2019年12月18日水曜日

久木留 毅(国立スポーツ科学センター長) ・【スポーツ明日への伝言】世界最強の競技力を目指して

久木留 毅(国立スポーツ科学センター長) ・【スポーツ明日への伝言】世界最強の競技力を目指して
オリンピックや世界選手権のような世界最高峰のスポーツの大会でメダルを取れるような競技力はどうすれば得られるのでしょうか?
競技力向上を目指す日本の最先端の機関が日本スポーツ振興センター「ハイパフォーマンススポーツセンター」です。
ハイパフォーマンススポーツ戦略部長で国立スポーツ科学センター長の久木留さんに伺います。

オリンピックや世界選手権のようなトップのスポーツをハイパフォーマンススポーツと呼んでいます。
世界で一番を目指してゆく人たちをサポートとして行く組織です。
科学、メディカル、ハイテクノロジーなどの分野からサポートしてゆきます。
ハイパフォーマンススポーツはかなり選ばれたアスリートたちです。
陸上の100m、水泳の100m、スケートの500mなども高速化しています。
技の難度も前回の東京オリンピックではウルトラCでしたが、今ではウルトラIまで行っています。(9段階上がっている)
様々な競争の構造の変化が起こっていると思います。
2015年にスポーツ省ができて日本では大きく変わってきていると思います。
2001年に国立スポーツ科学センターができて、2008年にナショナルトレーニングセンターウエストができて、2019年にナショナルトレーニングセンターイーストができました。
施設が一体化されてきました。

運動、栄養、養休とありトレーニングをして栄養を取り休養をする、リズムとタイミングが必要です。
栄養を摂るタイミングがあります。
トレーニングをすると、体の中に成長ホルモンが出てきます、速やかにたんぱく質(肉、魚、納豆など)を取り入れることで筋肉合成が促進する考え方があり、トレーニング後30分以内と言われています。
休息が入り睡眠をすることで成長ホルモンが出て、たんぱく質が促進するという理論があるわけで、理論に基づいて考えたときに、運動、栄養、養休それに加えて医学的なサポートをするという一体的にとらえることが大事になります。
施設が近いところにあることで一体的に使ってゆこうというものです。
ハイパフォーマンススポーツカンファレンス、いろんな展示やディスカッション、そのテーマが実に多彩です。
プラットホーム的なことを構想として考えています。

減量、どういった形で減量してゆくのがいいのか、スポーツ栄養の専門家がアドバイスしていきます。
根拠に基づいたアドバイスをしてフィードバックしてゆく。
ヘッドコーチがどういうパフォーマンスをその選手やチームにさせたいのかがポイントになります。
それを聞いて我々スタッフがそれに合う測定をしてそれに合うトレーニングを提供してゆく。
ラケット系、雪上系、氷上系、記録系とか系に分かれたグループがあり徹底的に研究してサポートするシステムにしています。
トレーニングのグループ、栄養、心理などのグループがあり、縦と横でうまく細分化しながらアスリート、チームを作っています。
技術系では特徴のある施設を持っています。
MRI、低酸素室(トレーニング室、宿泊室)、環境制御室(温度、湿度などを変えたりする場所)、風洞実験棟という様な施設もあります。
高地馴化を施設で行って、試合に入って行けるようにすることも行えます。

ほかの競技にもということで横の展開もしています。
成果が出始めていると思います。
ラグビーでは8年ぐらいかかりりましたが、GPSをつけて距離、スピード、トレーニングの量を測ったり、動きをGPSで見てゆきます。
科学を駆使してトレーニングとケアをやっています。
次の試合との間におけるリカバリーが凄く重要になります。
冷水浴にどのぐらい浴びなくてはいけないのか、マッサージの時間、栄養などの組合わせを考えていかないといけない。
ここ数年のキーワードはまさしくリカバリーです。
リカバリー(回復力)の中で一番大事なのが、栄養と睡眠と言われています。
睡眠の質を如何にあげていくかという事も考えられています。
2012年ロンドン大会ではイギリスではどのマンション群をイギリスの本拠地にするか考えて、シングルルームが多い棟、エレベータが多い棟を徹底的に考えたといいます。

私は和歌山県出身。
1981年 和歌山県立新宮高等学校入学、レスリングを始める。
1984年 専修大学商学部入学。
1992年 旧ソビエト連邦の国技のサンボ日本代表として世界選手権出場 3位となる。
1993年 同日本代表としてワールドゲームズに出場。
1993年12月から1996年5月まで国際協力機構・青年海外協力隊に参加、シリアに行く。
帰国後、筑波大学大学院体育研究科(体育学修士の学位を取得),法政大学大学院政策科学研究科(政策科学)の学位取得、筑波大学大学院より博士(スポーツ医学)の学位取得。
2012年 ロンドンオリンピックでレスリングナショナルチームのコーチ兼テクニカルディレクターを務める。
2016年 日本スポーツ振興センターハイパフォーマンス戦略部部長( − 現在に至る)
2018年 国立スポーツ科学センターセンター長( − 現在に至る)

スポーツが盛んな高校で誘ってくれた先生がいて、レスリング部に入りました。
ビクトル古賀先生がサンボの世界チャンピオンでその先生と懇意にしていた先生からサンボを誘ってくれました。
レスリングの指導で青年海外協力隊として参加しました。
当時のシリアは安定していて親日的でした。
そこでいろんな方と知り合いになり、財産の一つになりました。
レスリング、サンボを通していろんな国に行くことで国際感覚が身に付いたと思います。
スポーツの最先端の医学、科学を使って競技力を高めていくという事はほかの国でもやっています。
最も進んでいるのはアメリカ、中国とロシアはオープンにしていないのでわからない、イギリス、ドイツ、オーストラリア、と日本はほぼ同じ位置にいます。
これらの国は日本と同じような施設は必ず持っています。

東京オリンピックでは暑熱対策、以前は首を冷やす、股関節を冷やすとか言われていましたが、今は手首から先だといわれています。
そういったことを小学生、高齢者に提供することで安全、安心にスポーツができる環境に関与したいと思っています。
昼寝をするとどういう効果はあるのかなどを考えていて、将来は仮眠室をそろえない会社はなくなるかもしれないという事があります。
様々なことを国民に広く提供できると思っています。
こういった知見を提供することで、より長くより健康でスポーツをしつつ歳を取ってゆくという事ができると思います。