2018年2月4日日曜日

大杉久美子(アニメソング歌手)     ・【時代を創った声】

大杉久美子(アニメソング歌手)     ・【時代を創った声】
歌手としてデビューして55年目、13歳の時に歌謡歌手としてデビュー、初めてのアニメソングの歌を歌ったのは18歳の時の「アタックNO1」の主題歌でした。
その後「エースをねらえ」、「母をたずねて三千里」、「ドラえもんの歌」など様々なアニメの主題歌を歌ってきました。

「アタックNO1」は作曲家の渡辺岳夫先生は曲に対してイメージが有って限り無く近づけたいと云う方だった。
絞られて絞られて出来上がった歌でした。
あとで考えるとそれがありがたかったです。
「アタックNO1」は今までセリフのある歌を歌ったことがなかったので難しかった。
デビューは歌謡曲だったがなかなかヒットしなかったが、これは毎回TVで流れるのでほんとうに嬉しかったです。
新しいレコード会社が出来て宣伝のために一般の人から募集しようと云うことで母から言われて仕方なくコンクールに出て、優勝するとはおもわなかったが、優勝してしまいました。
歌手になりますかと言われて、何故か歌手になりますと答えてしまいました。
芸能界には違和感もあったが、子供なので良く判らないことが色々ありました。
シングルレコードを3枚だしたが、ヒット曲には恵まれなかった。
上手いだけではヒットしないと言われました。
気持でも迷いがあり、仕事もセーブさせてもらって、あるコーラスのおねえさんの処にレッスンに行っていたときに、アタックNO1の歌い手を探している人がたまたま来て居て、オーディションがあるからと言われて、出かけたらそれが「アタックNO1」の曲でした。
童謡とかコマーシャルソングとかの依頼がありました。

その後も、歌謡曲を出したが、やはり駄目でした。(人生経験も浅く何かが欠けていたと思う)
アニメソングを歌って、アニメソングがヒットして行く。
私を必要としているのはアニメなのかなと思いました。
そんな思いで歌い始めたのが「アルプスの少女ハイジ」でした。
この歌は森の中に住んでいる思いもあるので、優しく力をぬいたような感じで歌いました。
こういう歌を歌いたかったのかもしれないと思いました。
出演する機会があるようになり、子供達のまえで歌うことが喜びになって来て、色々研究するようになり、学んで、一生懸命頑張るようになりました。
きちんと歌わなければいけないのが一番大切なことかなと思います。
個性を出し過ぎるのも良くないと思います。
主人公になった歌が多かったので、その気持ちになって歌いました。
1993年あたりぐらいから歌わなくなってきた。
主題歌も変わって来て、アニメソングではなくてポップスの様な歌も出てくるような時代になってきました。
私が歌っていた歌とは違うような感じの歌もあった処に、何十年も一緒に仕事をしてきたマネージャーが病気になり4,5年入院生活後に亡くなってしまいした。
すごくショックで、歌を歌っても今までの様にのめり込めなくて、精神的なことが影響しているのかなあと思いました。
周りもそーっとしておこうかなと言うような感じでした。
娘も受験時期を迎えていて彼女に力を注ぐべきかなと思いました。

一杯名曲があり、周りからも歌えよといわれて、レッスンを始めたりし始めました。
歌うとやはり楽しいので、少しずつ頑張れるようになり、ステージに呼んで下さるようになりました。
今は歌って行こうと凄く気持ちが湧いてきました。
自分を支えてくれる人、自分が支えてあげないといけない人を作っていかないと私って駄目なのかなあと思いました。
家族が有ったこと、仕事が有ったこと、周りの人が温かく支えてくれたことなどが有って辛い時期を乗り越えたのかなあと感じます。
母がずーっと病気でいつ亡くなるか判らないような状況が続きましたが、亡くなったのは去年で93歳でした。
母は病気と寿命は違うんだと言って乗り越えて来た様な生活でした。
若い人には何が必要なのかということを早い段階で見極めると云うことが必要かと思います。
アニメは正確な歌が要求されるが、今はそれプラスリズムだったり、ダンスも出来なくてはいけないとか有るので、沢山勉強することが一杯あると思う。
表現するためには自分の中に溜めこんだものがないといけないので、人として魅力的な人になるのにはどうしたらいいのか、色んな人と会って色んな話をしたり、本を読むとか、芸術的なこと、芝居を見るとか、色々勉強しないといけないと思う。
若い時は遠くをなかなか見られないけれども、長いこと自分の人生を生きて行く事も考えて行った方がいいと思います。