2020年1月23日木曜日

秋田麻早子(美術史研究家)        ・【私のアート交遊録】絵の見方、教えます

秋田麻早子(美術史研究家)      ・【私のアート交遊録】絵の見方、教えます
秋田さんは絵の見方は教えられるかをテーマに研究し、一般を対象に絵の技術を学ぼうという教室も開いてきました。
展覧会場で絵を前にしてその絵のどこに感動し納得したら良いのか、悩む人は今も数多く絵は好きなように見たらよいという声もあります。
秋田さんも確かにどの絵を好きになりどう見ようと自由ですが、自分がその絵のどういう特徴に惹かれ、どこに何を感じているのかが判れば、自分の価値観、美意識を把握する糸口になる、さらに自分を知り他者を知る手段にもなるといいます。
名画を自分の目で見る方法を広めることで、美術を好きな人が自分の言葉で芸術や美について語れる世の中にしたいと語る秋田さんに、絵を見る技術、自分の美意識を知るための方法などについて伺いました。

一緒に暮していた祖母が日本画をやっていました、日本画の展覧会などに私が幼稚園の頃から必ず連れて行って、画家、画材などについて説明してくれてました。
祖母が亡くなったのが大学卒後でした。
親戚でも絵を描く人が多くて、私自身絵を描くことが好きでした。
描き手の目線で祖母はよく解説してくれました。
絵は漫画とかと並行して刺激されていました。
歴史、人類学的背景とか、美術史的なところにも興味を持っていて、日本ではあまり大学ではなくて、アメリカに行きました。
性格的にやってみてから決めようみたいなところはあります。
アメリカに行って美術史という学科は世界中の美術文化を扱う先生が来ているので、小さい国際都市みたいな感じでやりたいことをやり、やりたいように学びたいことを学び自由にやってきました。
大学時代は実技を美大に行ったと同じようにやりながら、西洋美術史も二重専攻して美術を勉強しました。
古代が中心でしたが、現代までの通史も勉強しました。

「絵を見る技術」というタイトルの本を出版しました。
最初は仮としてつけていましたが、最終的にこうなりました。
構図の見方、「モナリザ」では例えば薄い肌色の洋服を着ていて背景が肌色だったらぼやーとしてしまいます。
黒い服を着ていたり、背景は顔よりも色がついていたりして、顔がちゃんと目立つように描かれている。
当たり前だと思っていますが、プロの人が描くと顔のところに目が行くようにほかの要素を抑えてあったり、目立つところを目立つように配慮している。
長方形の上の方に顔があって視線を下すと手があって、目を引くような形で描かれている。
背景をみると背景も描かれていて、1、2、3の順番で目が行くように誘導されている。
描く人にとってはゼロから描くとなると工夫して、細かく構成されていて長時間見るに耐えるように要素が構成されている。
ほかにも凄さはいろいろありますが。
絵の形や色からどんなふうに表現されているのか目を通してみて、それと耳や言葉で知った情報とかが組み合わされた方が実感が伴ってきて楽しいと思います。

ピカソの「泣く女」、いいものであれば即わかるはずだと思いますが、我々は日本で育ってその文化があり、明治以降で西洋文化に接してきました、ピカソの絵は専門的な知識があれば判るかもしれないが、歴史的経緯、デザインとか専門的なところに価値がある場合は、観てすぐには判らないことで自分をそんなに責めないでほしいという気持ちが凄くあります。
「泣く女」、なんでピカソを見て凄いと思えないかというと、ピカソは下手くそだと思っていると思う。
蒔絵などに抽象的な語りを取り合わせたりしているが、形や色の取り合わせ、線のバランス、写実的な絵が絵が描かれているかどうかというところに、力点を置いていない作品というものが一杯あると思います。
ピカソは写実的に描こうとはしていない。
物事をいろんな角度から見たものを、その体験を平面にならべて描く。
絵はバランスがとれていないといけない。
絵の形とか色味で人間は何となく重みを感じてしまうわけです。
想像上の重みがあって、絵のなかにも想像上の重みがあって、それが拮抗されているかどうかが絵の中では非常に重要な要素になっています。
ピカソは絵の中で色、線とか形の配置の仕方でちゃんとバランスが取れたりしている。
デザイン的観点で見ると、見るに耐えるバランスの取れた構成に仕立てている。

「オフィーリア」 ミレイ
まず女性の顔に目が行くと思います。
この絵を説明するときには白黒にして見せます。
色の綺麗な絵ですが、何故白黒にするかというと、人の目が引きつけられるところは白黒のコントラストの激しいところに目が行きます。
情報量を下げるために白黒にしたものを見せると、あの絵でオフェーリアの顔だけが白くぼーっと浮かび上がるのが判るわけです。
よくよく見ると顔の周りに自然な感じで描かれている枝、葉っぱ、洋服だとかがオフィーリアに向かってまっすぐ伸びていて、オフィーリアが強調されるように構成されている。
自然に見えながらも細かい配慮でいろんなものが主要な人物の顔と体に向かって、線が集中線のように向かうような構成になっている。

絵を見るのにいろんな要素がありますが、まず見ましょうという事が大事です。
自分の素直な感覚を抑制する必要はないと思います。
美術館での特別展、企画展示がありますが、常設展、地方には小ぶりの美術館があります。
それぞれ観方、過ごし方は違うと思いますが、特別展の場合はお目当ての作品を集中して観ることがいいと思います。
常設展の場合にはゆっくりと観て好きなものを探す、逆に自分が好きになりそうなものを見つける場所としてご覧になったりするだけでもいいと思います。
ざーっと観るんだったらインターネットでも観られるし、本当にじっくり見るんだったら狙った作品をじっくり時間を掛けるのがいいんじゃないかと思います。
第一印象も大事ですが、徐々に掘り下げていってその対象を知るわけで、人のことを知ってゆくのと似ています。
好きな絵は何らかの形でそれを自分の中に反映していると思うので、観ることを通してそれに惹かれる自分の内面を観てゆく事でより一層絵との関係というのが深まってよく見えてくるものが多くなると思います。

美術館だけではなく、街、例えば本の表紙もデザイナーさんがやっていて、技術的な基礎は同じであり、表紙を観ることもも絵画を観る時と同じような観点で見ていろいろ発見すると思います。
言葉ではない色や形で我々にメッセージをコミュニケートしていて、それを私たちは読んでいるんだという風に考えると、絵とデザインは色、形、線を通してメッセージとして伝えてきていて、それを私たちは読みとるんだと考えるとコミュニケーションだと思います。
90分ぐらいの講座があるんですが、今まで見えていなかったが見えてきたりする、来る前と来た後では違う人間になってくださいと言ってます。
自分の体験を洗い出して展開しました。
言葉の情報に対しては分析的に考えて取捨選択ができると思いますが、視覚的な情報に対しては漫然としていたのではないかと思います、文字と同じ様に意図されて使われているという事が判ると、主体的で自分の判断に責任が持てるような技術なわけですし、指針のようなものを多くの人が身に付けたら、情報にさらされる中で溺れることなく泳げるようになれる人が多くなればいいと思います。