2018年2月9日金曜日

松永正訓(小児外科医)          ・授かりものの命を支える

松永正訓(小児外科医)          ・授かりものの命を支える
松永さんは重度の染色体異常の赤ちゃんを自宅に連れ帰って在宅で家族そろって暮らしたいという両親の希望を受け、地元の担当医となることを大学病院から依頼されました。
長く生きられないと云う定められた障害をもった赤ちゃんと、その家族の子を丁寧に救いあげ記録にまとめたものが、2013年第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞し、静かな関心を呼んでいます。
授かりものの命を支える、松永さんに伺います。

小児外科医として千葉大学で小児がんの治療、研究に取り組んでいて、2006年から千葉市内でクリニックを開業。
30年近く赤ちゃんと向き合ってきました。
この10年間を見ると少子化の影響の傾向がより見られます。
母親の高齢化も確かにあります。
現在56歳ですが、5歳の子供を連れてくる母親が45歳ぐらいだったりします。
1500g未満で生まれた子、1000g未満の児がいくらでも見られるようになりました。
20,30年前にはめずらしかったが。
大学を辞めたのが11年前ですが、その頃1400gのあかちゃんのオペをしたこともありました。
小さい子にたいする医療の進歩がありました。

少子化と同時に兄弟が少なくて、一人っ子とか、3人以上はほとんど見られない。
孫にたいして大事に思って、軽い体調不良でも直ぐ病院に来るようになりました。
赤ちゃんの重い病気が発見された時には母親は物凄く悩んだり苦しんだりしますが、お父さんは案外お前に任せると云うような態度をとり、祖父母は微妙な立場にあり、家系を守ってきたとか家がらを守ってきたとか有るので、障害や病気をもった赤ちゃんが妊娠した時に、治療に消極的な態度をとる祖父母がたまにいて、お母さんはどこに解決の道を見出したらいいのか非常に苦労される方がいます。
子供の幸せを一番よく知っているのが親であるが、親の希望をよく聞いて治療するのが小児医療のスタンスですが、親の希望が赤ちゃんの利益と合致することがない場合がたまにある。
内臓に重い奇形が有って手術をすれば完治するが、顔などに小さな奇形がある場合こだわりを持って否定的になることもある。
内臓手術に関して命が亡くなる可能性がある場合があるが、親権を止めて手術をしたかったができなくて、最終的に両親から手術同意書が貰えなくて、非常に不幸な転機を取ったたこともあります。

宗教の問題は非常に微妙で、輸血を拒否する親御さんもいます。
小児がんの子供が入院してきて、手術だけだとほぼ100%再発するので、抗がん剤治療を1年間する訳ですが、必ず輸血が必要になります。
骨髄抑制と云う現象が起きて赤血球、白血球、血小板などが少なくなってしまうから、どうしても輸血が必要になる。
輸血を前提に抗がん剤治療をやりますと言ったとたんに、両親から治療は拒否しますと言われてしまう経験があります。
親の一存で子にも信仰の道を歩ませるという判断なんです。
本当に子供の利益を代弁しているのかと言うと非常に問題がある。
その子は手術だけして、再発して1年後に亡くなっています。
親が100%子の利益に立っているかと言うと、云い切れないところに難しいところがあります。
新生児の手術にたいしては考える時間が短いので、早く手術をしないと命が助かりませんと言うような状況の時に、初対面の状況で命の説明して同意してもらうことは難しさがあります。
障害をもった赤ちゃんにたいする生命倫理観と言うものは、とにかく命を救う、その一点です。
赤ちゃんの命は赤ちゃんの為に救ってあげないといけないと云う単純な気持ちで仕事をしていました。

重度の染色体異常の赤ちゃんを自宅に連れ帰って在宅で家族そろって暮らしたいという両親の希望を受け、地元の担当医となることを大学病院から依頼されました。
突然ある先生から在宅の主治医になってくださいと電話で貰いました。
13トリソミーと云うものがあります。
人の命は父親から23本、母親から23本合計46本の染色体が合わさって生命が誕生するわけですが、染色体の中にはDNA(遺伝子)が入っていて、その数が増えていても足りてなくても生命として成立しなくて流産をしたりするわけです。
染色体には大きい順に番号が付いていて13番、18番、21番の3つに関しては染色体が2本でも3本でも生まれることはできますが、3本の場合をトリソミーと言います。
21番染色体が3本ある21トリソミーの事を一般的にダウン症と言います。
知的発達が遅れて特有な顔付きがあったりしますが、医学の発達もあり長く生きることが普通ですが、13および18トリソミーの場合は非常に重い奇形を多数持って生まれてくる。
長期に生きることが難しい、50%は1カ月しか生きられない、90%のお子さんが1歳までの命。
心臓に奇形がある場合が多い、脳がきちんと成長しないので呼吸が非常に弱い。
両親も在宅を希望して、その総合病院でも在宅に持っていこうと云う意志があったようで、考えが一致したようです。
生後7カ月で、それまでも無呼吸発作を起こして酸素を肺の中に送り込むことを何度もして、呼吸状態が安定したところで家に帰ろうと云うことになりました。
話を受けた時には非常に複雑な思いでした。
1990年ぐらいまでは治療をしてはいけないと云うことが圧倒的でした。
手術しても数カ月でなくなってしまうと言うことは、小児外科医療としては成立しないという考え方で、むしろ治療することはタブーと言うことが当時強かった。

2011年時点で生後7か月の子が在宅に移行するので主治医になって欲しいと言われて、時代が変わったと思いました。
病院は治療を施す場所で生活する場所ではないので、次には赤ちゃんを育てることなので、家に連れて帰ることがあこがれであり夢であった。
僕自身もどう対応していいか判りませんでした。
知っている中で13トリソミーの一番長く生きた人は20歳でした。(例外的)
数か月で亡くなる子がほとんどでした。
両親に話を聞いてアドバイスを求められれば、知っていることを話すが、むしろご両親から学んでみたいと云うような思いがありました。
御父さんは世間体を気にしない人で、顔面にも奇形があり手術もしなかった。
お母さんは顔の事を気にしていて、散歩には出かけようとしない。
手術をして顔を変えたくないと云う思いもあったようです。
心臓にも軽い奇形がありましたが、ありのままのあさひ君を受け止めていました。

胎児の段階で色々な診断が出来るようになりましたが、胎児の段階で治療すると云うことはまだ出来ていないが、未来の医療の在り方として必ず来ると思います。
検査をする人が増えて来ましたが、それで社会が幸せになれるかということは非常に難しい問題で、治療は診断を付けるだけでは問題で、治療が伴わないといけない。
ゲノム編集技術は13トリソミー、18トリソミーは治せないが、10,50100年たてば変わる可能性はある。
出生前診断と出生前治療はいつか必ず車の両輪にならないといけないし成るべきだと思います。
お腹の中の命をどうするかという問題は当事者以外が意見を言うのは難しいことですが、染色体異常の子を産んだ子のお母さんの場合、死産となりましたが、又妊娠した時に、染色体の情報が欲しいと云うことで検査を受けて違うところの染色体異常がみつかってしまって、大変悩まれて、生まれても数日から1カ月しか生きられない重い染色体異常で、産むのかどうか判らなくて相談を受けると、こちらとしてもどうしたらいいか言えない。
生命倫理、一人ひとりの人間が自分の胸に手をおいて自分の心の奥に向かって問いかけるのが倫理なので、医師でも人様の胸に手を突っ込んでこうしなさいと云うことは間違っていると思います。
多くの障害児と接して、色んな事を学んできて、自分の中にある生命倫理観に色々なものが付加されて強くなって行ったと思います。
障害をもった赤ちゃんを授かるときに、どの親も赤ちゃんを受容することに凄く悩み苦しむと云うことです。
あさひ君のお母さんも出来る限り生かしたいと思うと同時に、この子が生まれてきた意味は何だろうと考える訳です。
障害をもった子を受容するにはステップがあることがわかってきました。
最初に感じる心の動きは無力感、あきらめで、何かを捨てて諦める、それが受容の第一歩なんですね。
苦しかったことを克服して行って、今まで持っていた価値観をもう一回作りなおしてゆく。
価値基準がちゃんと出来ると、親はこれでいいんだと肯定する気持ちが入って来て、これが重要だと思うんですが、しかしこれには物凄く時間がかかる。
医師はその間に何が出来るかと言うと何にも出来ない、ひたすら待つことが大事。
40代前頃まではひたすら命を助けると云うことだけを考えましたが、障害を生きることの意味には十分な意味が有って、どんなに障害が重くても人間には尊厳があると云うことを当時は伝えられなかったと思う。
この思いでもし30代に戻っていたらもっといい治療が出来たかも知れない。
13,18トリソミーの子がどこの施設でも十分な手術、治療が行われているかと言うと実はそうでもないと思う。
手術はしませんという病院もあるし、学会の大御所が否定的な発言をすることがないわけではないが、若い先生たちは何故手術をしてはいけないのか、逆にそういった発想を持っているので変わって行くと思います。
障害が有ってもなくても家族は家族。
障害を持っていても自由に生きようと思えば実は生きられる。
障害が有ってもなくても家族の一員であると云うことには変わりがない。
あさひ君は口唇口蓋裂症があり、目も見えない、耳も聞こえない、ミルクを飲むこともできない、でもそれは関係ない、この子は家族の一員でいてくれて幸せを感じる事が出来る、それがあさひ君のおかあさんの答えでした。
授かった命を丸ごと無条件に受け入れると云うことはそう簡単なことではない。
人によってはできない人がいると云うことはその通りだと思いますが、その人を説得することはできないにしても、社会全体の意識を変えて行くのはメディアとかの活動を通じて可能だと思います。
障害者を受容することは決して簡単なことではないので、両親は悩んだり苦しんだり時間がかかると思うが、医師は根気強く手伝い、支え、アドバイスを与えながら生活の中の一部に力を添えてあげられる存在でありたいと思っています。