2018年2月13日火曜日

平賀勝利(日本学生相撲連盟副会長)   ・勝負は一瞬、学ぶは一生

平賀勝利(日本学生相撲連盟副会長)   ・勝負は一瞬、学ぶは一生
1942年(昭和17年)山形県の米沢市生まれ。
生まれた家には土俵があり父親も相撲が大好きという環境に育ちますが、10歳のころから柔道を始めて大学進学後も柔道部に入るつもりが入部したのは相撲部でした。
相撲に関わって57年になります。
東京医科大学時代は相撲部を強くするためにつてを頼りに大相撲の春日野部屋で指導を受けました。
その頃から禅も始めました。
平賀さんは学生相撲の全国大会や選抜大会に出場した経験もあり、医科歯科系の大学の全国大会では3年連続の優勝の経験もあります。
現役を退いた後、母校の指導や監督の他、1985年に始まった腕白相撲の全国大会では副審判長を務めました。
平賀さんは平成26年に日本相撲連盟から相撲功労賞、去年は日本武道協会から武道功労賞を授与されています。

本業は外科医です。
日本学生相撲連盟副会長、財団法人日本体育協会公認スポーツドクター、JOC強化スタッフ。
東京オリンピックの時に第一回パラリンピックがあり、ボランティアとしてやりました。
選手誘導、日常生活について回ったりしました。(東京医科大学の3年)
友人が選手として選ばれました。
日本の選手がみすぼらしかった、車椅子そのものが酷くて木の背もたれだったりしました。

祖父が東京高裁にいまして、両国に始終相撲を見に行っていたらしいです。
横綱常陸山の記録をかなり克明に残しています。
父親も学生相撲の選手でした。
いとこも3人いて、拓大の相撲部に入りました。
相撲はやる気が無かった、10歳から柔道をやっていました。
大学に入学すると柔道部に入部届けを出しました。
柔道場に上級生が来なくて、隣の部屋では巨漢がぶつかり合っていて、面白そうだと思って私もまわしをまいていいですかと言って始めたのが最初でした。
相撲は競技は単純ですが、奥の深いものがあります。
現在は166cm、60kgそこそこですが、学生時代は78kgありました。
当時春日野親方(横綱栃錦)に単身で伺って稽古をさせてもらったり、派遣させてもらうように交渉しました。(相撲部に入って2カ月後位の頃)
春日野親方は実に柔和な方です。
春日野では万事に厳格でした。
稽古場では弟子たちにまわしを触らせないで押すだけです。
相撲の稽古は本来そういうことなんですね、まわしをもってなんかすると云うことは何時でもできるんだと云うことが栃錦さんの考え方ではなかったかと思います。

春日野親方(横綱栃錦)の前の親方、栃木山の化粧回しには「丈夫玉砕、瓦全を望まず」と縫い取ってあった。
相撲精神そのものを表しているのではないかと感銘を受けました。
丈夫=もののふ(武士)、信念と勇気を持つ立派な男性。
瓦全=何もしないでいたずらに身の安全を保つこと(「瓦」とはつまらないものの象徴として使われています。)
「もののふたるものは玉と散る、かわらけとして全うすることはのぞみません」という意味。
かわらけ=瓦(かわら)笥(け)=釉(うわぐすり)をかけてない素焼きの陶器
与えられた狭い土俵(15尺)で懸命に100%の事をやると云うスポーツですね。

私はがむしゃらに人の3倍ぐらい稽古をすると云うことをしました。
相撲の選手は走らせなかったが長距離走ったり、つま先立ちだけで生活したりしました。
しこ立ちのまま階段の上り下りもしました。
私は精神主義の稽古をしました、禅もしました。
指導者になってから自分の様ながむしゃらに稽古すると云うことは駄目なんじゃないかと思いました。
もっと効率的な稽古方法をしなければいけないと思って、相撲を科学しようと思って、ノートも取らせました。
大学には明治、大正時代から相撲部がありました。
去年、95回の学生相撲選手権を記念して、長期連続出場の学校、学生横綱を出した学校、優勝経歴のある学校を抽出して、表彰しましたが、無くなってしまった学校もあります。
早稲田大学が100年迎えたりしています。
東京医科大学も100年を迎えます。

番付けを調べましたが、外国人力士が幕内に11人いますが、学生出身が14人、高校相撲の出身が9人。(外国人力士とダブるところがあるが)
腕白相撲の参加者は4万人以上いるが、相撲のスポーツとしての土壌が実は極めて痩せこけている、というか狭いということです。
中学生大会で優勝した人とか2,3位が、全員大相撲の大関になったと言う年もあります。
それだけ競技人口が少なくなったと云う反映だと思います。
初期の頃の少年相撲の判定は難しかった。
今は相撲らしい相撲を取るようになったので判定に苦しむことはなくなりました。
クラブチームは今80数チームあり優秀な子もいますが、中学に入ると学校の中で相撲を取るチャンスがない、指導者がいない、土俵もない、他に色々なスポーツがあり、結果として惜しいなあと思います。
友達との接点の無かった子たちがきちんと挨拶が出来るようになる。
武道は私達の身体を鍛えることによって、武技を学ぶことによって尊重したり礼節を守る、ずるはしない、正しいことが出来る、そういう子供たちに育ってもらいたいと考えています。
与えられ土俵で常に一生懸命にやると云うことは相撲が教えてくれたことで、普通のことをきちんきちんと普通にやる、必ずしも名選手にならなくてもいい。
修羅場にあってもたじろかない、道を究めると云うことはそんなに難しいとは思わない。
「至道無難,唯嫌揀択」「至道(しいどう)は無難なり 唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う」
「ああでもないこうでもないとか、好きだとか嫌いだとか、そういうことを排除すれば、真っ直ぐに正しい道をいけるのではないか」と言うことを相撲から学びました。
わだかまりを捨てて与えられた事に全力投球する。
至道とは真理に通じる道、いわゆる悟りに至る大道
日本家屋の畳の生活(立ち居振る舞いなど)は大切な心とトレーニングの方法が隠されていると思います