Aju(アーティスト) ・あなたはあなたであっていい
Ajuさんは大阪府出身の33歳。 精密な風景画を描くアーティストとして注目されています。 今年9月に大阪難波で開かれた個展には大勢のファンが詰めかける人気ぶり、作品は多くの行政機関や企業に採用されるなど活躍の幅を広げています。 Ajuさんは幼いころから周りの人と同じ様にできないことを責められるなど、生きづらさに悩んできました。 大学3年生の時に自閉症スペクトラム(“広汎性発達障害”とほぼ同じ概念を指すものであり、自閉症やアスペルガー症候群、特定不能の広汎性発達障害などを含む概念です。)と診断されます。 そんな絶望の時期に出会い、「あなたはあなたであっていい」と伝えてくれたのは、当時の恩師、現在立命館大学スポーツ健康科学部准教授の長浜明子さん(55歳)、それから二人三脚で歩み、Ajuさんは長浜さんのサポートもあり、自身の特性と付き合いながら絵の才能を開花させました。 自身の経験を踏まえ、障害は人と人との関係で生まれたり生まれなかったりするというAjuさん、13年間共に歩んだ長浜明子さんの話を交えてお伝えします。
作品の一つ、東京タワーとその周りの風景。 絵を描く時にはまず良く見ます。 描く時にはいつも画用紙の下から順番に上に上がってゆくように描いていきます。 (航空写真と比較してみるとビルの階数、窓の数などあっている。) 描いている時には図形が頭の中にいっぱいだったりだとか、思い出に浸ってと言う感じが凄く多いです。(その時の気分、周りの音とかなどの状況、空気感など)
学校は本当は好きだったはずですが、なんか苦しい感じはしました。 文字を観ていると3Dのように浮かびあがって見えてきたりして、重なってうまく読めなくて、国語の時間などは当てられたらどうしようかと、授業はいつも緊張していたと思います。 いろんな音が聞こえてきて、先生の声を聞くことが難しい。 食事も一つづつ、種類をわけて食べていましたが、先生からは「悪い食べ方の見本です」、と言われてしまいました。
教育大学に進学しました。 長浜明子先生に出会う事が出来ました。 「仲良く一緒にしなさい」、沢山言われてきたのに、「ひとりでおったらいいやん。」と言われて衝撃でした。 大学3年生の時に教室に入れない時期があって、保健センターに行った時に発達障害だと言われました。 落ち込んでいた時に、九州新幹線の絵を描いて先生の机に置いて帰りました。 「うまいやん。」と褒められました。 それまで褒められたことは余り無くて、嬉しかったです。 先生が一冊スケッチブックを手渡してくれたのが、多分画家として絵を描くことのきっかけになったと思います。
電車が走っていて一両目が崖から落ちてしまう暗い絵は診断を受けた直後のものです。 先が見えなくてどうやって死ぬかというようなことを考えていました。
長浜:その時はお互いが障害と言う言葉を使わない時期がありました。
言葉ではなく文字でのやり取りを先生と始めました。 その一番最初に「あなたはあなたであっていいんだよ。」と言う言葉を書いてくれました。 それをお守りのように毎日カバンに持っていたような気がします。
長浜:どんどん肯定感が下がる一方なので、気持ちのグラフをつけてみようという事で、自己肯定感を上げるのと、客観の両方だったので、私の研究室に来たら100点という事でした。 そうこうするうちに一緒に住むようになりました。 2011年に診断を受けて、授業に出ようとすると全身ジンマシン、過呼吸、痙攣、救急車に運ばれるとかで、限界かと思いました。 自分の事だけを考える時間が必要なのかなと思いました。 祖母のいた離れが空いていたので、ご家族の了解を得て、一人暮らしの練習を始めました。(2012年1月) 10年になります。 分刻みでないと一日の生活が崩れてしなうような感覚がありました。 予定の変更とか、視覚的情報の方が判りやすいと思って、空の箱とかを作ったりしました。 分刻みではなく10分刻みの方が楽なんではないかとか、言ったりしました。
自分が厭ではないことは多分他人も厭ではないと思ってしまっていたのは、よくないことでした。 言葉に出してしまって嫌がられてしまったりしました。 経験の積み重ねで言わない言葉も増えています。 絵を通してコミュニケーションが滑らかになって行ったような気がします。 人に対する視野が広がってきて、自分の見えてくる世界も広がって行ったような感じかもしれません。 今年の個展もお客さんが来て、70万円の絵も売れました。 絵に対する自信はちょっとづつ付いて来た気がします。 自分でもお客さんに話しかけるようにしてきました。 思っていないことを聞かれると駄目になっちゃう。
長浜:大学時代と比べて楽しそうでいいかなと思います。 自分への対処方法大分見つけてきました。 今は自分を知る(特性)ことで対応する幅が増えたと思います。
障害という言葉ですが、私と先生の間では障害という言葉がなくてもうまく過ごせることが多いです。 障害は人と人との関係で、生まれたり生まれなかったりするするのかなと思っています。 発達障害を生きないという風に思っていて、自分を大切にしながら生きたいと思っています。 お互いが理解しやすいようにな関係増えて行った時に、社会がみんなが過ごしやすくなったよねと言うのが、自分のなかに出来上がってゆく社会のイメージなんです。
長浜:障害者、障害者ではないという区分がある。 しかし、今も昔もAjuという人は変わってはいない。 Ajuを生きればいい。 それぞれがそれぞれを生きてゆくのが一番いいかなと思います。
自分が嫌いになならないように、これだったら楽しいとか、やっている時がホッとするというのを大事に自分の中で育てられると良いなあと思います。 緩やかに温かく見守られている、自分の気持ちはどうだと待っている環境は凄く大きかったかもしれない。
長浜:Ajuが自分で選んできたから、振り返ってみればそれは良かったんだと思います。