2018年2月23日金曜日

柳家権太楼(噺家)            ・究極は“落語を楽しむ”

柳家権太楼(噺家)            ・究極は“落語を楽しむ”
東京生まれ71歳、大学を卒業後、1970年に5代目柳家つばめに弟子入りしました。
1982年に真打ちに昇進して、3代目柳家権太楼を襲名しました。
表情豊かな話術と大きなアクションで多いに笑わせ全国各地に多くのファンを持っている柳家権太楼さんですが、2010年、63歳の時に腎盂癌が見つかります。
その後も膀胱がんになり手術も成功しました。
闘病して多くの人に救われたと云う柳家権太楼さんはお客さんに面白かったと帰っていただけるようにやる、究極は自分自身が落語を楽しむことだと話します。

1947年、東京都北区で生まれました。
母親が三味線、踊りなどやっていたので小学生の時に寄席に連れて行ってもらったが、良く判らなかった。
末広亭の近くに団子屋が有りそれを買ってくれるのが嬉しかった。
貞丈先生が江島屋騒動をやって、こわくてぞくぞくしながら真剣に見ていました。
ラジオが落語を一杯やっていて、自分で情景を想像するので
面白かった。
落語を覚えてしまって、友達の家でやったり、オープンリール、落語全集を買ってほしいと言って母親に買ってもらいました。
そのうち母親の前でやって、踊りの会でやってほしいと言われました。(中学生)
高校時代も寄席には良くいきました。
その頃からプロになろうと思っていました。
柳家一門に入りたかった。
当時は立川談志が有名で、追っかけをやっていました。

圓生、文楽師匠などを見ていると、虜になりました。
大学は明治学院大学に行って、出来たばっかりの落語研究会に入りました。
早く入門した方がいいと思っていたが、大学も見てみたいという欲望が有りました。
行ってみて良かったのは、友達のエリアが全国ネットなので多くの見聞をしました。
そっちを知って良かったと思います。
落語研究会で青春を謳歌しました。
その頃一生懸命やっていた落語のことは、プロになる瞬間から全てたち切ろうと決めていたので一切やりませんでした。
妻とは学生時代に知り合いました。
素人の時に手を出した話は、自分の中で素人に戻るような気がするんでしょうね。

卒業後、柳家つばめ師匠に入門しました。
柳家つばめ師匠の本が有り凄くいい本だった。
人生の師になる人を探さなければいけないと決めて、新作落語はやりませんと言いました。
落語で繋がって行くこともあるが、人と人との繋がりの方が大きかったりする、仮想の親ですから。
柳家つばめ師匠をいろんな角度から見て、この人の元に行きたいと思いました。
一回も怒られたことはない。
「しくじったね」といわれ、あれこれ考えて話しますと、「そうではない、興行で風邪をひいたね」、「みんなが心配しているよ、いちばん大切なのはあなたが風邪をひかないことです」と言うんです、それが小言なんです。
小言には聞こえない。

46歳で師匠は亡くなってしまいました。
入門して5年目でした。
つばめ師匠の師匠が小さん師匠なので、預かり弟子になる訳です。
つばめ師匠の頃は前座が私だけで自由だったが、兄弟子、弟弟子がいて入るのが大変だった。
1975年二つ目となり柳家さん光になる。
「お達者くらぶ」に出演するが、その前に新人落語コンクールが有りました。
小朝さんが最優秀賞で僕が優秀賞だった。(二つ目になって3年目)
小朝さんは翌年32人抜いて真打ちになりました。
その後の私は「柳家さん光と言うのは面白い」と寄席サイドから出ました。
鈴本、浅草などから声がかかって、NHKから「お達者くらぶ」に出演しないかと声がかかりました。
「お達者くらぶ」を6年やって、広瀬久美子さんとのラジオで「土曜サロン」をずーっとやらせてもらいました。

1982年に真打ち昇進試験が導入されて、抜擢の試験が与えられた。(基準の年数に達していなかった)
合格して(18人抜き)、2010年63歳で病気になる。
サプリメントが好きでつい色々飲んでいました。
やたら疲れが抜けなくて、薬をどんどん飲んでも悪い方に行ってしまった。
人間ドックに2年に一度受けていて、数値に問題はなく数値を過信していました。
高座中に背中が非常におかしくなって、もう一つの噺を何とか終わったとたんに、肩からずずずずずーっと崩れ落ちて行きました。
北海道だったので、羽田へ戻ってから家に戻って、病院に行って血液、尿の検査で異様な数値が出てきてしまいました。
医者から何を飲んだと言われました。
一つ一つの薬は正しいが色んな薬を飲んでいて腎臓、膀胱とかに負担がかかっていた。
徹底的に調べたら癌だと云うことが判りました。
腎盂がんでしたが、手術は成功して又高座に上がりました。
この症状なら6人のうち5人は助けられますが1人は助けられませんと医師からは言われましたが。

抗がん剤治療をしないと膀胱がんになると言われていて、1年後に膀胱がんになってしまいました。
膀胱がんの手術をして成功しました。
ただその間は色々大変でした。
「わが人生に悔いはない」 この歌にはまってしまって、駄目でした。
「悔い」ばっかりが出て来ました。
生きていると云うのは言いわけが出来る、亡くなると言いわけが出来ない、そう随分思いました。
癌で生死をさまよっている人が結構近くにいるんですね、だったら道しるべとして元気にやっていると云うことを見てもらう。
2012年 芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門 受賞
2013年 紫綬褒章 受章
歳を取ると高い声がでなくなるが、トーンを抑えた声、違う魅力が出てくると思う。