2018年11月29日木曜日

長谷川哲夫(国立天文台チリ観測所上席教授)・視力6000で宇宙に挑む

長谷川哲夫(国立天文台チリ観測所上席教授)・視力6000で宇宙に挑む
チリの標高5000mのアタカマ高原に宇宙からやって来る電波を捉えて分析し、宇宙の謎を調べるる強大な電波望遠鏡があります。
アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計、通称アルマ望遠鏡と言います。
直径12mと7mのパラボラアンテナ66台を組み合わせることにより、最大で直径16kmの電波望遠鏡に匹敵する能力、人間で言うならば視力6000で宇宙を観測できます。
アルマ望遠鏡は日本、アメリカ、ヨーロパが共同で建設し、2013年から本格運用が始まる、すでに多くの成果を上げています。
長谷川さんは63歳、専門は電波天文学で、このアルマ望遠鏡の建設運用に長年携わってきました。
長谷川さんが研究者の道に進むきっかけを与えてくれたのは、小学生の時に出会ったある一冊の本だと言います。

望遠鏡というと光の望遠鏡を思い浮かべると思いますが、星が見えるが非常に熱い天体です。
星の材料となる物質は冷たいんです。
マイナス250度で、光を出さないが、電波は出します。
電波で宇宙を見ると冷たい物質から放たれた電波が、私たちに届いているのが判るわけです。
光、赤外線でそこから誕生した星、銀河を見る、両方を突き合わせてどういうものから何が起きて何ができたか、その星が死んだあとの物質がどう材料に戻っていくのか、大きな宇宙の中でのモノの流れが見えてくるわけです。
こういった望遠鏡をほしいなあと思ったのは35年前のことです。
1983年に日本でも大きな望遠鏡が完成しましたが、次にどのような望遠鏡にするかと検討したのが、アルマのルーツのひとつになっています。
携帯で使用している電波は何十cmで、ミリ波、サブミリ波(0.3mm)は最も波長の短い電波です。
東京からアルマ望遠鏡で大阪を見たら見たら、大阪の道に落ちている1円玉が見える、それが視力6000になります。
現在2000ですが6000を目指しています。

日本からチリに約20名が詰めています。
標高5000mの処にあるので、首都サンティアゴのアパートに暮らしています。
1000km離れたアルマ望遠鏡所のあるに出張して1週間仕事をして戻ってくるというような仕事をしています。
空気が薄くて空気が乾いています。
電波は水蒸気に吸収される性質があるので。
アルマ望遠鏡はこれまでの10倍になっています。
2年前、惑星が作られている現場をみる事が出来ました。
おうし座のなかの生れて100万年ぐらいの星です。(生まれたばかりの星)
その星を取り巻く円盤があり、円盤に溝が入っているのが判りました。
そこでは惑星ができていて、その惑星が軌道上にある物質を全部自分の中に吸い込んでしまったために、そこには物質がなくなって溝になるという説が有力です。
46億年前の太陽系の出来た姿を見ているようなものです。

2000年に天文台でアルマ望遠鏡の仕事をする人を募集していたので、大学から天文台に移ってアルマ望遠虚の建設に携わってきました。
アメリカで大規模な電波望遠鏡を作ろうという構想がありました。
ヨーロッパでも同じような構想でスタートしていました。
日本、アメリカ、ヨーロッパでそれぞれ計画がスタートして始まりました。
望遠鏡の設置場所とか、望遠鏡の形式とか情報交換するうちに、3つの計画が似てきて、1990年代の終わりごろに1つにまとめて、大きな望遠鏡にしようという機運が高まったアルマが誕生しました。
チリ以外も実際の場所に行って調べたりしました。
文化、物事の進め方など、色々違う環境条件の中で進めてきました。
議論をしてお金を持ち寄って、うまくいきそうだと確認をしながら、何百億円のプロジェクトが動き始めるわけです。
出だしのころはリスクの問題等で、日本ではお金が出ないで色々苦労をしました。

アルマ望遠鏡の建設の仕方は独特なところがあり、建設、運用も一人の人が責任を取れなくて、持ち寄りの手巻き寿司パーティーの様におのおの手分けして持ち寄ってつくる、インカインドでいろいろ出しあって作るということです。
最初綿密に計画を作るが、予想外の事が起きるが相談して落とし所を決めて行くが、手間がかかりました。
何処もアルマが欲しいという事で紛糾しても元に戻ることができた。
お金儲けではない活動なので、なんとかうまく進行出来ました。
2008年から2012年まで合同副プロジェクトマネージャーを担当しました。
その後チリの観測所長になりました。
2012年5月に同僚がサンティアゴで強盗に襲われまして、命を落としてしまいました。
森田耕一郎さん、30年来の友達で、基本設計も考えてもらいました。
日本から持ち込んだ16台のアンテナの部分を「モリタアレイ」と呼ぶことにしました。
太陽系のでき方についての理論があり、数値シュミレーションでは表せない或る種自然の美しさがありました。
今惑星誕生の理論を組み直そうと、世界中で大騒ぎになっていて色々な説が出ては消えをしています。

栃木県生まれで、父が理科の先生をしていて、小さいころから聞いていたと思います。
小学校5年生になった時にプラネタリウムができて、嬉しくて毎週のように行きました。
解説員の方から本とか自作望遠鏡とか色々見せていただきました。
天文学はどうなるかわからない、そういうものを追い続けている真剣さに驚きました。
「未知の星を求めて」関つとむさんの本を借りてむさぼるように読んで衝撃でした。
新すい星を見つけるいきさつなど、関ラインズ彗星という名前が付いた。
ラインズ氏は発見が一瞬遅かった。
未知のものを見付ける、そのために物凄い努力をする、その感動、そういうものを自分でもやってみたいと思いました。
自然を相手にしていると、人間って、なんと自然の事が判っていないんだろうと思います。
小学校に行ったりすると、人の役に立ちたいという子が多いと思いました。
人類の仕事に身を投じることも、人に役に立つなんだと言っていいんじゃないかと思います。
科学の研究は自分の人生をかけて、取り組むに値する仕事だというのを子供たちにも伝えたいと思います。
アルマ望遠鏡が色々なものを発見すると、新しい要求が出て来ると思うので、それに答えるようなグレードアップをしながら、使い続けるというふうになって行くと思います。