2020年1月1日水曜日

塩野七生(作家)             ・ローマ以来の世界史からみる2020年

塩野七生(作家)           ・ローマ以来の世界史からみる2020年
古代ローマ史の語りて、ヨーロッパ文明誕生の源である地中海世界を描き続けている作家の塩野七生さん82歳。
日本を離れて56年、イタリアローマに住まいを定めて、西洋史の原点に当たって調べ、地中海を取り巻いて盛衰する諸民族の歴史小説を書き続けています。
塩野さんの作品にはギリシャ文明から古代ローマ帝国の滅亡、中世から近代の始まるイタリアルネッサンス期まで長大な歴史の流れと様々な欲望が渦巻く中で、野心と名誉心にあふれ時代を切り開いてゆく英雄たちの姿が生き生きと描かれています。
アレクサンダー大王カエサルフリードリヒ2世などこれら時代の英雄たちの構想には21世紀の今日私たちが考えなければならないリーダーの在り方が見て取れるといいます。
2000年を越える文明史的な大きな時間軸から歴史を振り返り来る新しい時代を塩野さんと考えていきます。

イタリアではクリスマスが一番重要な行事です。
大晦日は広場に集まったりして大騒ぎします。
休日は一日だけで二日から仕事をします。
はじめてヨーロッパに行ったのが1963年です。
1年で帰るはずでしたが、ずーっと居座ることになりました。
紀元前1000年として紀元後1500年、2500年間地中海はヨーロッパ文明の中心でした。
1571年にレパントで海戦が行われました。
キリスト教世界とイスラム世界の間の大海戦がありそれから17年後に大西洋でイギリス海軍と、スペインの無敵艦隊がぶつかり、イギリスが勝って、この時からヨーロッパの中心は大西洋に移る。
日本とロシアが戦った日露戦争、日本とアメリカが戦ったミッドウエー、あそこで世界の中心は太平洋に移った。

地中海はダイナミックではないが美しいです。
文明は別の文明と刺激しあって発展してゆくが、ちょうど刺激しあうのに都合のいい距離なんです。
キリスト教世界とイスラムがぶつかった一番大きな戦争、十字軍、あれだって物凄く遠ければぶつからなかったはずです。
地中海はいろいろなものが刺激しあって交流しあって、そういったものが凝縮されて一番適した区域、広さなんです。
新しい文化、文明は絶対に異文化との交流がないところに生まれません。
最初にアテネが生まれたのではなく、オリエントと、ギリシャが接触したところからギリシャ文化、文明が生まれアテネで全開するわけです。

カイサルに出会ったのは調べて勉強した後です。
カイサルは政治家とあると同時に軍人でもあります。
瞬間判断できる力とじっくり考えて作戦を練る、両方持っていた。
どういう生き方をするかという事で、彼は世襲の貴族の出で、人よりは優れた素質を持っていて、そうでない人が大勢いるわけで、そういう人たちのために自分の意思を使う。
ストイックとは自分の仕事には完璧に責任を持ってやる、ということです。
私は自分の仕事に関しては相当にストイックだったと思います。
私が過ごした頃の東京山の手の家庭には「しつけ」というものがあり、学校での出来に関係ない、「みっともない真似はするな」、つまり見苦しい振る舞いはしない、ここには正しいか間違っているかは判断は介入しません。
スタイルという言葉があるが、姿かたちが美しいというわけではなくて生き方ですね。

虚栄心と野心は違う、野心野望は何かをやりたいという思いで、虚栄心は人からどう思われるかよく思われたい、これが虚栄心。
全員がこの両方を持っている。
どちらが大きいかそれは人それぞれです。
やり遂げるまで何かを犠牲するのではなくてそれは手段です。
犠牲とはもっと崇高で自分が死んで息子を生かすとか、他の人を助けるために自分が死ぬとか、それが犠牲だと思います。
目的のためには有効ならば手段を選ぶ必要はないと言っています。
暗黒の中世が500年ぐらい続きます。
十字軍が撤退したのはキリスト教勢力です。
あの時代にヨーロッパの最初の大学ができてきます。
イスラムを研究する学科ができた、我々はなぜ負けたのかという疑問です。
イスラムは勝ったからキリスト教を勉強することをしなかった。

フリードリヒ2世、日本では彼のことを誰も書いていない、かっこよかったから書きました。
エリートと自覚している男で、東と西の区別を越えた男、ボーダーレスだと思います。
普通にローマのカトリック教会と喧嘩をしなければ、ど真ん中にいた男ですが、ど真ん中にいたくせに喧嘩をしてしまう。
喧嘩をすることもも好きです。
既存の体制とかに対して疑問を持って、それを変えたいと思う男は好きです。
自分の目で見、自分の頭で考えて自分で判断する、これはルネッサンス精神です。
それまでの精神に反旗を翻したわけです。
フランチェスコはそれまでのキリスト教の宗教は罰をあたえる宗教で、彼は神はもっと優しい我々を許してくれるとしている。

法律というものは2種類あって、神が定めて予言者の口を通じて信者に与えたもの、旧約聖書、コーランとかで、もう一つは法律はいろいろ違う人間がともに住むものだからともに住めるようなルールを作りましょうと言って、人間が人間達のために作ったのが法律、この典型的な例がローマ法です。
神から与えられた法は変えてはいけませんが、時代が変わり人間が生きてゆく状況が変わった場合は変えていいんです。
フリードリヒ2世はメルフィ憲章を作った。
中央集権体制で、なぜキリスト教とぶつかったかというと、それまで命令するのは神だったが、困ってしまった。
封建領主が個々に離れている方がローマキリスト教会としては統治しやすかった。
中央集権国家となってしまうとキリスト教会は困ってしまうので、これがフリードリヒ2世
が破門された原因です。
フリードリヒ2世は政教分離をしようとした人だと思います。

羊飼いがいて群れをコントロールするが、どこでいい草があるか羊飼いが集まって合意した方がいい結果が得られると思っているのが民主制ですが、現実に民主制が機能したのはこれは優秀なる羊飼いがいたときです。
指導者の役割は今は大変な時だがしばらくは成果が出ないがいつかは出ると、こう言い聞かせる力を持つのがリーダーです。
ポピュリズムは大衆迎合で、そこの欠陥はリーダーがいないので不安になる訳です。
あっちに行ったりこっちに行ったるすると成果につながらなくなって、ますます人々は不安に駆られて、実現性は無いんだけれども強いことを言うリーダーが出てきた時にそれにくっついてしまう、これが一番怖いことなんです。
何かをよりよくするためには苦労しなければならないことは知っているが、喜んで苦労させるのがリーダーです。
喜んで生きていきたい、それを与えるのがリーダーで、希望を与えることです。

社会が一番いい状態は格差がない状態ではなくて、人はそれぞれ違っていて、一番いけないのが社会の階級が固定化されることで、格差が固定化されることです。
絶対王政になって格差が固定化されから、格差固定が一番いけないんです。
他の視点を入れる、これは日本は重要で、純粋培養は絶対出口なしになります。
新しい文明、新しい改革は異分子との接触のところしか生まれないという感じがします。
もう一度自由という事の尊さを考えていただきたいと思います。
一番いけないのは自由を乱用すること、そうすると自由がなくなる結果になる。
人間にとっての最高の価値は自由と平和、この二つだと思います。