星野直子(星野道夫事務所・代表) ・写真家"星野道夫"の遺したもの
写真家の星野道夫さんは、1952年千葉県生まれ。 慶応大学卒業後アラスカ大学野生動物管理学部へ進み、約20年間北極圏を中心に取材しました。 しかし1996年カムチャツカで取材中にヒグマの事故で43歳で亡くなりました。 その間星野さんは多くの写真や著作を残し、1990年に第15回木村伊兵衛写真賞を受賞しています。 星野直子さんは1993年に道夫さんと結婚しましたが3年後26歳の若さで夫を亡くしました。 現在は星野さんの著作物を管理する事務所の代表を務めています。 星野さんに大自然の魅力や星野道夫さんとの思い出など伺います。
道夫さんは生きていれば70歳。 私の家族は家族ぐるみでクリスチャンで、毎週日曜日に教会に通っていました。 その教会の牧師夫妻の奥さんが星野道夫の姉でした。 或る時弟に会ってみませんかと言われて、それが最初の出会いでした。 17歳離れていました。 若くて子供のようなという表現が適切か判りませんが、17歳離れている印象はなかったです。
「旅をする木」に書かれているが、出会う前、アラスカに根を下ろそうと結婚前には決めていて、家は出来ていました。 「一度アラスカに遊びにおいで」と言われて、星野の姉家族と、母と私で行きました。 結婚式は千葉で行ってアラスカに行きました。 私を紹介する意味でホームパーティーをやりましたが100人近い人々が来ました。 英語がまだできませんでしたが、ゆっくりと話しかけてくれました。 受け入れてもらえる温かい気持ちを実感しました。 結婚した年は撮影現場に一緒に行ってほとんど家には居ませんでした。(夏から秋にかけて) カリブー(トナカイ)をずーっと春と秋に北極圏に移動する時期に撮影に行っていました。 秋の移動の時に小さな群れが少しづつ北極圏から南の森林地帯に帰ってくるという時でした。 河原にいる時にカリブーの群れが現れ、身をうつ伏せにして様子を見ていました。 カリブーはどんどん近づいてきて私たちを取り囲むようにしながら過ぎていきました。 その光景は忘れられないです。 川をさかのぼるボートを貸してくれた友人がカリブの猟に行って一頭を持ち帰り、ナイフで解体が始まりましたが、解体の仕方がとっても綺麗でした。 一番おいしい心臓をご馳走してくれると言って、火を通してごちそうしてくれましたが、とってもおいしくて、結構寒かったんですが、身体の芯からポカポカ暖かくなってきました。 その時には気が付かなかったが、自分のなかでカリブーの命が自分の命に繋がっていった瞬間だったのかなあと思いました。 忘れられない体験でした。
自分がやろうとすることに対しては星野は忍耐強い人だなあとは思いました。 野生動物や自然は自分が思ったようには撮れなくて、長い長い時間を待ってようやく撮れたり、待っても撮れなかったりという事で撮影を続けてきたんだなあと思ったことと、動物個体ごとに個性があって、どのくらい近づいて気にしないのか、気にするのか、熊の様子を見ながら距離を測って撮影しているという事がありました。 3年後に熊の事故に遭って亡くなってしまいました。 最初は現実として受け止められませんでした。 しばらくしたら帰ってくるんじゃないかというような思いがありました。 息子が1歳8か月でした。 家はそのままあり、今も行き来しています。
星野道夫事務所を設立したのは2000年になってからです。 慶応大学探検部の大先輩のかたの会社の一部門として、星野記念ライブラリーと言う形で場所を作って下さいました。 2000年までは写真を管理してもらっていました。 2000年12月市川市に星野道夫事務所を立ち上げました。 今息子も27歳になりました。 父の通った大学を息子も選びました。 息子は父親に関しての取材は応じていなかったのですが、或る時知り合いだったという事もありNHKのアラスカへの旅の取材に応じました。(社会人になる前) 父親のことをもっと知りたいという機が熟した時だったのかもしれません。 父親の友人たちからいろいろな話を聞いたことはとっても大きかったと思います。
北極圏も温暖化が進んできていて、星野が大学生だったころに行ったシシュマレフ村が海に突き出たような位置で、波に削られてしまい、移住せざるを得ないような状況になってしまっている。 実際に移住を始めた別の村もあります。 デナリ国立公園の道路に大きな土砂崩れが発生して道路がクローズしてしまって、飛行機でないと奥に入れないとか、氷河の後退など
星野は地元住民に対する温かいまなざしも持っていました。 著書にも環境保護云々ではなく、環境変化をあるがままを伝えていて、読む方がどう受け止めるかという立場で、そういうスタンスでいたんだなと思います。
写真展「命の循環」 生誕70年という事で巡回展を地元市川市で行いました。 「悠久の時を旅する」と題して別に巡回展を行っていて、東京都写真美術館が締めくくりとなります。 男性女性、たくさんの方に声をかけて頂き励まされています。 写真、文章を見たりして生きてゆく力を貰いましたというような手紙などもいただきました。 いろいろな被写体を撮りながらその奥にそれぞれの命、命のつながりというものをずーっと見続けて居たのではないかなあと感じます。 本に自然の不思議さ、自分が生きている不思議さ、といったものを書いていますが、それと私たち人類はどこからきてどこに行こうとしているのか、という事をずーっと考えながら旅を続けてきたので、もし本人が元気だったら同じように旅を続けて作品を届け続けたんじゃないかなあと思います。