2018年2月6日火曜日

鶴賀若狭掾(人間国宝 鶴賀流11代目家元) ・江戸の情緒“新内”を次世代へ

鶴賀若狭掾(人間国宝 鶴賀流11代目家元) ・江戸の情緒“新内”を次世代へ
昭和13年東京の神楽坂で新内の家元の家に生まれました。
三味線の音と共に育ち、61歳で11代目鶴賀流家元になりました。
この新内、江戸時代に中頃に生まれ三味線に合せて物語を語る芸として人気を博しましたが時代とともに関心が薄れてしまいました。
鶴賀さんは新内の基本は崩さずに、楽しくて判りやすい作品を作り続け、多くの人に見ていただくために国内はもとより国際交流基金などと協力して海外にも出かけていきました。
そのような活動が認められ人間国宝に平成13年になりました。

新内流し
新内は流しかと言われるが、本当はそうではない。
男性は吉原かむり、女性は吹き流し、営業的に二人で三味線を弾きながら歩いて柳橋、深川などの二階から声がかかって、お客さんに所望されて歌う。
新内は浄瑠璃の一派で表でやったりちょっと語るものではなくて、1曲1時間から3時間ぐらいまであります。
三味線に合せて語るものです。
歌ものと語りものに大きく分かれます。
歌ものは、長唄、端唄、小唄、地唄、荻江、歌沢、宮薗など、語りは浄瑠璃物、義太夫、常磐津、新内、富本、清本、一中、などがある。
語りにはふしと言葉がある。
新内は250年繋がっている江戸の浄瑠璃の一派です。

母音を伸ばすので理解するのがなかなか難しい。
歌詞も昔の言葉で難しい。
若い人に受けない最大の要因かなあと思います。
代表作は①明烏夢泡雪 ②若木仇名草(蘭蝶) ③帰咲名残命毛(尾上伊太八)
義太夫から移曲しているのが多い。
今、新内のプロのなかで弟子は減っている。
後継者が不足していてどうやって解決するのか、私の課題です。
文科庁と協力して動いていますが、効果はそうでていない。
新内では私が初めて人間国宝になりましたが、責任を感じます。

義太夫の若手と組んで演奏会をやって評判が良かったです。
見て聞いて楽しいそして判りやすい新内にしないといけないと思っています。
古典芸能は素晴らしいが、今の若い人に見せるのにどうしたらいいかを色々考えています。
観てもらって判ってもらわないとだめですね。
コラボレーションをやっていて、能、西洋音楽、クラシックバレエ、ジャズ、タンゴなどともやっています。
新しいものを取り入れた新内にしないといけないと思っています。
国内、海外(40カ国以上)にも足を運んでいます。
八王子に車人形があるが、それと一緒に小学校にいったりして、文化庁の仕事で回ったりしています。
舞踊を必ず付けないと難しい。
石川県へは伝統芸能の芸術監督として毎年やっています。
飛騨の高山でも古い家並みを流したりしました。
徳島では人形浄瑠璃の発祥の地なので、農村舞台が壊れてしまって復活しようと云うことでそのお手伝いもしました。(50年振りとか)
山形でも沢山やりました。
あちこちに新内の種をまいてきましたが、少しでも残っていれば僕のやったことの意義があると思っています。
のめり込むということは喜びがあると云うことです。

平成11年頃に車人形に誘われて南米に行きました(ブラジル、ウルグアイ、チリ)
「野次喜多」、「新内流し」をやったが、皆ぽかんとして見ていました。
なにもうけなかったので何とかしてほしいと言われてしまった。
ポルトガル語でやろうと思い付きました。
そうしたら大変受けました。
別の国ではスペイン語でもやり、これも大変受けました。
アメリカでは英語でやりました。
ロシア、フランスなどは出来なくて駄目でした。(判らないところは英語でやりましたが)
イギリスでも小学校から大学まで色々行きました。
伝統芸能にたいして日本人とは違って真剣に聞いてくれます。(尊敬の念を持ってくれている)
人間国宝に平成13年になり、新内が認められたと思いました。

10歳の時に父親から新内を習い始める。
母親が小料理屋をやっていてスポンサーで、それだから新内が出来たと思っています。
店には古今亭志ん生師匠とか文士、出版関係とかが来ていました。
おふくろの店がなかったら今の自分は無かったですね。
天皇皇后両陛下の前でも披露することが出来、嬉しかったです。
「若木仇名草(蘭蝶)」をやりました。
いかにして新内を後世に残すか、それが僕に与えられた使命だと思っています。