2019年9月6日金曜日

山崎信之(アッツ島遺族会幹事)      ・"玉砕させた"祖父の眠る島へ

山崎信之(アッツ島遺族会幹事)      ・"玉砕させた"祖父の眠る島へ
アラスカのアリューシャン列島にあるアッツ島では昭和18年5月29日、およそ2600人の島の守備隊が全滅、この時初めて玉砕という言葉が使われました。
山崎信之さんは現在60歳。
その部隊を率いていた部隊長の孫です。
今年6月山崎さんは23年ぶりとなる国主催の慰霊巡拝で島に向かいました。
祖父が玉砕の指揮をとったという事を山崎さんは複雑な思いで受け止めています。
遺骨が多く残されている島を何を思い訪ねたのか伺いました。

6月20日に出発して慰霊巡拝という事でアッツ島に行きました。
成田からシアトル、アンカレッジまで飛んで、島伝いに給油しながら行くというそんな場所になります。
アリューシャン列島の端でちょっというとロシアという場所です。
セスナでアダック島で給油してアッツ島の上空をぐるぐる回ってお祈りをして戻るという計画でしたが、低気圧の影響で途中で引き返すという状態でした。
アッツ島まではあと200kmぐらいと聞きました。
非常に残念な感じがしました。
アッツ島の方向に向かって合掌しました。
祖父がその島の指揮をとる山崎保代大佐でした。
初戦勝ち続いて、アメリカらの反抗は北からと南からで、ミッドウエーと北はアリューシャン列島を占領しろと、そこで守りを固めればアメリカは日本に来ることはないという中の一つの作戦という位置付けだったと聞いています。
祖父が着任して守りを固めろという事でした。(昭和18年4月)

5月になるとアメリカ軍が反攻して上陸してくる。
多勢に無勢で兵器、武器、弾薬、食料も減ってきた。
最後は数十人で突撃して亡くなったと聞いています。
当時2600人いたがアメリカ軍は5倍ぐらい、1万1000~2000人といわれています。
アメリカ領だったので何が何でも取り返すという事だったと思います。
5月29日に全滅という事になる。
前日に書類を全部償却して通信機も壊して突撃したようです。
大本営発表で初めて「玉砕」という言葉が使われた。
よからぬ方に使われてしまった、残念さ、士気を高揚するための材料になるなと、死んだ方はまさか思っていない、美談みたいになる複雑な心境、一番気になります。
誰に怒っていいかわからないが怒りはあります。
これを起点に「一億玉砕」という事でひたすら転がり落ちてゆく。

祖母からは軍人で偉い人だったぐらいのことは言われていましたが、戦争でお国のために亡くなったといわれていました。
小学校高学年ぐらいから本で読んで全員死んだという事を知りました。
中学高校になるともっと詳細に知るようになりました。
どんな思いで命令を受けてどんな思いで死んでいったのかもっと知りたいと思うようになりました。
弾薬、食料もなくなってきて精神状態は異常な状態だったのではないかと思います。
逃げろとか降参しろと言えない状態は非常につらいことだったと思います。
玉砕なんてやめればよかったというような方もいるという事も聞いたこともあります。
父は遺族会を長く勤めていましたが、真面目で無口なタイプでした。
6年前に父をつれて靖国神社に行きましたが、足も悪くなっており半分認知症のような状況でした。
難しい話ができない状態でした。
私にもできることがあればという事で引き受けることにしました。
亡くなったのは祖父だけのせいではないが、祖父の同僚部下たちの家族などへのケアをしなければいけないし、できる範囲で困ったことがあれば相談にのらなければいけないと思っています。
忘れてはいけないという祖父、父の声はあると思うんです。
去年アッツ島の戦いの75年の式典でアメリカに遺族の代表として招かれました。
式典でプレゼンテーションがあり、戦死した方の写真経歴の発表があり、大写しに出たときに女性が急に立ち上がり、「あれは私のお父さんだ」と大きな声で言いました。
その方は写真でしか父を覚えていない人でした。
その光景を思い出すたびに胸に刺さり泣いてしまいます。
遺骨収集は厳しい状態です。
この10年間は何も進んでいない状態です。
お骨は日本に戻したいと思っています。
祖父の遺骨もまだ残っています。
祖父は米軍の方が祖父の倒れた場所に掘って小さな石碑も作ってくれた様です。
まずはほかの方がたの遺骨、祖父の遺骨は最後にとは思っています。
厚労省と毎年交渉して予算をつけてもらうようにしていただきたいと思っています。
南方の遺骨収集に比べ後になってしまっている状況です。

アッツ島は観光地ではないので話題に上りにくいという事があり、知らない人が多いと思います。
アッツ島に関して映画、漫画などで紹介するような動きもあるので期待しています。
次にもし島に行くことがあれば、遺骨収集が進んでいると思うので、遺族の方も喜んでいると祖父に伝えたいと思います。
父の写真を持って行って親子で報告しようと思っています。