2019年12月27日金曜日

中島信子(児童文学作家)         ・【人生のみちしるべ】"心の痛み"と生きる

中島信子(児童文学作家)       ・【人生のみちしるべ】"心の痛み"と生きる
中島さんが今年出版した児童文学作品「八月のひかり」が大人にこそ読んでほしい本として話題になっています。
テーマは子どもの貧困、厚生労働省によると日本では17歳以下の子どもの7人に一人が貧困状態にあり、先進国の中で極めて深刻な水準です。
中島さんは1947年生まれ長野県の出身現在72歳。
1970年代に「薫は少女」でデビューし、「お母さん私を好きですか」など、子どもの心の痛みを描いた数々の作品を世に送り出してきました。
2000年代になって執筆から離れ、今回の「八月のひかり」はおよそ20年ぶりの作品として発表されました。
児童文学作家中島さんに伺いました。

朝4時半には起き、家族のことなどをします。
仕事の時間が無くて今午前中2時間ぐらいが限度で午後は1時間ぐらい、夜は疲れて本を読みたいと思ってもそんな力はなくなりました。
「八月のひかり」を出版、テーマは子どもの貧困、厚生労働省によると日本では17歳以下の子どもの7人に一人が貧困状態にあり、先進国の中で極めて深刻な水準です。
ずーっと子供のことを思い続けてきて、これだけ物のある時代に何も買えないという現実の中にいると思うといてもたってもいられなくなり、記事、本などを読んできましたが、子どものことを書いてみないかと編集者の方から言われて書き始めました。
リアリティーのあるものを書きたいと思って、フードバンクが立ち上がったという記事を見て、第一回の総会があるという事で伺いました。
「貧困は見えない貧困ではなく、日本の場合は見せない貧困である」というひとことが痛烈に心に響きました。
見せてしまうといじめにあったりより苦しくなるという事です。
助けてという声があげられない状態が日本が抱える大きな問題だと思いました。
三人称でありますが、主人公の美貴ちゃんの目線で書いていきました。

貧困の母子家庭で暮らす小学5年生の少女美貴ちゃんが体の弱いお母さんを支え、弟の面倒を見ながら過ごす夏休みの物語。
いつもお腹がすいていてクーラーも使えず暑さを我慢する日々を過ごしています。
弟のためにお昼ご飯を作る美貴の様子が描かれている様子を朗読。
概略
弟に焼きそばを作ってあげたが、一人分しかなくてほとんどを弟に食べさせてあげてしまう。 弟がどうしてうちは貧乏なのかと聞かれるが、話をすると涙がでそうなので弟の目線から避けて外を見ている。
どうしてそんなことを聞くのか弟に問うと、「今日は言われなかったが、学校に行っているときはいつも言われているよ。」と弟は言う。
「祐樹んちは給食だけで生きているだろう」「お風呂に入ることはあるの」とか。
「お姉ちゃんも同じことをよく言われているよ」美貴は胸の奥が痛くなってきた。

モデルはいませんが、長い間子どもに対する思いが強かったので、それで生まれたかなあと思います。
2003年に孫が生まれ命の大切さをしっかりと見せてもらいました。
孫の時には一歩引いてきちんと生きてゆく事はどういうことかという事を教わった気がします。
子どもは4歳で親を許そうと思うんです、だから未来に向かってできるんじゃないかなあと思います。
虐待で殺される子も実はお父さんお母さんを許しているんですよね。
それを何故判ってあげないのかと思ってしまいます。

私は姉と弟がいますが、姉が生まれる時に父は太平洋戦争で出征するときと重なって、残していくことの思いがあって、父は無事に帰ってきて私と弟が生まれました。
母親は二人目の時に男の子が欲しかったが、女の私でした。
父は姉、母は弟への思いが強くて、何となく疎まれているような思いがありました。
小学校の3年生の時に、年がら年中母に叱られていまして暗い夜に外に出されていましたが、弟が何かで叱られて、その時初めて弟が外に出されました。
物凄く外で泣いている声が聞こえて、私も外に一緒に出てあげるよと言えば、弟も家の中に入れてくれるものとおもっていったら、「じゃあ、あなたも外に出ていなさい。」といったんです。
怖くないよと弟を膝に抱いて歌を歌っていたら、母が雨戸を開けてオレンジ色の光が漏れてきて、弟は縁側を走って行って母に抱かれたんです。
今日はいいことをしたなと思ったんです。

母のところに行ったら、弟を抱いた手のもう一方の手で私を押したんです。
「信子は自分で出たいといったんだから出ていなさい。」と言ったんです。
雨戸を閉められてしまい、漏れていたオレンジ色の光が消えて一層暗く感じました。
母は間違えているんじゃないかとずーっと待っていましたが、開かなかったんです。
どんなことがあっても泣かなかったんですが、その時は声が漏れないように拳固を口に当てて泣きました。
今日はいいことをしたのになんで判ってくれないのか、心の中でいつか大人に子どもの心ってこういうものなんだよと、絶対判ってほしいと願いました。
母が雨戸を開けて、漏れてきた光を鮮明に覚えています。
夕焼けの色はこういうものだとか、雪の冷たさはこういうものだ、嘘もついていないのに平気で嘘をついたという事など、しっかり記憶しておこうと思ったのが原点です。

子どもって本当に純粋で大人よりも繊細です。
大人の一言で相当いろんなことが認知できるんです。
行きついた先が児童文学だったんです。
親にとっては子どもは何人もいるのかもしれませんが、子どもにとってはお母さんは一人、お父さんは一人なんですよね。
短大卒業して出版社に勤めて体を悪くしてしばらく休むことになり、家にいると母と一緒になり、「若いのになぜ働かないの」といわたりして、希望が無くなりました。
読んりだ本のジェーン・エアが自分事のように思えて、自殺を考えて遺書をしたためて机に遺書を置いて、高崎で降りしきる雪を観ながら回顧していたら、そうだ私にはロチェスター(ジェーンと恋に落ち結婚する)の夢があるんだと思いました。
彼と出会ったのが23歳の時で16歳年上なので当然結婚していると思っていましたが、手を握ったときには暖かくて、母の手だと思ってずーっと歩いているときずーっと泣いていました。
母に抱いてもらったり手を握ってもらった記憶はありませんでしたが、母の手でした。
夫は優しくて母のような手でした、豊かな愛をもらったような気がします。
2010年に夫を失って、改めて命の尊さを思い知り、そのうえでの「八月のひかり」なんです。

「八月のひかり」の最後のシーン。
8月14日美貴はなにもすることがなくTVをつけるとおばあさんが戦争のことを語っている。
戦争で両親、兄弟が殺されて、7歳で一人ぼっちになり何度も死にたいと思ったが、生きようと思って必死で食べ物を探しビー玉のようなジャガイモを生で食べ、道端に腐りかけたキャベツを見つけたりしてそれを食べて生きてきて、もうあんな悲しい気持ちを今の子どもたちにさせてはいけません、という風におばあさんが語ってるシーンがあり、美貴はある決心をして希望を感じさせるラストシーンとなる。

お金がないために物が溢れている世の中で、何も買えない子どもはこのおばあさんよりももしかしたらつらいのではないかと思いました。
飢えというものの苦しみは人間の根源の苦しみであるという事を大人に判ってほしい。
見せない貧困を今後どうやって生きていくんだろうと思いました。
クリスマスでイルミネーションが輝き、何万円もするおせちがが捨てられてゆく、この落差ってどうなんだろうと思います。
文学の根幹は児童文学ではないかと思います。
子どもは本を読むことによって人生観が変わることがある。
戦争では多くの才能のある人たちが帰らぬ人となってしまいました、書けることのありがたさをいつも感じています。