2018年2月1日木曜日

井茂圭洞(書家)             ・書道を世界の遺産に

井茂圭洞(書家)          ・書道を世界の遺産に
81歳、兵庫県出身のかなの書家。
高校入学と同時に書道部に入部、そこで昭和を代表するかなの巨匠深山竜洞氏の指導を受けました。
平成13年に日展で内閣総理大臣賞、15年に芸術院賞、24年には芸術院会員になりました。
いま書道をする人たちが減っていて、書道の関係者は危機感を持っています。
是非書道にもっと関心を持ってもらいたいと言うことから、平成27年の4月に日本書道ユネスコ登録推進協議会を発足し、書道文化を無形文化遺産に登録してもらおうと活動しています。
その運動の中心的な存在が井茂圭洞さんです。
書道の無形文化遺産登録への思い、書道を次世代にどうつないでいくかなどを伺います。

美しい整った字が書きたいと、これが一番初めに習うことが多い訳です。
たまたま深山竜洞氏がかなの専門の先生だったので自然とかなが専門になりました。
やはり漢字の練習から入るのが普通だと思っています。
高校入学と同時に書道部に入部、美しい整った字が書きたいと思いました。
日展の副理事長で、日本書道ユネスコ登録推進協議会の副会長です。
2009年に漢字が中国によってユネスコ文化遺産に登録されたわけです。
かなも日本で生まれたものなので登録していただきたいという思いがあり日本書芸院などの先生方に相談して4年前に理事会を開いて応援すると云うことなり、平成27年4月に日本書道ユネスコ登録推進協議会が立ちあがりました。
書き初めの方が登録に適していると云うことで登録させていただいています。
書き初めは他にはないので適しているのではないかと指摘を受けました。
2020年が次の指定になり、そこが目標になっています。

1936年昭和11年生まれ。
物心ついた時には空襲などがあり、2年生の時には姫路に疎開しました。
1年生の終わりごろに結核性の右膝関節炎になり、治療の方法がなくて静養するしかなかった。(結核菌を膝に封じ込める方法)
松葉つえを付いていたが、その後ゴルフもしたし普通の生活は出来ました。
中学時代は医学部に入って役に立てたらと思っていましたが、或る時蛙の解剖があり、出来なかった。
高校の時に内科の先生になると言ったが駄目だと言われてしまいました。
整った文字が書きたいと思いもあり、家のあとを継ぐことの問題もありましたが、書道部に入りました。
深山竜洞先生の様な人生を送れたらいいなあと云うことを思うようになりました。
西洋文化に依り書道が無くなってしまうのではないかと危惧して、先生はいろいろ活動されて、先生の考えに共鳴しました。

先生から「伝統文化の一つである書道を後世に伝えるようにしているが、君もやってくれないか」と言われました。
書道で生活が出来るのかを質問したら、高等学校の先生にはなれる、書道は私が教えると言ってくれました。
京都学芸大学に入学、その後女子高に9年間勤める。
卒業後日展に初入選、8回通るが昭和44年の日展で落選した。
学校の先生との両立は難しいと思って退職しました。
家内と塾を経営しながら生計をたてました。
深山竜洞先生の生きざまを見せていただいて、自分の勉強の時間を取ることが大事だと思って退職しました。
大学の終わりにはもう手本か渡さないから自分で工夫しなさいと言われました。
何回も直してもらうと手本と同じようになる、書いて訂正していただくことは自分と先生との考え方が違うことが判る。
手本を真似していると、こういうものだということは理解できても、ものを作って行くと云う勉強にはならないので、私は先生に有難い指導をしていただいたと思います。

かなの一番特徴は流れの美しさ、一つの文字の美しい形と言うのはバランスが取れている。
バランスの取れた文字を二つ、三つ並べても、三つが一つ、二つが一つには見えない。
アンバランス、一つの文字としては整っていない、どっか欠けている、これを二つたすと完全になる。
完全と完全をいくら足して行っても不完全になる。
文字は美しい文字をいくら重ねても、美しいとは言えず、どっか欠けた所が次の文字を補い、欠けたところを次の文字が補い、4,5の文字で綺麗な形になる。
習字は一つ一つの字が美しければいいが、書道は不完全と不完全を足して完全にすると云う考え方、習字プラスアルファ書道。
読んでいきたいと云うことは文学を理解したい、書の形の美しさを理解したいと云う時には読めなくても抽象絵画的に見る美しさ、書道の場合は学芸と言った方がいいかもしれない。
岡倉天心先生は書については「文字は意思伝達の記号であるが、錬磨考究すれば美術の領域に達する」と、言っています。

バランスの取り方で書の作家の製作態度が変わって来る。
先達の真似をすることから始まり、古典に対しては受け身の感じですが、先達の名筆のなかに、どこか一般の自然の中からも得られるが直接的なものはかなの古筆、古典なので、
そのなかの鉱脈みたいなものを能動的に探しに行くと云う勉強にここ1年ぐらい変わって来て、考え方は日本の伝統のわびさびの世界の古筆から鉱脈を見付ける訳ですが、書いた作品自体は出来るなら今迄にない作品を書きたい。
一つ一つを見れば古筆の処にあるが、全体をみたらこういうものは今までになかったと、そういう作品を書きたいと思っている。
できるかできないかは未知数ですが。
書道人口は減っている、書をこれから盛んにするには、展覧会があれば足を運んでくれる人が多くなれば良いと思うので、そのためには作家がいままでに無かったものを発表するそういうことがこれからの書家が伝統文化を将来に向けて受け継いでいく、盛んにするという言葉になるのでしょうか。