的場文男(騎手) ・【"2020"に託すもの】駆けつづける62歳
~競馬最多勝騎手・的場文男さん~
今年の夏、日本の競馬史に残る大記録が誕生しました。
大井騎手会所属の的場文男騎手が、都道府県や地方公共団体などが主催する、地方競馬で通算7152勝という新記録を達成したのでした。
的場騎手は62歳、いまなおトップジョッキーとして駆け続けています。
1956年9月7日生まれ、福岡県出身。
騎手を目指して中学3年の時に東京に転校して、大井競馬場の小暮嘉久の厩舎に入って、中学卒業した10月には栃木県那須塩原市の地方競馬教養センターに入って騎手として研鑽する。
1973年10月16日、17歳で騎手デビュー、11月には初勝利、以来昨年までには通算3万9981回騎乗して7084勝、リーディングジョッキーで地方競馬全国リーディングを2回、大井競馬で21回取っている。
今年の8月大井競馬の第5レースで勝って佐々木 竹見が保持していた地方競馬通算勝利数を更新する7152勝を上げる。
騎手歴45年。
今4万500回位です、負けも沢山あります。
あの時はスタートした時からお客さんの声援がありました。
お客さんには感謝の一言です。
馬はシルヴェーヌでした、馬が可愛くてしょうがないです。
生まれた時から馬が家にいましたので、馬に乗ったのは小学生の時でした。
幼い頃から騎手になろうと言う夢はありました。
大井競馬場に西田さんがいて、父に息子を東京に来るように言ったそうです。
デビュー戦はあわててしまって人を邪魔してしまい、2日間の出場停止になってしまいました。
最初は新人の中でも勝てる方ではなかった。
朝の調教で人よりも頑張れば、乗る機会が増えると思って頑張りました。
4年目に勝てない時には佐賀に帰ろうかなと思いましたが、とことん東京で頑張れと兄に言われて7,8年は家に帰らなかったです。
6年目ぐらいに少しずつ勝てるようにはなってきました。
絶対一人前の騎手になるんだと思っていました。
登りだしたらぐっと昇るもんですね。
朝3時位には人より早く起きて調教などやっていました。
1997年6月の帝王賞のレースで12頭で疾走、一番人気が武豊さん騎乗のバトルライン、二番人気が岡部幸雄さんのシンコウウインディ、三番人気が石崎隆之さんのアブクマポーロ、私はコンサートボーイで4番人気でした。
最初は遅い馬ですが、あの時は先頭でした。
武豊さんマークだと思ってずーっと行きました。
3頭のマッチレースとなり、コンサートボーイが1位、アブクマポーロが2位となり地方競馬が1,2と言う事でお客さんが物凄く喜びました。
或る時前の馬にくっつきすぎてひっくり返って、馬が僕の顎に当たって、ハンマーで殴られたような感じでした。
顎を複雑骨折、歯は14,5本駄目歯ぐきから持って行かれました。
肋骨は10数回折っていますが、馬が暴れて僕の背中を蹴っていって、内臓の脾臓と腎臓をやられました。(蹴られた瞬間、何か違うなあと思って意識がもうろうとしました。)
MRI検査で脾臓と腎臓が真っ二つになっていて、血が出血して2000cc越えたら命の危険があると言われて、すでに2000ccぐらいでした、手術室に入った時には意識が無かったです。
5時間の手術でした。
集中治療室に3日間いて、その後20日間以上飲み物食べ物は取れませんでした。
1カ月以上血の小便でした。
50日目ぐらいに妻とハワイに行き医者には止められたが、ゴルフをしました。
2カ月後には復帰しました。(医者も驚いていました。)
怖くなったらやめた方がいいなと思っていて、怖くはないです。
鞭で叱っても言う事を聞く馬もいれば余計に暴れる馬がいて、色んな馬がいます。
馬の気性を見抜くことが必要ですが、馬に合った朝の調教が大事です。
体が硬くなったので体力変化をカバーするために踊るような感じの「的場ダンス」をやっています。
トレーニング、ストレッチなど出来る限りの努力はしています。
東京ダービーで2位は10回有りますが、優勝は無いですので後1,2回のチャンスで勝てないともうチャンスが無いと思っています。
目的があると人間は力以上ものが出る様な気がします。
7152勝の目標に向かって本当に楽しかった人生でした。
目的は無くなったが、お客様の声援があるから精一杯乗って、ファンを喜ばしたいと思います。