2018年2月14日水曜日

坂本長利(俳優)             ・一人芝居ひたむきに半世紀

坂本長利(俳優)            ・一人芝居ひたむきに半世紀
88歳の俳優、坂本さんが演じる一人芝居、「土佐源氏」は民俗学者の宮本常一さんが昭和16年高知県の山奥で出会った目の不自由な老人から聞いた若き日の情事を懐古するという異色の物語です。
「土佐源氏」は性の問題だけでなく、生きるすごみや人生の奥深さを感じてもらえたことで50年1950回続いたのではないかと語る坂本さんに伺いました。

一番先、民話という雑誌に載っていたのを読んだのが、ぶどうの会と言う劇団の研究生で27歳の頃でした。
その時はこんなに凄い人がいるんだという位でした。
15年でぶどうの会が突然解散になり、1年間真っ暗闇で、その後代々木小劇場(「変身」という劇団)を作りました。
小劇場のはしりでした。
サルトルから長谷川伸まで、なんでもやろうと年に24本やりました。
「土佐源氏」を何とかやらないかと言って始めようとしたが、芝居でもない、講談でもない、語り部でもないし、自分の中に持っている演劇観があり、ちょっと違うと云う感じでした。
新宿にストリップ劇場が有り、そこで軽演劇、ストリップ、前衛劇的なものをやりたかったらしい。
話が有り見に行ったが、ここでは芝居は無理だなあと思ったが、ふっと「土佐源氏」を思いだして始めました。
一人芝居を始めたのは38歳の時でした。
段々「土佐源氏」ファンが出てきました。
短縮版の30分程度で、一日3回やりました。

或る工場の社長が見て感動して、社員に見せたいので来てほしいと云うことになり、出前芝居の発想になりました。
「忘れられた日本人」と云う本(民俗学者の宮本常一さん)が出て、「土佐源氏」も入っています。(底辺に生きている年寄りの話をまとめたもの)
人間のこれが本当の姿と言うか、自分の命を精いっぱい生きている人間は素晴らしいと、宮本さんは書いています。
理屈では言えない感動をしました。
難しくて途中で辞めようかという思いもあったが、不思議と、宿命と言うか、続けることになりました。
最初の出前芝居は工場の社員20~30人で、その工場でやりました。
今も出前芝居をやっていますが、ほとんど同じようなスタイルでやっています。
最初お年寄りが多かったが、最近は若い方も見てくださいます。
「土佐源氏」を紀伊国屋ホールでやった時に照明担当の女性の方がいて、その方が外国でやってみたいと云うことになり、実現することになりました。

最初がポーランドでした。
1回やったら凄い拍手で、初めてカーテンコールを受け、感動でした。
支配人が夜もやるべきだと云うことになりました。
ポーランドでは色々なところでやりました。
その時にオランダ人がいてオランダにも来てほしいと云うことでした。
スウエーデン、ドイツにも行かなければいけなかったので、無理だと思ったが、スタッフが1日あるから大丈夫だと云うことになってしまいました。
劇場が無くて、映画館を借りて映画が11時に終わるので、終わった後「土佐源氏」の仕込みをやって1時開演ではと云うことだったが、やりました。
或る30代半ばの男性が会いたいと涙を流しながらきてくれて、僕の手を握って帰って行きました。

ストーリーと云うのはあまりないが、人の嫁さんを寝とるという内容なので、しかし本当に素晴らしい爺さんのエロ話です。
浮気をしてそのうちに目がみえなくなって、婆さんの所に帰ってくるが、目を治そうと四国八十八か所めぐりをするが目は治らない。
橋の下で水車番をお婆さんと一緒にやっていたらしいが宮本先生が一晩話を聞いて、それがこの「土佐源氏」なんです。
岡本太郎さんは最高の文学だと言っています。
全部で1190回になりました。
ペルーとブラジルに行ったときは、年に100回やりました。
お客さんがなかなか楽屋から帰りませんでした。
ドイツのボンのセントラルシアター(ヴェートーベンの生家の近く)でやった時は支配人が終わった途端で舞台に上がって来て、「日本の俳優の坂本が私が作った床の上に汗をしみ込ましてくれた。」と言うんです。
これは嬉しかったですね。(外国は直に感動が来ます)

今は中学生に見せたいと云うこともありましたが、アンケートを見せてもらいましたが、「いままで〇〇ちゃんを虐めていましたが、明日からは優しくしてあげたいと思いました。」とあり、中学生でも全然わからないわけではないと思いました。
60代位までは、腹から声をだしますので、頑張りすぎて疲れました。
胃癌を患いましたが、今は元気に頑張ってやっています。
「土佐源氏」に関してはこのお爺さんに惚れ込んでいます。
忘れられないせりふ「良い百姓というものは神様みたいなもので、石ころでも自分の力で金に替えよる。」
「牛というものは、何年たっても逢うと必ず懐かしそうに鳴いてくれる。」
このセリフを言う時3・11の牛が右往左往している姿を思い起こします。
「女というものはかまいはしたが、決してだましはしなかった。」
その辺の爺さんの生きざまは、単なる女好きではないと、お客さんが判ってくれれば最高の文学だと思います。