山本祐ノ介(指揮者) ・父・山本直純の功績を後世に
山本直純さんは映画「男はつらいよ」、「8時だよ 全員集合」などのテーマ曲、童謡「一年生になったら」など誰もが知る昭和の名曲を残した作曲家で、又テレビ番組「オーケストラがやってきた」で全国を回り、クラシック音楽の普及に尽くした指揮者でもありました。 そうしたお父さんの意志を継ぎという今日、ニューフィルハーモニー管弦楽団やミャンマー国立交響楽団などで活動する山本祐ノ介さんに伺いました。
今年は山本直純さんが亡くなって20年、生誕90年の節目の年です。
父の影響もありましたが、母も作曲家で兄も作曲家で親戚も音楽家と言うようなことで、他の職業が思いつかなかった。 母の実家にはピアノがあって父と小澤征爾さんがピアノの練習に来ていたそうです。 小澤さんに「お前は世界に行け、俺は日本で頑張る」と言ったそうで僕にも何度か言っていました。 父は一言で言うと、「小学校5年生の悪ガキ」だったと思います。 好奇心があって、後先考えずに突き進んでしまう、という人でした。 納豆とバターとチーズとかをどんぶりにいれて捏ねて、パンに塗って食べたり、おでんカレー(おでんとカレーの混ぜ合わせ)を作って、僕に勧めたりしました。 そういった影響か、変曲 ヴェートーベン交響曲「宿命」(運命ではなく)とか、ヴェートーベンの1番から9番まで次々に出てきて、間にいろんな曲も入って曲にしているというのがあります。 「8時だよ 全員集合」も北海盆歌を使っています。 みんなが知っているメロディーをアレンジして流せば、みんなが聞きやすくて楽しいんじゃないかというようなことに気持ちが行くことなのかなと思います。 オリジナルにこだわらない。
*「男はつらいよ」 作曲:山本直純 歌:渥美清
この詩は都都逸になっていて(7 7 7 5)、和風だなと感じてドレミソラしか使わない。詩のイントネーションとかリズムとかイメージを、日本を大事にしている曲を書いたと思います。 渥美さんの歌もうまいです。
童謡は歌詞の扱いがちょっと違って、歌詞をどう歌わせるかという事に気を使って曲を作っていたと思います。
*「一年生になったら」 作曲:山本直純 歌:森の木児童合唱団
巧みにメロディーを書いていると思います。 子供のしゃべり方を巧みに取り入れている。
作る時には長椅子に寝っ転がって、横の低い机に五線紙を一杯広げて書いていました。 あなたの作曲の動機は何ですかと言われた時に、締め切りですと答えていました。(切羽詰まって書いている。) キーボード的なものは一切使わなかったです。 小さいころから物凄く勉強して引き出しが一杯あって、昭和30、40年代ごろはたくさんの映画音楽を作曲していて、忙しすぎて録音スタジオの廊下で作曲していたらしくて、楽器がないところで作曲する方法を身に付けたと言いうことかもしれません。 遊んでいる自分と音楽を書いている自分というものが一体となって直純というものになっていたという感じがします。
迷惑が掛かるからやめようというようなことがなくて、突き進んでしまうので飲み屋から出入り禁止になっても、しばらくするとちょっとのぞき込んだりしていると、店の親父さんから「直純さん もういいよ入って」と彼を憎み切れないようなところがあるんです。
大河ドラマ「武田信玄」では風林火山の出だしの風の部分で、相談されたりしたこともあります。
*「武田信玄」 作曲、指揮:山本直純 演奏:NHK交響楽団、東京混声合唱団
父は、お客さんを喜ばせるという一点に集中していたと思います。
2014年からミャンマー国立交響楽団で指揮者、音楽監督を務める。(山本祐ノ介) 友人がミャンマーで仕事をしていた人がいて、オーケストラを聞きに行こうといことで聞きに行ったのが最初のきっかけでした。 指揮をすることに成ったり、妻がピアノを弾いて人だかりができたりして、一旦ホテルに帰りました。 電話が来て指導に来て欲しいという事になりました。 僕からすると決してうまい演奏ではないが、みんな楽しそうに演奏するんです。 お客さんも感動するんです。 音楽というのは上手いものだけを求められるのではないだろうと、生き生きとした音楽と言ったものを実現できると、ステージと客席との垣根を突破らって取り組みできるようになって、そういう事が勉強になりました。 父親と同じ方向を向いているなと感じました。 「オーケストラがやってきた」のようなことをミャンマーでもやろうという事になりましたが、コロナ禍があり2年いけなくなり、その後クーデターが起きてしまって中断しています。 再開も見通しが立たない状況です。
12月16日が父の誕生日で生きていれば90歳で、12月23日に「オーケストラがやってきた」という名前でコンサートを行います。
*「歌え バンバン」 作詞:阪田寛夫 作曲:山本直純