2020年1月14日火曜日

桑村 綾(京都料亭会長)         ・故郷へ全力で"恩返し"

桑村 綾(京都料亭会長)         ・故郷へ全力で"恩返し"
京都府の日本海側京丹後市の周辺はかつてちりめん工場が多く集まり多くの商社が買い付けに来ていました。
地元の老舗旅館に嫁いだ綾さんは経営の才覚が道められ旅館の経営を任されるようになりました。
しかし1970年ごろからちりめん産業に陰りが見えたところで心機一転、地元の旅館を閉じ京都高台寺近くの当時旅館として使われていた建物を買い取り料亭として京都市内への進出を果たしました。
その後京都駅ビルで和食レストランを開業、関西や東京のデパートで「おもたせ」と言われるお菓子、加工食品などを販売事業の拡大を図りました。
70代に入って社長の座を娘さんに譲った桑村さんの心に強く残ったのは京丹後への思いでした。
桑村さんはまず京丹後市の工場造成地を買い取りそこに植物生態学者の宮脇昭さんの指導のもと、3万本の植樹をおこない、今では「和久傳の森」と言われています。
一部の区画では山椒やシイタケの栽培をしたり、食品の工房も建設し多くの地元の人々を雇用しています。
さらに知人の建築家安藤忠雄さんの設計で画家安野光雅さんの美術館を開設、工房のそばにレストランやミュージアムショップも開きました。
又地元農家の協力を得て無農薬有機栽培の食材を育てています。
地域の活性化への取り組みや京丹後市への恩返しへの思いを伺います。

2007年に京丹後の方で和久傳の森で植樹を始めましたが、森の木が相当大きくなっています。
植物生態学者の宮脇昭さんが言われたのは多品種の木々を密集させることです。
3・11の後もそこにあった木は残っているようです。
密植して競争原理を働かせるんだと先生はおっしゃっています。
風雪に耐えて残った木は本物の木だとおっしゃっています。
56種類3万本の木を植えました。
8000坪を購入することになり、200坪の工房を建てるとがらんとしてしまいます。
宮脇先生がTVに出ていたのを見まして相談に伺いました。
先生の苗木は380円と500円ですと言われて、それならできるということで植え始めたら森になってゆきました。
「和久傳の森」という名前を付けました。
工房も狭くなり増築すると森に申し訳ないという思いもあり、たまたま空いた隣にある3500坪のところに増築しようと思いまして、植樹もして観光の一環として見ていただく工房にしようと思いました。
根本にあるのは丹後を知っていただきたいという事です。

丹後ちりめんができたのは桑があるという事で、桑の商品をゆくゆくは作っていきたいと思いました。
生産の森という事で山椒、シイタケ、みょうがなどを作っています。
指導してもらって米も無農薬でやっています。
蟹の甲羅は土壌改良によくて粉砕して入れると、スイカなどは甘みを増します。
自分のところで作ったものが加工され販売されるという、6次産業になっています。
第一工房を改装して1/3ぐらいをレストランにして工場を見ていただくための人寄せとして作りました。
安野光雅さんが洛中洛外を描いている最中で、丹後の絵も描くと言ってくださいました。
絵を買っていまして、安野先生の美術館を作りたいと思いました.
安藤忠雄さんにお願いしようと思って、来てくださって安藤さんが森を見てそれに感動して引き受けていただきました。
お二人が意気投合してくださいました。
安野さんの絵だけではなくて、安藤さんの建築も見に来られる方もいます。
地元のものを簡単に食事してもらうという事にしています。
従業員は店舗、本社などを含めて150人ぐらいになります。

和久傳は明治3年からやっていますので、丹後ちりめんと共に歩んできましたので 丹後ちりめんが衰退してきて丹後ちりめんは地元でもできますが、私どもはほかでもできるという事で思い切って京都進出を考えました。
和久傳は丹後の象徴だから出ないでくれという声もありましたが、いつか帰りますという事で考えていました。
全体的に着物離れは否めないと思います。
ちりめん産業に替わる食産業を作っていきたいと思っています。
お中元、お歳暮時期は普段の2倍以上の忙しくなるので、ばらしてくださいということで梅雨見舞いということでやったら、夏には緩和されました。
工夫をして働き方改革をしていきたいと思っています。
11月には小春日伺いとか春にもとか、日本語にはいい言葉がいっぱいあるのでそういう風に進めていきたいと思います。

蟹を焼いてみたら物凄く甘くてこれが当たりました。
冬の時期にやっていてそれ以外は普通の料理です。
丹後は出旗方式で親旗は生糸を持って行って、お宅は夏物、お宅は無地ですなどといって織っててもらいます。
織ったものに対して工賃を払うわけで、私はそれを食に生かそうかと思っています。
そうすると好きな時間だけ働けるわけです。
調理場はこちら側が作って、工賃の中から返却していってゆくゆくは自分のところのものになる訳です。
一生懸命考えるとひらめきが出てきたりします。
坂東玉三郎さんの鼓童を和久傳の森の10周年記念に来ていただいて、鼓童の皆さんとご本人も来てくださいました。
舞いも地元の人に見てもらいたいという事で、舞踊公演をしたら全国からファンが集まってきました。
5年間丹後に公演していただきました。
恩返しという意味で土壌がいいので食産業を広めていきたいと思っています。