2019年12月6日金曜日

森雪之丞(作詞家・詩人)        ・カッコいい日本語のミュージカルを!

森雪之丞(作詞家・詩人)        ・カッコいい日本語のミュージカルを!
森さんは昭和29年大阪生まれ。
小学生のころ東京に移り、東京都立大泉高校在学中に本格的に音楽の活動を始めました。
上智大学に進学しましたが、音楽の世界で生きてゆく事を決意して中途退学、22歳のときに当時絶大な人気を誇っていたザ・ドリフターズの『ドリフのバイのバイのバイ』で作詞家デビュー、その後はアイドルへの歌詞の提供やアニメソングで数々のヒットを飛ばし、1990年代以降は布袋寅泰さん、ヒデさん、氷室京介さんなど多くのロックアーティストと仕事をするようになります。
その後ブロードウエーミュージカルの日本公演にかかわるようになり、最近ではミュージカル作家としてもご活躍です。

2016年に作詞家生活40周年を迎えました。
40周年を迎えたときには2400曲あまり、現在は2500曲になりました。
子ども時代には草野球をやったり典型的な子どもだったと思います。
弟とピアノのレッスンにも行っていたんですが、ピアノは弟に押し付けて野球の方に逃げていました。
プレーヤーを自分で買ってそれからが自分の音楽生活だったと思います。
グループサウンドに惹かれ、フォークも盛んになりギターを弾いていました。
大泉高校に行って軽音楽同好会に入会しました。
シンセサイザーで活躍された深町純さんが何級か上の大泉高校の先輩で、深町さんが先生とやりあって軽音楽同好会が発足しました。
デヴィッド・ボウイが初来日して、漢字を使ったり黒子を使ったりして目からうろこでした。
ひょっとしたら日本にも面白いものがいっぱいあるのではないかと感じました。
自分の中に新しいものを作りたいという意思表示みたいなことで森雪之丞という名前を付けました。

髪の毛は胸まで伸ばし10cmぐらいのハイヒールを履いてギターを抱えていました。
譜面の勉強を一杯しました。
色んな言葉を探すと英語に近い日本語が沢山あるので、ある時期沢山研究しました。
日本語はロックにならないといわれていましたが、ビート感での乗せられることを自然に身についていきました。
ミュージカル的なことをやりたかったので、普通のバンドより演劇的な要素のある11人編成のバンドを作りました。
メンバーには窪田晴男、五十嵐薫子(現・香瑠鼓)、村田陽一、ラッキィ池田など、個性の強いメンバーが集結しました。
作詞は自分と向かい合うために夜書きます。
ライブハウスでの朗読のために詩を書き下ろして、ライブハウスでの朗読を始めました。
詩集も何冊かつくりました。

『天使は瞳を閉じて』という作品をミュージカル化したいという話があり、作詩、音楽プロデュースを頼むといわれて、8人ぐらいに割り振ってやったらできた作品が楽しくて愛おしくて、こういう形だったら自分が舞台の中で何かやれるのではないかと感じ、ブロードウエーに行って何本も見てミュージカルが楽しくなっていきました。
メル・ブルックス監督のタップダンスを踊るシーンがありましたが、2列目で見て物凄くでかくて圧倒されました。
ブロードウエーの訳詞の仕事がいくつか来て、レクチャーを受けてスタッフの作品にかける気持ち熱さが伝わってきました。
舞台『五右衛門ロック』を書かせていただいて、オリジナルで日本でも素晴らしいものができるんだというのをいのうえ ひでのりさんとともに劇団☆新感線の舞台の作詞を手がけました。
劇団☆新感線と付き合うなかで、自分がやりたかったロックオペラを作れるかもしれないと思いました。
いのうえ ひでのりさんと相談して、布袋寅泰さんに手伝ってもらいたいと話を持ちかけました。
2012年、執筆に3年かけた処女戯曲作、雪之丞一座〜参上公演『サイケデリック・ペイン』(音楽:布袋寅泰 演出:いのうえひでのり)を発表しました。

岸谷五朗さんと何かやりたいと思って、ブロードウエーを舞台にした本を書いて、2013年に上演しました。(演出 岸谷)
僕の本があって演出家が考えてくれるのですが、最終的な答えは演出家に渡さないと80人は纏められないという事はあると思います。
音楽ありきの芝居なので理解してくださる演出家と一緒にという事になるかと思います。
今年2本新しいミュージカルを上演「怪人と探偵」、1950年代のアメリカのブロードウエーが舞台の「ロカビリージャック」。
プレスリーがいての今のロックに繋がってるところがあると思う。
今回、斉藤 和義さんに8,9曲書いていただきました。