2018年11月6日火曜日

佐相憲一(詩人・編集者)         ・『沖縄詩歌集』 刊行と詩人の歩み

佐相憲一(詩人・編集者)         ・『沖縄詩歌集』 刊行と詩人の歩み
今年の6月『沖縄詩歌集~琉球・奄美の風~』が出版されました。
沖縄を含めた全国の詩人、歌人、俳人200人余りの作品を集めたアンソロジーです。
佐相憲一さんはこの『沖縄詩歌集』の4人の編者の一人として、現役の詩人たちの参加を呼び掛け自らも寄稿しています。
佐相憲一さんは横浜生まれの50歳、17歳のころから詩を書き始め大学を卒業してからは、横浜、東京、京都、大阪で、料理店のウエーター、学習塾の講師、高層ビルの窓ガラスの清掃など様々な職業につき、その経験が自分の詩の創作に生きているとおっしゃいます。
これまでに『共感』、『永遠の渡来人』、など4冊の詩集をだしました。
7月には初めての小説、『痛みの音階、癒しの色あい』を出しています。

『沖縄詩歌集~琉球・奄美の風~』 320ページ 詩人歌人は200人を越えました。
没故詩人も含まれていますが。
琉球古図は入っている。
沖縄はいろいろ注目されているが、沖縄が占めているものは何なのか、それを現地の沖縄の方々の気持ちに寄りそってみんなが理解しているかというと、なかなかそうは言い難い状況にあると思う。
戦争、平和、琉球文化、歴史的重み、基地問題などで注目されている現在、詩歌の道を通じて、沖縄、奄美等の周辺をもっと知ってもらおうと言う事で刊行されました。
詩歌集を製作する過程で沖縄の詩人さんとの交流が強まったんじゃないかと思います。
沖縄の二つの新聞がこの詩歌集を取り上げて下さいまして大きな反響がありました。
初版発行日が2018年6月23日、沖縄慰霊の日でもあります。
公募趣意書で呼びかけました。
私は現代詩の分野で今活躍している、現役の詩人さんたちに呼びかけて参加してもらいました。

1968年(昭和43年)に横浜で生まれて今年50歳なりました。
家庭環境が複雑だったこともあり、一人で野原、森、海などで親しんでいました。
小さい頃珍しい病気にかかり、30分後遅れていたら死んでいたと医師から言われました。
心臓が止まる恐怖というのが感覚としてあって、これが私のその後の人間観、平和への考えに繋がりました。
世界中のどの国の子供も大人も命を尊重されなければならない、これが私が体で感じた原点となりました。
引っ込み思案でいじめっ子にいじめられました。
小学校3,4,5年の時に担任になったおおわともあき?先生との出会いで大きな転換点がありました。
国語の時間に朗読したら凄く褒めてくれて、作文もとてもいいと言って下さって、私の得意なところをほめてくれて、もっと積極的になるように励ましてくれました。
学級新聞を手掛けるようになり、小説もどきを書いたらみんなに受けて連載になり、これが文芸作品的なものを初めて書いた機会でした。

中学校時代でも学校でも家でも辛いことがありましたが、高校では孤独感が深刻になりました。
17歳のころに死んでしまいたいような気分になっていました。
その時に救ってくれたのがまた文学でした。
ヘルマン・ヘッセの詩と小説に出会ってから、世界文学、日本文学に目覚めて夢中になって、死にたいと言う事も遠のいた様な感じになりました。
詩を書いてみたいと思って書き始めたのが17歳でした。
文学の不思議な魅力に取りつかれました。
早稲田大学の政治経済学部に進みました。
国際関係などを学びましたが、お金を稼ぐために働いて様々な現場を体験して、人と交流する機会があって、生の現実に触れて影響を受けたことが大学時代一番大きかったと思います。
社会人になったときも色々な仕事をしました。
料理店のウエーターとか、工事現場のガードマン、建築現場の荷上げ仕事、学習塾の講師、家庭教師、高層ビルの窓ガラスふきなど色々しました。
住み家も東京、京都、大阪など色々な所に住みました。
ヨーロッパも放浪しました。
様々な人たちと出会う事が出来て良かったと思います。
「この地球自体が詩を書いている」、これを実感しました。
この視点を持った時に初めて色々点々とした人生の全てが繋がりました、全て無駄なことは無くて、繋がっていて受けとめられていて、一つ一つの心臓が地球の中で、地球の詩の中で息づいているんだと感じて励まされました。

20代も人には見せずに詩を書いていましたが、20代の後半に転機が訪れました。
世に出さないとだめだと思って、2冊詩集にまとめて出版しました。
その後投稿するようになり、詩を書くことに自信を持ちまして、第3集を出しました。
『愛、ゴマフアザラ詩』という題名で、小熊秀雄賞を頂きました。
今まで9冊出しました。

「波止場」
夜の港に来ています  しぶきが腹の底に響きます
鳩の公園から霧の中の汽笛まで 夢ばかりみてきました
もしかすると〈希望〉って 前を向いている時の後ろ姿なのかもしれません
昼間の喧騒も闇の中でしずめられ高層ビルや百円ショップや携帯メール
もまれて、もがいて、流されて、ぶつかって
そんな中でも今日、どこかで権利を認められたひとがいて今日、
どこかで結ばれたひとたちがいて 海はつながっています
心の波打ち際から 今夜各地のひとたちの後ろ姿へ この詩を贈ります
ラッシュアワーの駅で聞く人身事故を ダイヤの乱れと苛立つ社会で
夢をばかにしないで生きるひとびとの 人生の波音を わたしは大切にしたいのです

読み手側の意義 テーマについての論文を読むのではなくて、詩の形 文学作品の形で色んな人がいろんな角度で深めているので、それが一堂に会したアンソロジーを読むことで
そのテーマに関心のある方が新鮮にその問題をより掴むと言う事で還元されます。
書き手側、交流の無い詩人と自分の作品が同じテーマで、違う書き方で並んでいると創作意欲にプラスになる。
詩、文学がこの世に存在したお陰で命の根底の処から救われた人間が一人(私ですが)いると言う事を強調したい。
文学を大切にしないあり方は心の問題を疎かにすると言う事で、それは不幸なことだと思います。
詩の心で生きると言うことは、こういう悲惨な今だからこそ大切なんじゃないかと思います。
痛み(心の)というものは人から人へ伝わって共感するんです。
心のキャッチボールが瞬時にできる、それが詩や小説などの文学の魅力だと思います。
子供のころからマイナスモード全開の人生ということで、生きるとか、死ぬとか根源的なところに敏感でした。
もうこの世に生きる希望が無いと言う人が、詩を書いたり読んだりすることで、心の底の方を癒されて新しい自分へと再生して行く、そのお手伝い役の処になぜか私がいると言う事が多くなってきています。
8年前に今の妻に出会って3年前に結婚しました。
愛に関する詩も多くなってきました。
初めて小説文庫を刊行しました。 『痛みの音階、癒しの色あい』
詩の心で小説を書く、これが私の道だと感じました。
『もり』 心の森を総合的にテーマにした詩集です。
「光合成」