2018年2月22日木曜日

北川裕子(のしろ日本語学習会代表)    ・“生きるための日本語”をあなたへ

北川裕子(のしろ日本語学習会代表)    ・“生きるための日本語”をあなたへ
人口およそ5万人の能代市では外国語を話せる人が少なく、仕事や結婚の為海外から能代市にやって来た人にとっては、日本語が出来るようになる事が生活する上で欠かせないと言います。
北川さんは300人以上の外国人に日本語を教えて来ました。
北川さんが日本語を教えるようになったきっかけ、言葉を教えることに込めた思いを伺いました。

平成5年から週に2回日本語を教えています。
最初は中国、フィリピンでしたが、ここ4,5年前からネパール、上海、香港、台湾とかから来ています。
能代市は大きい企業が無くて、30年前には外国人花嫁に教えていました。
教室では60人前後はいます。
最近多くなったのは外国人花嫁の子供達、2世です。
風力発電、火力発電の設置などするために技術者の人がネパールから来たりします。
8割は今でも外国人お嫁さんです。
本当に日本って町内広報、回覧板などが回って来くる。
喋るのは出来るが読み書きが出来なくて、書類を捨ててしまったりして、税金申告で大騒ぎになったということがありました。
読んで書けないと生活者になれないと云うことを聞いて、そうなんだと思いました。
英語、中国語、韓国語を話せる先生はまずいなくて、入学して一緒に学ぶことの難しさもあり、やはり読み書きはできないといけないのかなと思いました。
読んで話して聞いて書く、4技能の指導をしています。
命にかかわるところはきちんとできないといけない。(警察、裁判所、病院など)
失礼ではない言葉使いもできないといけない。

満州にいた方で旦那さんが亡くなって、戦後中国の方と結婚しなければ生き残れなかったと云う日本人の方(私の親戚の人でした)がいて、その人が能代市に来て、たまたま私が中国語を勉強していたので、会うことになり、いろいろ話をしたら涙を流していました。
中国残留婦人なので、日本語も使える人でしたが、中国では生活の為に中国語も覚えることも大変だったと言っていました。
その人は1年で中国に戻る形になりましたが、てを握ってたった一つお願いがある、中国語を勉強するようにと言われました。
相手の心の中に入れるような言葉を覚えることは大変難しいので、そうなるまで勉強してほしいと云うような思いで言ったんだと思います。
そうではないと学びにはならないのではないかと思います。
お母さんと子供の意思疎通が出来ないということはないと思っていたが、日本語教室をやるようになって、色々判ってきました。

夫婦の喧嘩、姑との関係、地域の人との関係など彼女たちの上手く伝える相手がいないと、受け止めるところが何もないので、なんでもいいから喋りなさいと云うと、色々喋ってくれました。
当時親戚のおばさんから聞いた話の内容ではふーんと聞いていただけでしたが、今聞いたらきっと抱きしめて聞いてあげたと思います。
今はどれほど辛かったのかということが判る自分がいます。
中国残留孤児を教えるようになりました。
能代市が日本語指導のための教室を作って、市の委託をうけて平成3年に中国残留孤児に教えるようになりました。
始めましたが日本語を外国語に訳せないものがあり、文化に違いがある事に気付きました。
食事の時の「いただきます」「お陰さまで」とか。(中国語にはない)
どうしようかと思ったときに街の人を巻き込もうと思いました。
生涯学習の先生などに会って、文化を伝えることについて話をしました。

最初、自分の名前の書き方を教えました。
入院した時に、お金をむき出して持ってきました。
日本ではちゃんと包むが、中国ではそのようなことをすると中身がない場合があるかもしれないと云うことでした。
日本は相手を信じることから始まる文化と言うことを伝えました。
封筒に自分の名前を書けるようにと、書道でも教えています。
まず母音「あいうえお」からまず始まります。
あいうえお体操があり、その体操を介して教え始めました。
鋏を返す時に危なくないように柄を相手に向けて返すとか、こういったことをやらないと、厭な行為と受け止められてしまうので、しっかり教えます。
挨拶一つにしても難しいところがあり、家族、周りを変えないと、この人達の努力を何処で判ってもらえるのかなと思ったときに、絶対巻き込まないといけないと思いました。

卒業生は300人を越えましたが、ほとんど能代市に残っています。
言葉は道具だと思っていましたが、心であり、知性でもあり、やりながらわかってきたときに、言葉の中に道具に心が入るような話し方、生き方をして欲しいと思います。
どうやって教えればいいかと悩みましたが、人と寄り添うとその寄り添った人は、常にこの人は寄り添ってくれるんだとわかると、人って強く生きていけるんです。
言葉を単なる道具として扱うなと言うことは、常に自分に戒めています。
日本人同士でペラペラしゃべれるのに子供が自殺したり、相手に理解してもらえないで、そういう事件を見たときに、教室の人に言わせると、物があふれてこんなに幸せな国なのにどうして自殺するのかということで、貧しいからではなくて、人には何が必要なのかと思った時に、心が入っている話でないと人は受け止めてはもらえないし、人に伝えることも出来ないのだろうと思います。
学んだ言葉を力にして最終的には、自立出来る人、人の心を伝えられる人、税金を払える人に育てること(市へのお返し)が私の仕事だと思います。