箭内道彦(CMプランナー) ・【私のアート交遊録】復興五輪で東北に元気を!
1964年福島県郡山市生まれ、結婚情報誌のCMやレコード会社のノーミュジック、ノーライフのCM、TV番組の司会、紅白にも出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギターリストを務めるなどまさに多方面の活動を展開されています。
箭内さんが今手掛けているのが「東京2020日本フェスティバル」、オリンピックやパラリンピックはスポーツの祭典だけでなく文化の祭典でもあるとして、復興五輪プロジェクトで東北を盛り上げようとこのプロジェクトを立ち上げました。
ここには脚本家で俳優の工藤勘九郎さん、絵本作家でイラストレータの荒井良二さん、作家の又吉直樹さんなど各分野のスペシャリストが集まりそのシンボルであるモッコという10mを超える巨大な人形作りを軸に準備が進められています。
完成後は来年の5月9日から巨大人形モッコが東京に向けて被災地からの旅を始めることになっています。
東京2020日本フェスティバルや広告にかける思いを伺います。
今は巨大操り人形モッコを長野県の高森町で製作中です。
旅先の岩手の陸前高田、宮城の岩沼、山形の東北絆祭り、福島の南相馬市のそれぞれの会場でどんなことをするのか地元の方とプログラムを組み立てているところです。
10mを超える大きな人形、モッコ オダズモッコという言葉が宮城の方言で、工藤勘九郎さんが「モッコ」と名付けてくださいました。
人の形で東北人の気質を持ったモッコです。
一見遠慮深く無口の感じがするが仲良くなってみるととっても温かくて面白くて、東北人らしさを持った人形です。
東北の子どもたちが描いたものを参考に荒井良二さんがイラストレーションを描いてくれて、世界的人形デザイナーの沢則行さんが参加しました。
モッコの存在としてのストーリーが必要だという事で、又吉さんにお願いしました。
3mで、5mでいいのではないかという声もありましたが、みんなで力を合わせたら出来そうもないものもできるのではないかという事で、復興というものを、勇気,自信、プライドになったらいいなあと思いました。
オリンピックもパラリンピックも「自己ベストの更新」を掲げているので、我々も「自己ベストの更新」をしたいと思いました。
5月9日に東京に向けてスタートします。
2回目のオリンピックを東京で開催されるときに、まだ東北では復興ができてないのに、東京に資材や人が全部東京に行ってしまうのではないかと不安を感じたり怒っている人もいました。
震災からの復興五輪と掲げて呼んだからには東北にとっていいことが沢山あったなあと思えるように、自分にできることがもしあればチャレンジしてみようとこれができました。
聖火リレーが福島県楢葉町からスタートするとか、聖火トーチが福島県浜通りの子どもたちとのやり取りの中から桜というヒントが生まれたとか、いろいろ発表になって段々と復興五輪が見えてきたが、僕がこれを受けたときには3,4年まで何も見えていませんでした。
やらなかったらどうなってしまうのだろうと勝手な使命感を持ったのがきっかけです。
ロックバンド「猪苗代湖ズ」は2010年の秋に結成しました。
活動の全収益はすべて福島県の災害対策本部に寄付をする形になっていましたので、よりたくさんの人に福島県の今を知ってもらって、2011年が終わる中で思いを一つにできたらと強く思っていました。
紅白歌合戦で「I love you & I need you ふくしま」この歌を届けることができたら、もっと寄付も集まり、福島に思いをはせてくださる人もたくさんいると思って、ああいうメッセージを発信しました。
自分にとって故郷は若いころは故郷への反発もあり、距離を置いていた時期もあるが、福山雅治さんに諭されたりしました。(震災のだいぶ前)
自分にとって恩返しというか、罪滅ぼしというか、故郷と向き合う中で起きた2011年3月11日でしたので、「広告」をしたいと思いました。
2020モッコも何らかの形で現在の東北を「広告」したいと思っています。
小さいころは漫画家に成りたいと思っていました。
高校でデザインを目指すようになりました。
店をやっていて名札を書いたり看板を描いたりしていました。(幼稚園の頃)
大阪万博で太陽の塔ができて、クラスで太陽の塔を作ろうという事で、先生から顔の部分を書くように言われ岡本太郎さんの中央の顔を模写したのが模写の最初の経験でした。
それも振り返ると大事な経験だったと思います。
広告について、自分が何かを決めつけて世の中の人たちに教えるとか、押し付けるとかはやめたいと思っていて、一緒の目線で一緒に考えましょう、というスタンスで作るようにしています。
結婚情報誌のCMやレコード会社のノーミュジック、ノーライフのCMなど、しっかりは考えてはいるんですが、ふっと浮かびあがる感じの方が受け取ってくれる側も共感しやすいのではないかと考えています。
福島県の観光ポスター 「来て」というものだけ。
今の福島を見ていただいて友達も作っていただいて、リアルな関係が始まるのではないかと思って、くどくど書くよりもただ「来て」というものにしました。
世の中がなんかぎすぎすしていますが、僕が「猪苗代湖ズ」で「I love you & I need you ふくしま」を歌って、様々な反応を頂きいい方への捉え方、反対の捉えか方がありましたが、捉え方の違いで溝ができてゆくんだなあと思いました。
新しい歌を作らなければいけないと思って「ツーショット」という曲、違う二人が一つのフレームに収まる、それがなにもひとつにならなくてもいいのかなあと思って、「ツーショット」の歌詞に「君と僕の違うところを尊敬しあいたい、僕と君の同じところを大切にしたい」と書きました。
お互い謙虚さをもって、お互いに話し合えたらと感じます。
石沢アナ:NHKの3文字があることでいろんな接点がつくれ、それぞれの人生を持った人があって語ってくれるのはすごい財産になります。
それを受け止められるかどうかは難しい所です。
しかし聞ききれていないのではないかと思います。
歳を経るとできるかと言えばそういうものでもないと思います。
人生の一端を聞かせていただくという感じです。
日本人はいろんなことを曖昧にして生きてきたような気がします。
曖昧にできないことが増えてきて僕らは試されてきているのではないかと思います、新しい時代をどうやって人を思いやることができるのかという事を。
いろんな人と出会うと友達もできて、震災の前と比べると何十倍にも増えて、その人たちひとりひとりは悩み、傷付くこともあるし、友達が傷付いたりしょんぼりしているのなら自分に何ができるだろうと思った時に、みんなが笑顔になるまでやらなきゃならないことは無くならないんだなあと思います。
自分のために頑張るのは絶対に限界が来るが、あの人のために頑張りたいとか、世の中のちょっとでも役に立ちたいという事は100%にはならないので、それが原動力です。