2020年1月5日日曜日

眞理ヨシコ(歌手)            ・【時代を創った声】

眞理ヨシコ(歌手)            ・【時代を創った声】
眞理さんはNHK歌の絵本の初代うたのおねえさん、その後「お母さんと一緒」にも長年レギュラーとしてご出演いただきました。
現在も童謡の良さを伝えるために全国各地でコンサートを開かれている眞理さんに伺いました。

60周年記念コンサートが行われました。
子どもたちのあり方、音楽自身も相当変わってしまいました。
昔の日本の子どもの歌から比べるとリズム感、音の範囲も変わりました。
両親が歌が好きで家の中にはいつも歌がありました。
戦争で田舎に疎開していたので、楽器もなく歌を歌う事だけでした。
両親と一緒に歌っていい雰囲気を忘れてはいません。
小学校の先生が「花のまわりで」という曲を作曲した大津三郎先生だったんです。
楽しい方法で歌を教えてくださった、いつの間にかNHKの子どものラジオの番組でお話したり歌を歌ったりする仕事を頂くことになりました。
後から考えるとオーディションだったようです。
内幸町のNHKホールでの第一回のNHKの紅白歌合戦を両親と聞いています。
かずおの音楽ノートとい番組でいろいろ著名な音楽家がスタジオに来ていろいろ演奏、歌を披露していました。
超一流の音楽を聴いてあのような人になってみたいと思いました。

中学の頃からピアノ、楽典のことを勉強するようになり、高校に入るときに 芸術高校があるというのが東京都立駒場高校でした。
専門的なことを教えていただきました。
東京芸大に進学しました。
ミュージカルが日本にも来てこういう道もあるのかと思いました。
ダンスとかも勉強しました。
シャンソンを一生懸命歌うようになり、深緑夏代さんににシャンソンの指導を受けました。
NHKの歌のオーディションを受けるように言われて「歌の広場」という番組のオーディションを受けました。
昭和36年のニューボイスになりました。(芸大2年生)
新番組「うたのえほん」のオーディションを受けて初代うたのおねえさんに就任しました。
幼児向けの番組でしたので、違う世界に入ったなあと感じました。
芸大では外国語の歌は勉強しましたが、日本歌謡学科というようなものはなく、日本語をちゃんと歌うのが難しかったです。

大学ではミュージカル、オペラなどを習っていたので童謡歌手だけになりたいとは思っていませんでした。
童謡はものすごく深いもので片手間にはできないという事を段々学んでいきました。
ほかの番組にも出るようになって、一番基本になっているのは「うたのえほん」で学んだことだと段々判ってきました。
童謡も素晴らしいものだとどんどんのめりこんでゆくんですね。
1962年に童謡「おもちゃのチャチャチャ」が1ヶ月で4万枚のレコードを売り上げるなどヒットし、第5回日本レコード大賞童謡賞を受賞する。
*「おもちゃのチャチャチャ」作詞:野坂昭如 作曲:越部信義
その後外の仕事も増えまして、TVカメラに向かって歌っていたのが、舞台で歌うようになって、観客がいっしょになってチャチャチャと歌ってくれたりして、大変なことになったと吃驚しました。

『笛吹童子』、『紅孔雀』、人形劇『プリンプリン物語』などにも出演するようになりました。
『笛吹童子』、『紅孔雀』はラジオで聞いていたのでイメージはありましたので、吹き替えは面白かったです。
『プリンプリン物語』ではヘドロという一番悪い役をやって、誰も私がやっていることが判らずそれが面白かったです。
声の演技上の間が難しかったです。
子どもと一緒に歌う事と大人と一緒に歌う童謡とは違います。
おととしが童謡が誕生して100年になります。
両親が大正の初めに生まれた人達なので童謡が動き始めたころに幼児期を迎えて、大正黄金時代を子ども時代を過ごしたので、私が生まれたころに全部私に与えてくれました。
*里の秋 作詞:斎藤信夫、作曲:海沼實

言葉に意味の深さが童謡にはあると思います。
歌う時にはそれを大事にしないといけないと思います。
若い人に対しては、歌、歌手、声優は自分の持っている声帯を使って自分の声で勝負をしますが、声音ためにあまり訓練をしないのではないかと思います。
自分の声をまず知ることと大事にする事です。
それをどいう風に使ってゆくかは自分で研究しないといけないと思います。