2020年1月21日火曜日

原田信子(ハンセン病家族訴訟原告)    ・これ以上、私たち家族を苦しめないで

原田信子(ハンセン病家族訴訟原告)    ・これ以上、私たち家族を苦しめないで
ハンセン病に関する誤った隔離政策で家族も差別され深刻な被害を受けたとして、元患者の家族500人余りが起こした集団訴訟、去年の9月熊本地方裁判所は国に賠償を命じる判決を言い渡しました。
これを受けて国は控訴しないことを表明、元患者本人だけでなく家族が受けた損害についても国の責任を認める初めての判決が確定しました。
ハンセン病遺族、家族の会であるレンゲソウの会の創立メンバーであり原告団の中心的な一人、岡山市に住む原田信子さんは北海道出身の76歳、7歳の時ハンセン病だった父親が突然強制的に施設に連れて行かれました。
その後待ち受けていたのは想像を絶する偏見と差別の連続だったといいます。
これまでどんな被害を受けてきたのか、裁判を終えた今、社会に対し何を思うのか伺いました。

小学校2年生になったばかりの時に、家の中に入れないほど真っ白になるまで消毒されました。
雪と間違えたので、消毒がショックでした。
父がどういう風に連れていかれたのかは記憶に残っていないです。
周りの人は言葉も掛けてくれないし、近づいても来なくなりました。
近所づきあいは一切なくなりました。
学校では一番前に座っていましたが、一番後ろの出口のそばに机が置かれました。
虐められて段々学校に行くのも嫌になりました。
友達とも会う事もなく遊んでもくれないので、全然友達がいなかったです。
親子の写真もなく残念です。
父親はごろごろしてるばっかりでした。
母はすぐに職場が首になりました。
母は蕗をとって行商にいきました。
子どもの時には食べれない時もありました。
母は段々死ぬことを考えるようになりましたが、私は嫌だと言っていました。
母には兄弟が10人近所にいて、行き来はしていましたが、来ないでくれと言われてしまいました。
私は部屋の中に一人でいつもいました。

学校を卒業して、会社でも父のことを書くようなところには勤めていませんでした。
書かなくてはならない時には亡くなったという事にすればよかっただけです。
そうしないと生きていけませんでした。
結婚して子供が生まれて間もなく酒を飲むと暴力を振るうようになり、前歯を4本折られたり、バンドでたたくやら、会社で何か面白くないことがあると、お前の親はこうだから出世できないとかという事ばっかりでした。
お酒を飲むといつもびくびくしていました。
その後離婚しました。
父には年に2回は行っていました。
私が苦労して子供を育てていることを知っているので、父に会いに行くと郵便局の貯金通帳に入っているからそれを下ろして来いという事が一番最初に言う言葉でした。
父とはいろんなことで言い争う事が良くありました。
もう来なくてもいい直ぐ帰れと言うんです。
優しくしてもうすこし父のそばでゆっくり話す時間を取ればよかったと今は思いますが。
父が亡くなってしまいましたが、後悔してももう遅いので。

2001年に熊本地裁の判決があり、ハンセン病の元患者本人への補償が決まりましたが、聞いた時に勝ったからと言って嬉しいとは思わなかったです。
小泉首相が謝ったという記事が出ましたが、まだ偏見差別は消えないです。
職場の3人親しい人に父のことを言ったら、付き合いが無くなってしまいました。
国の判決が出たからと言って一般の人には関係ないじゃないですか。
今でも変わっていないと思います。
ハンセン病に関する会合があり、ある患者から熊本に家族の会があることを知ってレンゲソウの会があり7人いました。
一時期50人ぐらいました。
レンゲソウの会は癒しの集まりでした、同じ境遇の人たちなので気が楽になりました。
8人で家族訴訟に関して立ちあがりました。
精神的には家族の苦痛もありますので。
原告は500人以上に膨れ上がりましたが、名前と顔を公表する人は数人しかいなくてびっくりしました。
偏見が怖いからみんな顔を出せないんです、子とか孫に影響があると思うので。

私は名前と顔を公表して、隠れてやっても伝わらないと思いました。
強制隔離の時代がずーっと続いていたので、根が深いです。
今回安倍首相が自分の気持ちで謝ってくれ、一人一人に握手してくれて、それは本当に良かったと思います。
本当にうれしかったという気持ちは湧いては来なかったです、今でも偏見差別されていることがあるので。
言葉で聞いたぐらいでは多分理解できないと思います。
ハンセン病患者の人も公園に行くような人も出て来ましたが、中のことをしっかり見ないと真からわからないと思います。
本当に理解するんだったら一緒にご飯を食べたり一緒にお風呂に入ったりしないと理解できないと思います。
ハンセン病は患者さんがいなくなったら自然に無くなっていくと思うが、まだ患者さんがいるし療養所もいっぱいあるのでまだ偏見差別をなくすのは難しいと思います。
自分の目で見て判断してくれれば判ってくれると思うが、言葉で言っても判らないと思います。