坂田おさむ(シンガーソングライター) ・〔時代を創った声〕
NHK「おかあさんと一緒」の7代目うたのおにいさん、シンガーソングライターの坂田修さん。
「おかあさんと一緒」で歌われている「どんないろがすき」 この歌を作詞作曲したのが坂田おさむさんです。 1985年から93年まで「おかあさんと一緒」のうたのおにいさんの担当。 もう30年になります。(70歳になります。)
北海道旭川出身、両親ともに歌が好きでした。 親戚のお兄さんが洋楽が好きで影響を受けました。 小学校5,6年から歌の番組を聞いていて、これは凄いと思ったらビートルズでした。 4,5人でグループを作って、楽器がないですが、お誕生会などで歌っていました。 中学1年生の時にビートルズが来日しました。 ギターを買ってもらって練習をするようになりました。 タイーガース、テンプターズなどの曲をコピーしてやっていました。 ターガースの一人が辞めて、その後釜に成ろうと決心して録音したテープを送ったのですが返事が来ませんでした。(あたりまえですね。)
大学に入って、フォーク系での弾き語りが主流になって来て、コンテストがありそれを受けて、或るバンドからうちに入らないかという誘いがありはいることにしました。 1975年フォークロックバンド「宿屋の飯盛」のメンバーとしてデビューしましした。(在学中) 大学卒業と同時にバンドを脱退して、1977年、「坂田修」名義で『BYE BYE東京』を発表し、ソロシンガーとしてデビューしました。 松山千春君は同期で、北海道では大メジャーで、そのうち全国区になって行きました。 1980年に結婚式を挙げましたが、松山千春君が来てくれました。 回りから凄いと言われ、ちょっと悔しい思いをしました。
子供が生まれて、NHKの幼児向けテレビ番組『おかあさんといっしょ』を見るようになりました。 作詞家の遠藤幸三さんが『おかあさんといっしょ』の体操の歌詞を作っていていました。 彼から『おかあさんといっしょ』に、曲を作って持っていったらと言われました。 最初作った歌は大人向けの内容で当然駄目だと言われて、子供向けの歌を作って持ってくるように言われました。 「春の風」という作品を持っていたら採用されました。 何曲か作っていましたが、うたのおにいさんが交代になるのでオーディションを受けてみないかという事を言われ受けたら受かり吃驚しました。
始まって3か月ぐらいして、「私おさむお兄さんの事好きよ」と女の子が言ってくれて、やってて良いんじゃないのかと思って嬉しかったです。 『おかあさんといっしょ』をやっていて、小さい紳士淑女(小さな大人)なんだと判って来ました。 歌を作ってゆくうえでも勉強になりました。
1500曲以上作りました。 2002年にNHKに提供した「ママの結婚」。 「シングルマザーの応援歌を作ってほしい」というファンレターがきっかけで作られました。
娘のめぐみも影響されたのか、ステージ、テレビなどでも共演しています。 作詞能力は凄いと思って吃驚しています。 2009年「ありがとうの花」 親子で歌っているものでCDで出しました。 小学校2,3,5年生の音楽の教科書に採用されています。 東日本大震災の時に援助物資のお礼として小学生が「ありがとうの花」の歌ったのを見て感動しました。 2021年に日本童謡協会より童謡文化賞を受賞。 シンガーソングライターとしての魅力というのは、人に感動を与えることができる可能性があるということですかね。 たくさん綺麗なものを観て、自分が感動しなければ駄目で、それが熟成されないと駄目ですね。