2018年11月18日日曜日

上野きより(飢餓ゼロをめざす 国連WFP広報官)・【"美味しい"仕事人】

上野きより(飢餓ゼロをめざす 国連WFP広報官)・【"美味しい"仕事人】
世界の飢餓人口は8億2100万人に上ると言われています。
その原因は途上国の栄養不足、紛争、災害、気候の変動などによるものが大きなものです。
WFP国連世界食糧計画では食糧支援機関として毎年83カ国9000万人に支援を行い飢餓のない世界を目指して活動しています。
国連WFP広報官の上野さんに伺います。
上野さんはWFPのローマ本部を始めエチオピア、ネパール、ナイジェリアで活動して来ました。
ジャーナリスト時代から追い続けたテーマ「貧困、飢餓」をどのように解決するのか、それが世界最大の人道支援組織であるWFPで働きたいと思った理由だということです。

9月に新しい報告書が出ましたが、2017年では世界の飢餓人口は8億2100万人という数値が出ています。
2014年までは飢餓人口は減っていました。
2015年から3年連続で増えてしまっています。
9人に1人が飢餓に苦しんでいることになります。
増えているのは紛争、気候変動によるものと分析されています。
2010年に国連に入ってWFP国連世界食糧計画に勤め始めましたが、支援調整官として働き始めました。
98%が各国政府からの拠出金で成り立っていて、そのお金で貧しい国の人々たちの為に支援している。
各国政府とのやり取りをする部署です。
本部にいた時に現場に行きたいと強く思って、エチオピア(最貧国の一つ)に行くことになりました。(2012年)
子供達は本当に食べるものが無いので、朝食べずに学校に来るが、おかゆみたいな粗末な学校給食を出します。
食べられるから学校に来るというのがほとんどですが、それが勉強をするきっかけにもなる。

エチオピアは識字率が60%程度です。(農村部)
学校に行くのも2,3年程度で、家が貧しいので家畜の世話などをするようになってしまう。
農村部では紙に書かれたような文字が無い為に、せっかく習ったのに忘れてしまう。
人間、書かなくなると書けなくなり、読まなくなると読めなくなってしまうと言うことにショックでした。
ネパールは2015年に大震災があり、その時に緊急支援の為に入りました。
山が物凄く多くて、貧しい生活をしている。
大震災で一気に食糧の流通が途絶え、実際にみると大変ショックでした。
食料を必要としている人ほど山の中にいて、ヘリコプターを使ってゆくが限界がある。
ロバとかラバとかを使って、環境によってどう届けるか対応するが、その時には観光客も減少してポーターの仕事があふれてしまって、お金を払って彼等にも運んでもらうこともやりました。

持続可能な開発目標、その中でも「飢餓をゼロに」というテーマを持っています。
設立が1961年でそれからずーっとやってきています。
毎年83カ国9000万人を支援をしています。
シリアの国内にいる人達に対して、近隣諸国(トルコ、ヨルダン、一部イラクなど)に逃れた人達に対しての支援を行っています。
紛争地帯に対してはどのように届けるかが問題になる。
あまりに危険な場所にはいけないところもあります。
イスラム過激派が凄く力が持っているところは、アクセスができない地域がまだあります。
防弾車で移動するほど危険なところがあります。
ナイジェリアなども自爆テロを起こすような所もあります。
最近女性とか子どもたちが自爆を起こします。
誇りに思うのは、WFPは色んな支援がある中でも、最前線にいる組織の一つだと思います。
危ないところだからこそ飢餓に陥るので、だから入って行かなくてはいけない。
実際には食料を届けて「有難う」と言ってくれる訳ではない、当然と思っている人などもいるわけです、アフリカなんかそうです、ネパールは「有難う」と言ってくれます。
ドラマみたいな感じはないです。

国境を越えて逃げてきた難民の場合は、栄養レベルが下がっているので、特別なペースト状のものとかハイエネルギービスケットなどを与えます。
或る程度安定してくると、食料バスケット(必要栄養素が摂れるようにしたもの)を提供します。(家族ごとに配給 月2回位 基本的支援)
妊娠中の女性、授乳中の女性、5歳以下の子供に対して栄養状況が悪い人に対して、特別な栄養強化の食べ物を提供しています。
トウモロコシの粉、大豆の粉をまぜて栄養を強化したパッケージがあり、それを提供しています。
70%現物配給になっています。
30%が現金とか食料引き替え券を渡したりしますが、その環境が整っていないと駄目です。(自分が買いたいものを買ってもらう、野菜などは提供できない。)
喜ばれる支援ですが、その環境が整っていないと駄目です。

父が医者をしていて夏休みにアフリカ、フィリピン、スリランカに行ったりして、支援活動などをやったりしていました。
貧しい国の人の事を考えないといけないと常に言われていました。
大学卒業後に新聞社に入って、社内にも世の中を良くしたいという人達がかなりいて、一番どういう分野が良いかを考えると、食料は生と死に関わる問題なので、自分にとって一番判りやすいと思って、食糧支援の組織に入ることにしました。
広報の仕事をしていて、飢餓について、なんとか無くそうという活動について、世界の人に知ってもらいたいと思っています。
ある問題を知っている社会は問題を無くそうと行動して行くので、知ってもらいたいと思っています。
飢餓の問題を知ってもらう事は、今の飽食の時代の日本ではなかなか難しいと思います。
飢餓の問題は余裕のある人間が考えていかなければいけないことだと思います。