池田理代子(劇画家・声楽家) ・強く美しく、振り返ることなく(2)
代表作「ベルサイユのばら」製作の舞台裏や、40代半ばでの声楽家への挑戦などを伺います。
「ベルサイユのばら」は24歳で作った漫画が、今もこうして生きていると言う感じ。
マリー・アントワネットの生涯を書きたくて始めましたが、創作上の人物を何人か作りましたが、オスカルと言う存在が、特に当時働いている女性に与えたインパクトは大きかったと思います。
オスカルは女性でありながら、男の子のように育てられて軍人になって、マリー・アントワネット付きの武官となって、活躍する。
革命がおきたときに市民の側に寝返る。
この人物がいなかったらみなさんの心を引き付けることはできなかったかも知れません。
マリー・アントワネットを書きたいと思ったのは高校2年生のときで、雑誌で漫画連載されるようになって、そろそろ長編を書いてみませんかと言われて、2年間ぐらい準備期間があってその時にオスカル、アンドレイ、ジュローデルと言ったような、史実にはない人物を考えました。
オスカルは7月14日にフランスに兵隊を率いて市民の側に寝返った隊長と言うことでそれがまず先にあり、文章を遡って作っていきました。
私も若かったので職業軍人がどういうふうに考えて居たのかは判らないので、女性として決めました。
女、子供には歴史物はタブーだと言われました。
当時読んでくれた小学生が、フランス革命のことが知りたくて、革命の本を買いましたとか言われて、漫画を読むと害毒だとか、本を読まなくなるなんて、そんな事はないでしょうと言いたかった。
自分で書いていておもしろかったので絶対当たると思いました。
まさか大人の人たちが読むとは思わなかった。
討論会に引っ張り出されても、男性が、女性が社会に出るのは是か非かを論じて居た時代なんです。
なんで男性の許可を得なければいけないの、と思っていました。
フランス革命当時は、「どんな天才でも女に生れればいないも同じ」という言葉を残しています、そういう時代でした。
私は家を建てたときに、全く知らない男性から電話がかかってきて、「女のくせに家なんかたてやがった」、と言われました。
二言目には女のくせにと言う言葉がありました。
オスカル、在るべき上司像のように思います。
オスカルにはアンドレイがいたことは、私もアンドレイが欲しいという手紙が来て圧倒的に多かったですね、理想のパートナーです。
経験してないことも書けるから作家だと思います。
毎週エピソードをきめてゆくのは苦しみます。(週刊誌への連載)
毎週締め切りの2,3日前は徹夜続きでした。
今書いているのは、ロザリーのその後のような形ですが、構想はあるのですが何時書きあがるか分かりません。(昔のやり方ではできません。)
漫画はそこで読んで捨ててしまって終わりというものだったので、世代を超えて読み続けられるものを作品として残したいと思ってました。
小さいころからの読書体験、映画を見た感動、色んなことが全て一つの作品になって熟成されてゆくものだと思う。
小学生の時に親が平家物語を読んでくれて、他に源平盛衰記、太平記など日本の歴史から入っています。
高校生になって、マリー・アントワネットの本に触れて西洋史に目覚めました。
フランスには行ったことはなくて日本で資料を調べたり、井上幸治先生(フランス近代史を研究)を紹介してもらって、いろいろ伺いました。
「ベルサイユのばら」が終わってから初めてフランスに行くことが出来て、その後の作品を書くときは出来るだけ現地に足を運び調査をして書くようにしました。
子供のころから勉強することは好きでした。
相撲が大好きで自分が一番やりたいのは横綱審議委員です。
子供の頃初代若乃花にファンレターを出しました。
オスカルの宣伝の懸賞幕が土俵に上がったので感無量でした。
(オスカルが女性で初めて土俵に上がったと言われました)
オペラのバリトンのパートナーとはオペラの稽古場で出会いました、25歳下です。
出会ったのは60歳になった時で、何があるか判らないよと他の女性にも言いたいです。
最後に神様が良い人を与えてくれたんだなあと思います。
現役で働いていれば出会いはあるかもしれないと思います。
閉じこもってものを書く仕事だったので、一つだけ気をつけてきたのは、歯です。
出来るだけ長く全部自分の歯でいようと思いました。
歌は一本歯が差し歯になっただけで、発声が変わります。
40代で声楽に挑戦しました。
音大に行って勉強をしたいと思っていて、中学時代に挑戦をしましたが才能がないと思ってあきらめたりしましたが、ずーっと音楽と一緒に生きてきたという感じはあります。
40歳過ぎてやり残した夢があれば片づけて置かないといけないと思いました。
5年間悩んで2年間勉強して入りました。
夢を実現するための条件がそろう時は人生に一度あるかないかだと思っていて、その時に踏み出せないとしたら、その人にとってそんなに大した夢ではないと思う。
45歳の時がみんな条件がそろった時だったと思います。
音大出て食べていけるかどうかわからなかった。
この夢を実現しないと、死ぬときに後悔するなあと思いました。
先陣を切って行くことは叩かれることも多いし、抵抗も多いし、大変だと思いますが、でも自分の人生ですし。
どうやって自分の人生を閉じて行くのかなあと言うふうに考えが行っています。
今晩寝たら明日はもうこの世に居ないかもしれないと毎晩思います、だからこそ充実させなければいけない、今日で人生が終わってもいいという気持ちで生きなければいけないと思っています。
私たちの世代になると、人生って意外と短かったなあとか、本当に一度きりなんだなあとか、感じて居ると思うので、出来ることはなるたけやった方がいいと思います。
日本ではクラシック音楽、声楽、オペラなどは食べて行くのは大変で、すそ野を広げ様として頑張って舞台を作っているので、そういったところにも足を運んで貰いたい。
若い人たちの舞台は集客が大変で、支援に私は老後の預金をそういったものに全部つぎ込んでしまったので、みなさんにもすこし目を向けていただきたいと思います。