2019年12月15日日曜日

髙田 郁(作家)             ・【私のがむしゃら時代】

髙田 郁(作家)             ・【私のがむしゃら時代】
昨日からNHK総合TVで放送されている土曜ドラマ「みをつくし料理帖」スペシャル、大阪から江戸に出てきた女料理人「みを」が艱難辛苦に巻き込まれながら精進をかさね夢を実現していくという物語です。
原作はシリーズ累計400万部を超える時代小説「みをつくし料理帖」、その作者が高田さんです。
兵庫県の出身で今年還暦を迎えられた高田さん、時代小説家としてのデビューは40代後半と遅いスタートでした。
高田さんには思春期から他にどうしてもやりたい仕事があって、それを実現するために10年余りの時を費やしました。
結局その夢をかなえることができず、川富士 立夏(かわふじ りっか)のペンネームで漫画の原作者に転身したのが30代の半ば、時代小説家として名前が知られるようになるまでさらに10年以上の時がかかりました。
高田さんが現在のような人気作家になるまでにどのようながむしゃらな日々を過ごされたのか、大人気作「みをつくし料理帖」の創作の舞台裏、中でも店に父親代わりともいえる料理店の店主、種市や読者の人気を二分する「みを」をめぐる二人の男性、謎の侍小松原と医師永田 源斉の誕生秘話なども伺っています。

6か月に一冊出すという事に決めていて、2月と8月に出すという事を決めています。
2か月ごとに区切っていて、最初の2か月が下準備、次の2か月が執筆、最後の2か月が手直しで、パソコンの前に座りっきりで、よく床で寝ています。
知らないことが判ったときなどが嬉しくてその積み重ねです。
絵はその時代の暮らしぶりが判るのでそれが楽しみです。
「みをつくし料理帖」スペシャル 続編。
続編を待ち望んでくれているという事は幸せです。
20年前に亡くなった父の名前を借りて料理店の店主を種市にしました。
小説には小説にしかできない事もあるし、映像には映像にしかできない事があると思っているので、脚本をちゃんと読まないようにして、一視聴者になってみるのを楽しみにしています。
スタッフとの信頼関係が出来上がっているので安心してお任せできるし、一視聴者になってわくわくしながら見せていただきます。

前編では大阪から江戸に出てきた女料理人みをの想い人、小松原こと小野寺数馬との恋の行方が大きな山場を迎えたシーンです。
最初にいたのが医師の源斉さんでしたが、謎の浪人を出してほしいと編集者から言われて、御膳奉行が浪士のふりをして食べに来たら楽しいだろう、として登場したのが小松原さんでした。
読者が小松原派と源斉派に大きくわかれました。
小説の書き方については家を建てるようにという風に言ってます。
まずどんな風な家に住みたいか、図面を引いていって、必要な材料が見えてきて、材料をそろえて、こっちのに窓が欲しいとか、いろいろ加わっていって、家を建てるように物を書くので、「みをつくし料理帖」全10巻最初から決めていて、最期のタイトルが「空の懸け橋」まで決まっていました。

子どものころから作家になりたくてという風には思っていませんでした。
思春期の頃は法律家、裁判官になりたかったんです。
良いこと、悪いことの物差しになりたかった。
学生時代にしんどかったことがあり、力はないが法律を身に付けることによって正義の物差しに成れたらいいなあと思って目指しました。(中学の時に決めました。)
中央大学の法学部に入って、在学中から受けましたが、駄目でした。
卒業後も挑戦しましたがやはり駄目でした。
司法試験は三段階あり短答式試験、論文式試験、最後が口述試験で論文まで行くのですが、もうちょっとじゃないかと言いう事でずるずる来てしまいました。
あきらめようと思ったときには物凄く怖かったです、30歳を過ぎていました。
アルバイトで塾の先生をしていて、塾が倒産したんですがその2週間後に、漫画原作の応募をしてあったんですが、受賞の知らせが入りました。

父は学生時代に亡くなったんですが、父の励ましの言葉に支えられてきました。
父のことを書いて残しておこうと思って「背中を押す人」という漫画の原作を書きました。
受賞することによりいろんな扉が開いていきました。
阪神淡路大震災、夜間中学、地域医療など硬派のドキュメンタリーのようなものですが、やりがいがありました。
論文しか書いてこなかったので、下地が何にもなかったので、私は手塚治虫さんの漫画をシナリオにおろすことからやりました。
取材、資料写真、使用許可をもらうとか、いろいろして原作者でありながら編集者のようなこともやりマネージャーのようなこともしましたが、物凄く楽しかったです。
10年ぐらいやりました。
父はすごく本が好きですごく本を読む人で山本周五郎さんの本が大好きした。
私も同様に本が好きで、山本周五郎さんの「なんの花か薫る」という物語を読んでいるうちに全部が見えてきて、登場人物の或る人が「殺してやる」という言葉が耳元で聞こえてきて、本を置いたまま茫然として、ここまで書けるように成ったらもう何も望まないと思って、時代小説に向かいました。
漫画の原作の仕事を辞めて、大阪の中之島図書館は江戸時代の文献が多いので開館から閉館まで毎日通いました。
知らなかったことが判ってゆくと物凄く楽しいんです。

「出世花」が受賞して、行けると思ったが、担当者が高田さんは3つ売れる条件を外してしているといわれました、①江戸市中が舞台、②捕り物、③剣豪、であることだが、「出世花」は全部外しているといわれました。
売れる条件を満たすものを書くのか、自分で書きたいものを書くのか、という事にぶつかったが、私は自分の望むものを書きたいと思いました。
「出世花」のシリーズを書くことになり、それが「みをつくし料理帖」となってゆく訳です。
いろいろ周りに支えられて、やってこられました。
父は若いころ単身赴任をしていてきっちきちの生活をしていましたが、週に一度焼き鳥屋でコップ酒一杯と焼き鳥を食べて、そのお店が「鶴屋」という事です。
鶴屋のシーンを書くのが好きです。
災害に会っておおきなものを失った人たちが、それぞれのきずなを見つけて希望に向かってゆくというストーリーです。
図書館の人たちからいろいろ助けられました。
書きたいものはたくさんありますが、夜間中学は書きたいです。
夜間中学を取材した時に私の母親ぐらいの高齢者がひらがな、カタカナを書いているのを見て、もぎ取るように覚えてゆくのを見て、自分は文字とか言葉をどんなにないがしろにしていたんだろうと思いました。
そう言ったことを小説で書かしてもらいたいと思います。