミュニケーションツールになっていて、仲良くなるなる道具の一つとして考えています。
失語症の子どもがしゃべれるようになったとか、動かなかった腕が動いたとか、病気が好転していったという経験もありますが、反対側のことも言わないと正しい情報ではないと思いますので、亡くなるお子さんもいますし、我々がどうにもできない状況もいっぱいありますが、ぼつぼつこつこつ淡々と続けてゆく事が大事だと思っています。

中学、高校、大学と棒高跳びをやっていました。
オリンピックを目指しましたが、当時の日本記録保持者と一緒に練習した時に、素質等の差に驚いて棒高跳びをあきらめました。
何に対してがんばったらいいのか、もがきました。
名古屋に帰って大手の鉄道会社に入りました。
自分は面白くない人間だと思っていて、自分を楽しい人間に替えたいと思っていたところにクラウン講座があって出会う事になりました。
会社にこのまま勤めてゆく事ができるのかなあと思って会社を辞めることになりました。
食べるためにクラウンの道に入りました。
技術を身に付けるのは早かったが、自分の「クラウンK」としてのキャラクターを作り上げることがとても時間が掛かり、7,8年経って仲間と活動してゆく事によって徐々にキャラクターができてきたと思います。

ホスピタル・クラウンのパッチアダムスと出会う事になります。
彼は身長も高くちょっと見は怖いんですが、心が純粋で優しくて尊敬出来る方です。
彼は医師ですが、医療行為よりも平和主義者なので戦争をなくしたいとか世界平和のツールとしてホスピタル・クラウンを選んで今も精力的に活動しています。
4年間毎年20日間近くモスクワなどを彼と一緒に回りました。
彼は目の前にいる子どもを一人だけ1時間抱きしめていて、自分としては周りにも子どもがいるのになぜかと思いその時には不快感がありました。
子どもにとってはあとさき1時間ハグしてくれるという事はないと思います。
彼は子どもの状況を感じ取って今この子にできる最大限のことをしたと思って居るんです。
僕とは対極で彼がクラウンだと僕が認めることで僕のクラウンの幅が広がると思いました。
そういった心が僕にはないかと言えばそうではないです。

クラウンの文化はヨーロッパで生まれましたが、ホスピタル・クラウンはアメリカで生まれてヨーロッパに逆輸入されて、世界中に広がっています。
世界のホスピタル・クラウンの事務局長をやっています。
アジアパシフィックと日本なのでこれらの活動の啓蒙をやっています。
クラウンの分野で2003年に銀、2008年に金メダルを、2011年には主役として模範演技をする役目を頂き、最近は審査をする方になりました。
こういった活動を増やしていきたいと思っていますが、倍ぐらいの規模にしたいと思っています。
切磋琢磨してみんなでよりいいクラウンになり、より沢山の人を喜ばせようという文化は生まれてきているので、これを大事にしていきたいと思います。
東日本大震災の被災地に行って9年経って延べ700か所近くになります。
仮設テントを作って応援しています。
ほかにも熊本地震、九州北部集中豪雨、西日本集中豪雨、北海道の地震の地域も回ってパフォーマンスしてきました。
助成金、寄付などを使ってやってきています。
被災地では笑いも優先順位は高いと思っています。
クラウン文化を広げるという事は、日本を明るく元気にすることができると思っています。