村雨辰剛(庭師) ・【心に花を咲かせて】日本庭園に魅せられた北欧青年
NHK番組『みんなで筋肉体操』にも出演されました。
現在31歳のい村雨さんは子どものころから日本に関心を持っていたという事です。
そして来日し修行して庭師になり、日本人になると決意して帰化しました。
村雨さんはなぜ庭師として生きようとしたんでしょうか。
またなぜ帰化しようと思ったのでしょうか。
庭師が天職だという村雨さんにそう思うに至ったこれまでの歩みと、日本や庭師という仕事への思い、今後の夢を伺いました。
生まれはスウェーデンで両親もスウェーデン人です。
僕の旧名はヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebastian Björk)です。
日本国籍を取りました。
庭師をやっていたら声が掛かって、自然の流れでタレントもやるようになりました。
高校生から体を鍛えてきました。
スウェーデンにいる頃から違う国に行ってみたいと思って、調べているうちに日本に興味を持ちました。
最初は、中学、高校の世界史の授業があり日本のことが紹介されて、歴史が好きだったのではまって個人でも調べるようになりました。
特に印象的なのは各大名が争って、その中から生まれた武田信玄と上杉謙信の不思議な関係に凄く惹かれて、敵に塩を送ったりとか、いろいろ興味を持ちました。
道徳、人間としての在り方に奥深さを感じて、思いが積もってきて夏休みを利用して短期ステーをしました。
SNSの一段前のような中で、自分で日本語を勉強して日本の人と友達になりました。
両親が僕のために貯金をしていて、そのお金を使って日本に来ました。(16,7歳の頃)
神奈川県の戸塚区に行って鎌倉などに行きました。
ステー先では日本家屋風で庭も日本風の庭でした。
どこもそうなのかなあと思っていたら、後でギャップに驚きました。
絶対いつか日本で暮らそうと思いました。
そのころから帰化しようと思っていました。
和の文化、自然に対する価値観だったり、昔からのものを大切にするのが好きでした。
泊まった家も、和な生活で、毎朝仏壇の前でお経をあげたり、畳の部屋だったり、お母さんが茶道の先生だったり、そういう影響が周りにたくさんありこの暮らし方は素敵だと思いました。
最初の経験が特殊だったと思いますが。
日本に惚れてしまいましたが、日本に5年、10年住んでも同じ気持ちでいられるのかなあと思いましたが、同じ気持ちだったので帰化しようと思いました。
目標を日本にいくことに置いて、高校を卒業して就職を日本で決めたいと思って、名古屋でスウェーデン語、英語教える教師として仕事が決まりました。
両親は僕が日本語を勉強しているので、覚悟はしていたようです。
兄弟は6人いて、長男です。
いろいろ現実に向き合うと自分の夢を忘れかけたりしますが、神社お寺を観たりするといいなあと思いました。
日本にも慣れて22歳の時に日本の伝統的な職業、徒弟制度があって弟子になるのもいいなあと思って、いろいろ探し始めました。
求人誌をみていたら、日本庭園を造る仕事の募集があり、直ぐに面接してもらいました。
そこの親方は国際的な方で海外でも日本庭園を造る経験がある方でした。
初日の炎天下の現場で熱中症で倒れて、辞めたりしました。
筋トレもしていて体力には自信がありましたが、いつも空調の効いた中での仕事しかしてこなかった。
辞めたことに後悔しましたが、後釜の人も直ぐにやめてしまってチャンスが来ました。
もう一回やらせてくださいと言って、その後は自分にとって天職だと思いました。
そこはアルバイトだったので弟子にはしてもらえず、次は愛知県の西尾市という違う造園に弟子入りしました。
紹介で弟子入りしてもらいました。
最初修行は切ったものを掃除するなどして、親方、兄弟子のやっていることを観察していました。
1年間のアルバイトの中で日本の美意識の中で仕事をするのはなんて素晴らしいんだろうと思って庭師になることを決意しました。
美術館にいくように毎日仕事にかかわって刺激的でした。
体力的には辛くても凄く楽しい修行でした。
1年後手が空いてくると切り方など少しずつ増えていき、鋏を頂きました。
木によって剪定の仕方がいろいろあり勉強していきました。
最初は低木の刈込、生垣、古木の刈込などをして、うまくできなくて叱られたりもしました。
弟子入りしようと決めたときには、これとは一生関わっていきたいと思いました。
和の良さは自然の美しさから成り立っていることが多いと思う。
特に日本らしさを庭で感じました。
庭園は大きくは池泉庭園、枯山水、茶庭に分けられるが、経年変化、経年美化がより感じるものと、枯山水は心の内面で見る、自分で想像して考えて考えさせられて、これで何が見れるのかその世界観に魅了されます。
タレントとしてTV出演するのにも庭師として出ることが多くて、日本文化の内容も多いので、もっと日本の良さを知りたいとか、伝えたいとか、番組に出ることによって自分も成長できるかと思います。
タレントはお金にはなりますが、中心は庭師でやっていきたいと思っています。
愛知県は日本庭園の多いところでそこを修行の場に選んだという事もあります。
松の手入れだけでも、1年の中にもいろいろ作業があり奥深いものがあります。
日本の木に対する奥深さ、凄さを感じました。
愛知では庭の管理はできたが設計施工が少なかったので、声が掛かって千葉に来ました。
その間5年間親方と二人でやってきて、辞めることに関しては1年前から相談はしていました。
帰化するときには、いろんな書類が必要で、改名もしたかったので親方の字ももらって変えました。
25,6歳の頃に帰化できましたので、これから知識を付けて魅了された日本をもっと知って、胸を張って僕は日本人ですと言えるような知識、日本人の良さを語って行けるような人になりたいと思いますし、庭師としても成長していきたい。