2018年11月28日水曜日

長谷川和夫(認知症介護研究・研修東京センター )・実はボク、認知症になったんです。

長谷川和夫(認知症介護研究・研修東京センター 名誉センター長)・実はボク、認知症になったんです。
認知症診断の物差しとなる長谷川式スケールを開発したり、日本で開かれた国際アルツハイマー病協会国際会議の組織委員長を務めた、我が国の認知症の第一人者と言えば長谷川さん(89歳)です。
一昨年長谷川さんは自らも認知症を発症されました。
現在はその事実を公表され、可能な限り認知症への正しい理解を訴えています。
半世紀以上にわたり認知症の専門医として、診察と正しい普及活動を務めてきた長谷川さんに、医師と患者の両面から認知症に対する、正しい理解、患者への適切な接し方を含めて、その人らしく今を生きる大切さを伺いました。

最初に認知症かなと気付いたのが、時期ははっきりしないが、物忘れがひどくなってきた。
鍵を閉めたかどうか、はっきりしなくて戻って確認する事が初めあり、何回も確認するようになりました。
アルツハイマーの場合もまず時間があやふやになる、場所の見当があやふやになる。
その次が人、一緒に住んでいる配偶者に対してあやふやになる。
時間に対して対策として、日めくりカレンダーをめくることにしたり、新聞を取りに行くことにしました。(日付が書いてある。)
場所については行きたいところに行きつけないとか、家に帰ってこれなくなる。
人に関しては、配偶者に「貴方はどなたですか」、ということになったりする。
おかしいと思って診察を受けました。
CT、MRI、臨床心理士のグループがあって複雑なテストをやらされました。
長谷川式スケールは自分で開発したので全て分かっているんで役に立たないです。

診断の結果は嗜銀顆粒性認知症でした。
お年寄りのぼけという感じです。
アルツハイマーと比べて症状が激しくないです。
歳をとって来ると、アミロイドβ蛋白があるが、それが歳を取るにつれて脳の組織の処でどんどん増えて行くのですが、神経細胞の中まで入って行くやつと、神経細胞の外だけで中に入らないのがあるが、神経細胞の中に入るのがアルツハイマーです。
外にとどまるのが、嗜銀顆粒性認知症です。
日よって時間によって症状が違ったりします。
午前中はいいが、午後2時ごろになり疲れて来ると認知症になってしまう。
夜中に睡眠を取るので脳が修復するのか、翌日の朝は普通なんです、その繰り返しです。

認知症といわれると差別されたりするが、人生100年時代と言われるが、知的能力は落ちて来る。
暮らしができるかできないか、が重要なポイントだと思います。
僕はまず新聞を取りに行く、日めくりのカレンダーを新聞の日付に合わせてめくる。
食事はきちっと食べます。
昼はバナナ程度とか、サンドイットだったり、ご飯にふりかけをしてお味噌汁とか、夜は肉を食べたりもします。
30年来の行きつけの喫茶店によく通って好きなコーヒーを飲みます。
40年来の床屋では色々話をします。
本は図書館で借りたり自分で買ったりして読んでいます。
夏目漱石は大好きでかなり読んでいます。
絵も大好きで展覧会などに行きます。
音楽も大好きです、家内が武蔵野音大のピアノ科を出ています、付き添いに来たまりも国立音大のピアノ科を出ています。
音楽は直接自分の魂にスポッと入ってきて心が躍るからいいです。

医師のころは認知症の人にデイサービスを勧めていたが、自分が行くようになりました。
9時~5時まで一日で、入浴サービスがあり気持ちいいです。
日本は世界一長生きしているが、政府の政策も抜きん出ている。
東南アジアは日本よりも高齢化の進行が早いそうで、日本がどういう対応をしているか注目していますし、世界も注目しています。
出かけて行って向こうの国情に合ったやり方を教えてあげる、それが日本の国意である、そういう仕方がこれから必要じゃないかと思います。
認知症は全く普通の人と同じ事を考えていて、ここから認知症だと言う人は一人もいない。
午前、午後で違うし、夕方も違うし、朝になると元に戻るし、これは大きな発見だと思いました。
パーソン・センタード・ケアにしないといけないといけないという人が英国にいます。
(今は亡きトム・キットウッドTom Kitwood教授が1990年代前半に提唱した概念)
心理学の教授、臨床心理士で牧師でもありました。
まず人がいて認知症がある。
みんな一人ひとりが違ってそれぞれ貴重な体験をしている、一人ひとりが貴重な人間なんです。
日々私達は感謝しないといけないし、誰か人の為によりよくなんか役に立つことがあったらやらしていただきましょう、というのが僕の気持ですが。
同じ目線に立つということは、認知症の人に会って話す時には、「今日は何がしたいですか」、と向こうの気持を聞いてあげないといけない、それがパーソン・センタード・ケアだといいます。
相手の言う事を辛抱強く待つことです。

僕は絵本を書いたんです。
おじいさんとお孫さんとの物語で、或る日のこと食事をしている時に、おじいちゃんが「皆さんはどちらさんですか」、と言ったんです。
坊やが「おじいちゃんは僕たちの事を誰も知らないと言うけれど、みんなおじいちゃんの事をよくしっているんだから心配ないよ」、「そうですか、皆さんよく知っていて下さるんですか、それだったら安心した」ということで一件落着です。
普通だったら、「しっかりして」とか、「判らなければ駄目じゃない」という事を言ってしまうが。
これは我が家の実体験です。
優しく接するということは大事なことです。
医療していて患者さんから教えられたことはたくさんありました。
理系大学をでた頭のいい方が、よりによって何故私が認知症になったんでしょうかという質問があり、どうしてそうなったのか僕は判りませんが、僕も本当にそう思いますよといって、彼の手を握っていったら「そうだね」と言って彼は納得して帰って行きました。
ある患者さんから「先生はおいくつですか」と3回言われて、奥さんにどう対応しているのか聞いたら、「歳を取ると会話が無いので、返っていいです、質問に何回も答えます」と言われて、そうかと言い返す言葉が無かった。
認知症の方の本質的な障害は暮らしの障害です。
それを理解してあげればほっとすると思う。
お互いに心のきずなを大切にして生活する。
心に絆は一人ひとりがみんな違うので一人ひとりが尊い存在であることを自覚して、今、今の瞬間を大切にして、いま何を自分が出来るかという事を、努力して明日に、未来につなげることが大切ではないかと思います。
よく生きることは、よく死ぬことだと思います。