2019年9月19日木曜日

佐野誠一(アマチュアサーファー)     ・八十路波乗りまっしぐら

佐野誠一(アマチュアサーファー)     ・八十路波乗りまっしぐら
80歳を過ぎてからサーフィンを始めて、毎週末湘南の海でサーフィンを楽しんでいるという元気な男性がいます。
佐野さん85歳、横浜で木材会社を経営する社長さんです。
80歳で初めて富士山に登って、そうだ今度はサーフィンをやろうと突然思い立ち、下山して一週間もたたないうちにサーフボードに乗っていたといいます。
それから5年、今では江の島の海ではすっかり名物シニヤーーサーファーになりました。
夏の終わりの土曜日江の島海岸を訪ねて佐野さんに伺いました。

江の島の海は週末サーファーでいっぱいです。
何百回と乗っているが、乗っているなあと思ったのは今まででたった一回です。
80歳で一つ仕事を辞めて、土曜日に時間が取れて、その時に富士山に登って、無事昇ってご来光を見ることができました。
月曜日に会社に出ていき、2階が事務所になっていて必ず2段ずつ昇っていきます。
(どこの階段でもいつもそうしています。)
事務所の窓から外を眺めていたら、突然サーフィンをやろうと思い立ちました。
サーフィンを教えてくれるところを探して、その週の土曜日からその学校に行って習い始めました。

北海道の茂辺地で生まれて、海あり山ありのところでした。
夏は海、冬は土俵を作って相撲をやって遊んでいました。
やんちゃな性格でした。
小学校のころからイカ釣り漁の手伝いをやらされました。
当時一晩に大人は1000匹、子供でも500匹は釣っていました。
中学を卒業して働きに出ました。
高校に行く人たちがうらやましくて、図書館によってみたりしていました。
中野高等無線学校で募集があり、ここに行こうと決めました。
東京ではアルバイトをして学費を稼ぎました。
学校の理事さんのスピッツ3匹の朝晩の散歩の係をやったり、朝鮮戦争が始まっていて、寝袋を洗濯したりする仕事などもしました。
いろんな仕事をしました。
深川の材木屋さんが番頭を探しているという事で住み込みで働きました。(9年間)
独立してもいいという事で37,8歳の時に独立しました。
昔、木材はいろいろ産地があって、値段も利益のとれる幅がありました。
日曜大工のための店もやりました。

今社員は私を入れて8人でやっています。
元気の秘訣は仕事をすることと昼寝です。
11時30分から1時までは仕事をやらずに自分の昼寝の時間を確保します。
ストレスがたまらないようなやり方を自分で仕事を作っていこうと思ってやっています。
携帯電話は持たないです。(周りからはいろいろ言われますが)
名刺には「香気幸齢者」(後期高齢者をもじって)と書き入れています。
社交ダンスは奥さんたち女性が多い、奥さんたちはリフォームに困っていたりするので、ダンスの学校をやって奥さんたちに来てもらえれば、リフォームの仕事が増えると思ってダンスを始めました。
サーフィンを始めてからはダンスは一回もやっていません。
「誠ちゃんの波乗り日記」をインターネットにサイトアップしてますが、番外編に180度開脚の写真が載っています。
シャンソンもやっていますが、演歌が大好きです。

歌も詠んでいます。
「傘寿にて 富士登山に自信つけ 海への挑戦 今はサーファー」
「八十路など どこ吹く風か 身に余る幸せ感じ 週末サーファー」
「ユーミンの 真冬のサーファー口ずさみ 八十路のボード 波を蹴散らす」
(ユーミンが歌っている「真冬のサーファー」という曲がある。)
「冷たさも 真白き富士に励まされ 真冬のサーファー 齢(よわい)八十二」
俳句 「湘南の 八十路のサファー 気遣われ」
   「秋立ちぬ 八十路のサーファー 果敢なり」

この江の島の海に来れること自体が幸せです。
準備体操は入念に行います。
そして落語のおまじない(死神が去るように)をやります。
人とは違った目線で物事を考えています。
ぱっと浮かんだ夢はオリンピックのサーフィンのデモンストレーションをやりたいですね。
人に迷惑をかけないうちは続けていきたいです。
「腹座り 八十路街道 まっしぐら 死ぬまで若く 生きてやるぜよ」