1955年埼玉県蓮田市生まれ、埼玉県県立浦和高校卒業後、日本大学医学部に入学。
大学2年生の時の父の心臓手術をきっかけに心臓外科医を目指すようになる。
30年あまりで心臓手術は8000例、成功率は98%という日本有数の心臓外科医になりました。
天野さんを一躍有名にしたのは、2012年の天皇陛下への心臓手術の成功です。
現在は院長として外科医として忙しい毎日を送っています。
天野さんが目指しているのは、患者に重い後遺症を残さず、できるだけ生活に不自由が無いようにする医療をすることだと言います。
今年63歳を迎えた天野さん、最近はアジアの医師や医療レベルの向上にも力を入れています。
30年あまりの心臓外科手術の経験や現場から学んだ事、若手の育成にあたって心がけている事、今後の夢などを語っていただきます。
小学生の頃、腸が弱くてよく下痢をしていました。
父親の叔父が院長をやっていた病院に良く連れて行ってもらいました。
そこでおぼろげに医者とはこういうものだと、見て感じていた時期がそもそもきっかけかも知れません。
小学校、中学、高校と医者になったらとささやかれていましたが、高校2年の時に父親が急性心不全で救急車で入院して、将来手術が必要な心臓の病気であるということが判ったので、医者になってなんとか父親を助ける手伝いをしようと思って、医師になる手続きをしました。
日大の医学奴に入りました。(3年浪人しました。)
父親が発症して6年目に手術を受けました。
父親を健康に戻したいという思いを強くした時代でした。
更に2回手術を受けました。
豚の弁をつける手術でしたが、豚の弁の場合は数年で固くなって再手術が必要でした。
2回目の時には助手として立ち会いました。
縫った弁が外れることも起こって、4年後に3度目の手術がありました。
心臓自身の筋肉の耐久力が無くなって、父は亡くなりました。
父親のような目にあってはいけないと、父親からのメッセージを託されたような思いがありました。
就職先はいくつかの病院を渡り歩きました。
どれだけ腕に経験を積むか、自分の目、耳で聞いて身体の中にしみ込ませるか、ということが大事でそういう病院を選びました。
最初に行った関東逓信病院は症例が少なくて、亀田総合病院へ移り、新東京病院、いずれも心臓外科手術の症例が多いところです。
亀田総合病院では心臓のバイパス手術を年間100例ぐらいやっていました。
新東京病院ではゼロから立ち上げました。
当時国内で一番活躍している先生がそこの病院の指導者として、一緒にやろうと声を掛けてくれたので意気を感じて参加しました。
病院の経営者の方々が日本式のやり方ではなくて、最先端の医療を積極的に取り組むことに前向きでした。
病院の経営よりも患者さんを良くすることに最も積極的だった、という事が幸いしていたと思います。
2mmの血管を縫うのに、心臓を停止して心臓の筋肉を安全な状態にして手術をするというものを、心臓が拍動している状態で手術するので、手品みたいと言われても仕方ないかなと思います。
それを安全に確実にやる方法をイタリアで取り入れて、それを主張してくれた先生がいたので不安なく始める事が出来ました。
オフポンプ冠動脈バイパス手術、ポンプを使わずに心臓の血管をつなぐところだけを固定して、血液を炭酸ガスで吹き飛ばしながら縫いあげる技術です。
自然の循環ではなく、定常流だと弱い臓器(脳、肺、腎臓など)が身体の中にあるので、オフポンプ冠動脈バイパス手術はそういった臓器に対して愛護的だということで、回復が早い。
高齢とか身体に弱い人にやさしい手術です。
80歳代の超高齢者に対しても安全にできる手術ということで広まってきました。
初期の段階で経験を積むのは大事で、少ないチャンスで外科医に向いているかどうかを判定するのは難しいです。
現在8200例近くまで行っています。
うまくいかなかった事があれば、必ずその場でその原因を突き止めて、その次の手術には持ち込まない、そのことだけは絶対避ける様にする。
うまく行っても次には同じ手術をしないで一工夫するように考える。
手術の後は必ず記録を自分で書きます。
糸を結ぶことなども一生懸命練習しました。
左右の手が同じように動くように工夫して普段からやっていた時期がありました。
6年前、天皇陛下の手術。
話が来た時にはそれほど驚かなかったです。
東大と順天堂大学が近かった事、主治医の先生の患者さん、知り合いを沢山手術しさせていただいて、頼みやすい安心できると思われて、自分が担当することになったが、特別な疑問は持ちませんでした。
3カ月後に両陛下が英国を訪問しましたが、帰りに車で皇居に向かわれるのを見て、その時に俺はやったんだと思いました。
主体は患者さんであって成功したかどうか、患者さんが自覚されることであると思う。
佳く永く生きていただく手術、魂も身体もずーっと健康でいていただきたい、そういう思いです。
患者さんたちと一緒にゴルフコンペ等もやっています。
武士道ではなく医師道があると思う。
医師は或る意味非常に人間としていびつだと思います。
そういうところに肉付けをして患者さんと人間として対等に渡りあえる。
医師道で一番大切なことは絶対出し惜しみをしない、全力で立ち向かうということです。
疲れていようと、どう忙しかろうと、全力で注力する。
自分ではできないところはチームで取り組む。
手術は早い、安い、うまい。
スピーディーということは患者さんの負担が少ない。
早い手術のタイミングもあります。
医療費の補助、手術の中での医療費の無駄使いをしない。
インドでは日本の1/5~1/8でやっているところもあるので。
安全の為にはお金の出し惜しみはしないということも大事です。
手術が上手であるということと、後のマネージメントが上手であるという事が入ってきます、手術痕が綺麗だという事も入ってきます。
若い先生方は自分が一番患者さんが判っているというふうに思ってるし、その証拠を打ち出せるかどうか、それがあったらほとんどのことは任せます。
性格、技術とかを見極めながら、できる内容の手術を任せる、そういったことを教育していかなければならない。
能力のある人間、経験値の高い人間がそれに見合った努力をしない事も許さない。
諦めないという事が外科医にとって一番大切なことです。
最終的にはオールラウンダーでないといけない。(欠点が無い)
ロボットアームを使った手術とか新しい技術がどんどん出てきているが、私がやってもいいが、若い人が育たないので、次の人、世代交代が必要です。
30年培った技術をアジアに広めたいと思っています。
2006年からから中国の心臓外科の指導に行っています。
ベトナムにも手術指導に行きした。