黒田泰三(明治神宮ミュージアム館長 ) ・【私のアート交遊録】美術を楽しむ自由な目とは?
黒田さんは1954年福岡県生まれ、日本近世絵画史が専門です。
出光美術館学芸部長や理事を経てこの10月に明治神宮ミュージアム館長に就任されました。
明治神宮ミュージアム館は来年に鎮座100年を迎える鎮座100年祭の一環として開館しました。
設計は新国立競技場を手がけた建築家の隈研吾さんです。
ご祭神の明治天皇、昭憲皇太后ゆかりの品々をはじめ、明治神宮宝物殿からご祭神ゆかりの品々を移して収蔵しています。
館長に就任した黒田さんは学生時代から40年余り日本美術史を研究を続けています。
アニメの先がけともいわれる伴大納言絵巻、日本人が大好きな長谷川等伯の松林図屏風、伊藤若冲の動植彩絵などを例に黒田さんに自由な目で見ると、どう日本絵画の面白さが増すのか、明治神宮の宝物の持つ魅力と合わせて話を伺いました。
専門が日本近世絵画史。
子どもの頃からを絵を描くのが好きでした。
小学校6年生の時にスケッチをするときに、当時さびれた街の絵を描いたら先生が私の色使いをとても心配しました。
黒、暗いグレー、焦げ茶色とかを多用したら、この子は問題があるのではないかと親が呼び出されました。
中学でも田園風景をスケッチに行ったときに書きたかった遠くの山を小さく書いたら、大きく書かないと伝わらないといわれて、エッと思ったんですが、葛飾北斎の富士山も小さく書いているので、後から思うとそれでもよかったんじゃないかと思いました。
高校の時に美術の授業で石膏を使ったデッサンをやっていた時に、線で立方体をかいたら「黒田、世の中に線というのは無いんだ、全部面の組み合わせなんだ。」といわれて、面白いと思いました。
大学では美楽美術史という研究室に入りました。
母が鉛筆で絵を描くのが好きでした。
大学が福岡にあったので福岡周辺お寺の仏教美術の調査をやっていて、毎週お寺神社に行っていて、日本の美術が肌に合ったようでした。
浮世絵が好きでしたが、日本近世絵画史の道に行きました。
平安の絵巻、鎌倉の水墨画、室町の屏風など美の変遷みたいなことを日本美術史を学びながら知ることになりました。
日本人の表象能力の可能性みたいなことをずーっと考え続ける学問だと思ったので刺激的な内容だと思うようになって、取り上げる作品が生まれた時代が平安から室町と広かったので、日本美術史を総覧できるような美の変遷を考えることができたので 、日本人はいろんなことを考えて、いろんな形や色を使ってその時々に受け入れれることを知ることができて、幸せな時間を与えくれたような気がします。
日本近世絵画史としては、まず狩野派という画家集団があって250年ぐらい画壇を引っ張っていくわけですが、いい場面、悪い場面が、狩野派がいたことによって美術史が染まってゆくところもあります。
安土桃山時代から江戸初期にかけては狩野派が優れた表現力、アイディアだったが、その後マンネリ化の批判を受けるようになる。
その前、狩野永徳、狩野探幽の時代に、アンチ狩野派がいたから全体が面白く豊かになって行くという事を初期の日本近世絵画史から学びました。
私が学芸員になりたてのころは全く日本美術には興味を持たれていない時代でした。
それを思うと隔世の感があります。
絵巻、伴大納言絵巻はアニメの源流という言い方をすることができる。
伊藤若冲、江戸時代後半(狩野派がマンネリ化する)アンチ狩野派の花が咲くが、ポップアート、軽い色彩、ちょっと形が加工された面白さというところに惹かれているようにも見える、現代のアートに通じる要素だと思う。
長谷川等伯の松林図屏風、人を癒す力があると思いました。
濃い墨と薄い墨を絶妙に組み合わせていって、観ていて心を落ちるかせるような墨の使い方、筆の使い方があると思います。
長谷川等伯の心の風景ではないかと思うようになりまして、一番プレッシャーを受けた仕事が京都の智積院に残っているが、その前に祥雲寺というお寺のために書いて、それがそっくりそのまま残っているが、秀吉の子ども鶴丸が3歳で亡くなりその菩提寺になっているが、それまで狩野派が秀吉関係の仕事を全部やってきていた。
しかし長谷川等伯に依頼が来た。
長谷川等伯には狩野派を越えたいという野望があり引き受けたがプレッシャーを感じた。
秀吉に駄目だと言われたらそこでおしまいになるし、3回忌の法要という時間の期限もあるということで凄いプレッシャーになった。
自分自身に対するやって行けるかという根本的な不安もあり、命がけという思いがあり、そういった時に松林図屏風を描いたと思います。
観る人にそういったなにかを訴える力がこもっているんだと思います。
絵の中に入るようなつもりで絵を見る。
例えば松林図屏風を見る時に、松林図屏風という世界に自分が入って言ったらどうかという事を考えるわけです。
絵との距離が縮まる感覚が味わえる。
絵の中に書いてるものをひとつづつ言葉に置き換えていけば、画面の中に近づいていく感覚になれると思う。
一つ一つのモチーフを自分の言葉で語ってゆく。
例えば松林図屏風を見る時に、一番右にちょっと左に傾いた松がある、その左にちょっと薄めの松の木がある、五本松の木があるとその左に余白がある、その左に又松の木がある、松の木の特徴、枝の本数、葉っぱの書き方が激しいとか自分で気が付いたことを言葉に置き換えてゆくと、絵までの距離が無くなる感覚になってゆく。
掛け軸の山水図は下から見て行く暗黙のルールがあるので、下から順番に同じようにしてゆくと、十分楽しめます。
明治神宮ミュージアム、明治神宮を知っていただく、明治神宮の森を知っていただくための情報を発信する場所としての施設です。
宝物殿が国の重要文化財になり建物を守らなくてはいけない、別館も展示環境が万全ではないという事もあり、明治神宮も来年鎮座100年を迎えるという事もあり、新たな展示施設、保存施設を作りたいとうう事で明治神宮ミュージアムを作ることになりました。
、明治時代の歴史的な側面だけではなくて、形あるものの美しさを通して明治神宮への理解、明治天皇、皇太后への理解を一層深めていただきたいと考えるようになりました。
明治天皇のおめしになったもの、皇太后のおめしになったドレスなどしっかりできていて細部が非常に美しいという事を伝えたいです。
日本の美の特徴は細部にこだわったことにあると思います。
日本人の自然観、神秘的なものに対して畏敬の念を持つ、自分は謙虚なものとして自然に接するという事を思い知らされた気がしました。
折り目正しさが細部に美を宿らせているという事を、支えているのではないかと思うようになりました。
明治神宮ミュージアムに来た人日本人、外国人に折り目正しさを知っていただければと思っています。
明治天皇が乗られた馬車(6頭曳き儀装馬車 イギリス製)が好きですね。
木があると
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